【パチンコ依存症体験談】ギャンブルに奪われ続けた10年、克服の軌跡

約10年間に渡って借金を背負い続け、高額な利息だけを払い続け、それでもパチンコに行き続けた元ギャンブル依存症者の、依存症を克服するまでの体験談です。

私は10年以上に渡りギャンブル依存症に苦しめられてきました。特にこれまでにパチンコで失った金額は1,000万円を優に超えていると思います。

そんな私がどのようにしてパチンコをやめることができたのか。

このギャンブル依存症のカテゴリーでは私がギャンブル(主にパチンコ・パチスロ)をやめることに成功した方法や、ギャンブル依存症について書いているのですが、その前に、今回は私がギャンブル依存症になってしまった経緯や、それを克服するまでの10年以上に及ぶ体験談をお話ししたいと思います。

私はこうしてギャンブル依存症になりました

18歳の時、初めて行ったパチンコ店で5千円が10万円に化けた。

当時、まだアルバイトもしたことがなかった私は、いとも簡単に大金を手にしたこと、感じたことのないような血の昂り、そしてパチンコ店の熱気にたった1日で脳が焼かれ、この出来事が全ての始まりとなってギャンブルにのめり込んでいきました。

大学へ進学すると大学へは全く行かないようになり、一番多い時で週に6~7日はパチンコ店に入り浸る。負けてパチンコをするためのお金がなくなれば、消費者金融や学生ローンからお金を借りてパチンコ店に行き、これ以上借りられないというところまでくると、借金を返済するために時給の高いパチンコ店で働き始めました。

しかし、アルバイト先は見事にギャンブル好きしかおらず、アルバイト仲間に誘われてパチンコ店へ行ったり、アルバイトが終わってから麻雀に誘われたりと、借金を返済するために始めた仕事のはずが本末転倒、余計にギャンブルにのめり込んでいくことになってしまったのです。

当然のことですが、パチンコ店に行けば行くほどお金はなくなっていきます。

負けたお金を取り返しに行こうとパチンコ店へ行くも、再び負けてお金を失う。パチンコでできた借金を返すために働いて稼いだお金も、再びパチンコに消えていく。本来行かなければならない大学へは全く行かず、借りている奨学金だけが学費のために無駄に消えていき、終いにはその奨学金もパチンコのために手を付けてしまう。

この頃になると、10代前半から患っていた対人恐怖症(赤面症)が悪化し、大学の友人、教授、古くからの地元の友人でさえも話すことができなくなってしまいました。自宅にいると自分の人生を悲観し、人生を終わらせることしか考えられなかったため、その辛さから、現実から目を背けるために私はパチンコ店へと向かいます。

パチンコをしている間は何も考えなくて済みました。お金の事や、人生の事、嫌な事は何も考えずにただハンドルを握るか、レバーを叩いてボタンを押し続けるだけ。

しかし、パチンコ店を出るといつも財布の中身は空っぽ。そして増えた借金は急激に私を現実へと引き戻し、それを突きつけられた私はいつも酷いうつ状態になっていました。それでも、現実から目を背けるためにはパチンコ店に行くしかなかった。

だから、行った。

負けても、借金が増えても、精神が崩壊しそうでも、私はパチンコ店に行くしかなかった。その時だけは全てを忘れることができたから。

最初は本当にただ楽しかっただけ。そんなパチンコはいつの間にか、辛い現実から目を背ける「依存対象」となってしまっていたのです。しかし、それは現実をさらに辛いものに変えてしまうだけでした。

ギャンブルをやめるまでの経緯

私は学生にして既に、パチンコによってできた100万円近くの借金を背負っていました。

これは奨学金を返済に回したりすることでなんとか完済することができたのですが、パチンコ店に入り浸りすぎたせいで既に大学を卒業することは絶望的。そこで私は、大学を辞めて働く、飲食店に就職するという道を選びます。

