パチンコには「引き分け」は存在しない。あるのは勝つか負けるかだけ

スポーツでも、テーブルゲームでも、ギャンブルでも、勝負に分けは存在する。しかし、パチンコの場合は白か黒しかない。

パチンコ店へ行っていれば勝負は引き分けで終わることはあります。確かに、金額の話で言えば引き分けは当然起こり得るのですが、気持ち的な話で言えば、引き分けなんて甘ったれたものは起こり得ないのです。

これはもうはっきりと言ってもいいと思う。パチンコには引き分けは存在しない。そして、そんなことが起こるパチンコはやはり「遊技」ではないと。

引き分け=負けor勝ち

パチンコは結局のところお金がかかっているので、調子がいい場合は勝ったままその日を終えることができるか、負けている場合は負けをいかに取り返せるかの勝負になってくるのですが、その日の展開によってはプラスマイナスゼロ、引き分けで終わることもでてきます。

本来であればこの引き分けというのは悪いことではありません。なぜなら、新台の入替費用や電気代、人件費など、営業するだけでもやたらとお金がかかっているパチンコ店で1日中、しかも無料で遊べたからです。

「今日は楽しかったなぁ、無料で遊べて良かったなぁ」

果たして本当にそう思うだろうか?

いや、そうはならない。

それはなぜか、パチンコには引き分けなんて生温いものは存在しないからだ!

勝っている状態からの引き分け

台の調子が物凄く良く、早い段階で既に大量の出玉を獲得した。間違いなく設定が入っていると思われ、出玉は完全な右肩上がり。

こういった状況で勝負を途中で切り上げることは非常に難しい。なぜなら台を捨てたその後で他の誰かに出玉を出されれば「やっぱり続けておけば良かった」となりますし、自分が損をしたような気分になるからです。

特にパチンコ依存者はこの状況では絶対にやめられない。イケイケの流れに脳が「もっと、もっとだ……!」と、快感を貪り喰えと、抗うことができない指令を送ってくるからです。

しかし日が沈み、閉店時間を意識し出した時間になってから、台が突然無抽選状態になったのではないかとすら思えるような鬼ハマり。出玉はほぼ全て飲まれ、残ったのは僅かな投資金額分のみとなってしまう。

もはや誰もが掃いて捨てるほど経験したであろう最悪の展開。

あの時やめておけばよかったという血の涙が流れるような後悔。近くにハンマーでもあれば筐体をぶっ壊したくなるほどの腸が煮えくり返るような怒り。

しかし、結果は引き分けなのです。

投資金額は回収できた。確かに金額上の話では引き分けで終わっている。けれども、これが引き分けと言えるだろうか。いや、どう考えても負けた気分にしかならないのです。

勝っている状態からの引き分けは、一度は手にした出玉分の金額を普通に負けた時以上に辛い。なぜなら、人は得る喜びよりも、失う痛みの方が大きく感じるからだ。

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負けている状態からの引き分け

朝からパチンコ店に行くも午前中は鳴かず飛ばず、負けを取り返すために午後からは乱れ打ちに乱れ打ちを繰り返し、気付けば負け額は途方もない金額に。

こういった状況でも同じく、勝負を途中で切り上げることは極めて難しい。なぜなら先程の関連記事でも説明しているように、人は損失を目の前にするとリスクを背負ってでも回避しようとする性質があるため、いくら負けていようとも、万が一の可能性に金をつぎ込むことができてしまうからです。

特にパチンコ依存者であれば、完全に心が折れるか、下ろせる、または借りられるお金が尽きるまでは絶対にやめられない。

しかし至極稀に、数年に一度、もしくはそれ以上に薄い確率で、途方もなく負けた金額が全て戻ってくることはある。

そして思うのです。九死に一生を得た、助かった、自分は勝負に勝ったのだ!と。

しかし、これも結果は引き分けなのです。

まさに瀕死の重傷。場合によっては使ってはいけないお金を使っていることもある。それを失わずに済んだ。瀕死の傷が完全に治癒した。これを勝利と言わずして何と言おうか!

失う苦しみを経て取り返した時の快感は、恐らく失わずに得た時の快感よりも強い。そして、人はその快感に憑りつかれてパチンコに依存していくのです。

今回のまとめ

・パチンコに引き分けはない
・勝ちからの分けは負け
・負けからの分けは勝ち

パチンコはあくまでも娯楽としての遊技であり、本来であればただ遊べて楽しかったとなる引き分けは一番いいかのように思えますが、実態は三点方式という屁理屈によって守られたギャンブルなので、引き分けは時として強烈な苛立ちや興奮を呼び込むこととなり、結局は勝ったか負けたかしか感じなくなってしまいます。

そして、その怒りや高揚感が再びパチンコ店へと足を運ばせ、人は次第にパチンコに依存していくこととなってしまうのです。

果たしてこんなものがギャンブルではなく「遊技」と呼べるのだろうか。確かに一つだけ筋合いはあるのかもしれない。それは、精神的な悪影響の大きさで言えば、恐らくどのギャンブルよりもパチンコはたちが悪いという点だ。

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