飲食店での仕事は1日12時間以上の労働は当たり前、休みもほとんどなく、1か月間丸々休みが取れないこともありました。

肉体的・精神的な疲労は常に限界状態。それでも、1週間に1回は時間を見つけて私はパチンコ店へ。なぜか、どれだけ疲れていてもパチンコのためなら動けたのです。

しかしそんな生活も長くは続かず、1年ほどで肉体的に、特に精神的に限界を迎えた私は仕事を退職。晴れて自由になった私は当然ながら再びパチンコ店に入り浸り始めます。

この頃になると競馬にも手を出し始め、再び消費者金融からお金を借りてギャンブルをするようになり、僅か1か月ちょっとで借金は一気に限度額の80~90万円ほどにまで膨れ上がりました。

当然ですが「無職・借金・ギャンブル」などという生活が成り立つ訳がなく、このままでは生活が立ち行かなくなるという危機に私は焦りを感じ、稼ぎが良かった派遣社員として働き始めます。

この時私は2社の消費者金融からお金を借りていましたが、3社目の契約に手を出し、最大で110~120万円ほどまで借り入れが可能となっていました。

その後、派遣の仕事が少し落ち着いたところで、私は元々やりたかったバーで働き始めたのです。しかし、バーテンダーとして働き始めての1年目はやはり精神的に本当に辛く、その辛さから逃げるようにしてギャンブルへの依存は再び加速していきました。

すると、やや落ち着きを見せていた対人恐怖症の症状が再び悪化。私は仕事中に吐き気を催すこともあり、それに伴ってうつの症状も悪化していったのです。

転機が訪れた

心身ともにやつれていた私でしたが、元々行きつけだったバーの店主に話を聞いてもらえる場が設けられることになり、それが転機となって自身に起きている精神疾患を初めて認識することができ、治療に向けて動き出したことで対人恐怖症を克服。うつ状態からも脱することに成功します(厳密に言うと症状が限りなく抑えられている状態)。

そしてそれに伴いギャンブル依存症も、辛いことから目を逸らし、現実を逃避するためのものではなくなっていったのですが、次第にパチンコは違う存在へと変貌を遂げました。

そう、パチンコは娯楽の域から大きく逸脱した、身を滅ぼしながら生活資金を賭ける「賭博」へと変わっていったのです。

借金の返済生活が始まった

私はバーの仕事を続けるため、生活基盤のため、そしてギャンブルによってできた借金の返済のために朝からも働きました。生活を可能な限り切り詰め、1日の睡眠時間は1~2時間の仮眠が数回と、体を酷使して。

この時、再び限度額まで借りていた借金の総額は約120万円。

借金がこのくらいの金額になると、お金を借りているだけで毎月の利息が2万円近くにもなります。できることなら金利の安いおまとめローンなどで借金を一本化したかった。しかし、既に多重債務に陥っていた私の信用はなく、大手のローン会社は全て門前払い。私は仕方なく高い利息と借金の元本を毎月返済していくことにしたのです。

この時は、返済を続ければ借金の元本も減っていくので次第に利息も安くなりますし、2年間もあればなんとか借金を完済できるだろう。そう、高を括っていました。しかし、ギャンブル依存症はそこまで甘いものではないということを、私はこの後、身を持って痛感することになるのです。

娯楽の域を超えた遊技

3社の消費者金融から全て限度額いっぱいになるまでお金を借りていた私は、初めの頃は働いて稼いだ分から必要最低限の生活資金を残し、残りは全て借金の返済に充てていました。しかし、そんな生活は2~3か月と持ちません。

遊びに行きたくても、遊ぶお金があるのなら借金の返済に回さなければならない。何か欲しい物があっても、何か食べたい物があっても、何かしたい事があっても、それをするだけのお金があるのであれば、全て借金の返済に回さなければならない。

返済生活の初めの頃はそもそもお金をこれ以上借りることができなかったので、パチンコをしたくてもできないといった状態が続いていたのですが、そんな息が詰まりそうな生活に嫌気が差してきたこともあり、私はこう考えるようになったのです。

ギャンブルでできた借金はギャンブルで返そう。
遊びたいお金がないのならギャンブルで勝てばいい。

もはや幻想としか思えない思考ですが、私は生活資金の余りを一旦借金の返済に回し、利息だけを支払った後でそこから再び借金。まるで自転車操業のように、生活を賭けてパチンコ店へ行くようになります。

借金の返済生活が泥沼化し始めた瞬間でした。

ギャンブル依存症による脳の変化

ギャンブル依存症になってしまうと、ギャンブルに関連した刺激に対しては脳が過剰に反応するようになると言いますが、その反面、ギャンブルに関係のない刺激には脳があまり反応しなくなってしまうと言います。

そして残念なことに、私もその状態に陥ってしまいました。

日々の生活はできる限り切り詰め、残りの全てはギャンブルに費やす。それはまさしく、ギャンブルがこの世の中で一番楽しいものだと思い込み、それ以外のことに対しては関心がなくなってしまっていたからでしょう。

さらにこの大きな「脳の勘違い」は生活を圧迫し始めます。

はじめこそ家賃や公共料金などの必要最低限の支払いは期限までに支払っていましたが、次第にそれらの絶対に手を付けてはいけないお金にまで手をつけ、パチンコに行くようになってしまったのです。

勿論自分では分かっていました。そういったお金に手を付けたらどうなるか、もし負けたらどうなってしまうのか。しかし欲求が自制心を遥かに上回ってしまっていたため、自分自身ではこの時既に、歯止めがきかなくなってしまっていたのです。

その結果、電気が止まり、家賃は滞納。不動産会社からは金を借りてでも払えと言われ(もう借りるところがないわけですが)、給料日まで2~3週間もあるのに所持金が数千円しかないといったことが多々起こるようになってしまったのです。

もうパチンコはやめよう。パチンコはやめる。何度心に誓ったことでしょう。
しかし、3日も経てばパチンコへの欲求は再び目覚め、お金が手に入る度、私はただ同じことを繰り返し続けたのです。

ひとりの力の限界

私は思い知りました。ギャンブル依存症の前では、一人の力はあまりに無力で、あまりに非力で、あまりに脆弱であることを。

もはや自分一人の力ではどうしようもできない。私に残された手段は他者に頼るしかありませんでした。それは当時交際していた方であったり、家族であったり、あるいは専門機関であったりと。

他者の助けを借り、借金の返済が少しうまくいっては再びパチンコに手を出し失敗。それでも諦めず、借金の返済とパチンコをやめることに何度も何度も挑戦し続け、遂に訪れる借金の完済。

それは実に、返済生活を始めてから約7~8年後のことでした。

借金を完済後、私は消費者金融との契約を全て解約し、ようやく終わったかに思えたギャンブル依存症。

しかし、まだ終わらなかった。

今度は借金の完済後に作ったクレジットカードでキャッシングをしてパチンコに行くようになってしまったのです。

一度ギャンブル依存症になってしまった人間の脳には、ギャンブル依存を発生させる回路が一生残ると言われています。

借金がなくなったことでキャッシングで新たにお金を借りることへの抵抗を感じるようになったり、パチンコをしたいと思う衝動が減るなど、依存症の症状は確実に落ち着いてきてはいました。ただ、それだけではパチンコを人生から完全に断ち切ることはできないと私は悟り、そのためにさらなる行動を起こしました。

中には恥を忍ばなければならないこともありました。しかし苦汁をなめてでもパチンコを人生から排除しなければ未来は切り開けない、自分が思い描く夢に触れることすらできないと確信したのです。

そして、ついに私はパチンコを人生から断ち切ることに成功したのです。

初めてパチンコ店に入ってから10年以上。私はパチンコ依存症による長い苦しみから解放されたのです。

最後に伝えたいこと

ギャンブル依存症は克服することができます。そして、もうやめたいと思った瞬間からその機会は目の前に用意されています。

パチンコなどのギャンブルをもうやめたいと思ってここまで辿り着いた皆さんへ。

決して諦めないでほしい。諦めなければ必ず道は開けます。ギャンブル依存症から解放された「本当の人生」は取り戻すことができます。

これから私は、ギャンブル依存症を克服するためにしてきたこと、依存症を克服するためにしなければならないこと、反対にやってはいけないことなど、一つ一つ解説していこうと思っています。

それはかつての私のように、ギャンブル依存症で困っている皆さんの、そしてそのご家族、恋人の方など、皆さんにとって大切な方のお役に立ちたいと思っているからです。

ギャンブルはお金も、時間も、時として人生をも奪っていきますが、信念までは奪うことはできないはず。挑戦することを諦めてはいけない。

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