ギャンブル依存症の始まり

18歳になったある日、5千円を握りしめ私はパチンコ店へ向かいました。
台に座り、お金を入れる場所に戸惑いながら、出てくる貸玉の重量感に感動を覚え、
汗ばむ手でハンドルを握りました。

こんにちは、現役バーテンダーの湊です。
今回は私がギャンブル依存症になるきっかけとなった出来事です。
現在では広告や出玉など多くの規制がかかっているパチンコ店ですが、かつてはそこまでの規制もなく、緩い環境だったように思います。

ギャンブル依存症のきっかけ

中学校を卒業後、私は目指していた進学先に無事合格することができ、県内の進学校に入学することが決まりました。
しかし入学後、理想と現実のギャップに私はやる気を削がれてしまい、こんなものだったのかと勉学やスポーツに打ち込む気にならなくなってしまいました。
いわゆる燃え尽き症候群のようなものだったのかもしれません。

高校に入学後は赤面症を克服するためにより多くの人と関わるべきだと思い、アルバイトを始めたかったのですが、教育熱心な母にアルバイトをする時間があるのなら勉強しろと認められず、友人と遊んだり、ゲームをしたりと怠惰な生活を送っていました。

話は変わりますが、当時はテレビCMや新聞の折込チラシなどにパチンコ店の広告や、パチンコ台、パチスロ台の広告が毎日大量に入っていました。
今ではパチンコ店の宣伝・広告には規制がかかっていますが、当時はそのような規制も緩く、青少年へ洗脳は平然と行われていました。
毎日テレビCMでパチンコ店の宣伝が流れていたり、新聞の広告にパチンコ店の広告が入っていたら嫌でも目に入りますし、やはり知らないものなので興味が沸くのは当然の事だと思います。

私にはこのような宣伝は、将来のギャンブル依存症患者を生み出すための洗脳だったとしか思えません。勿論私も洗脳されていくのでした。

いざパチンコ店へ

私はゲームセンターでパチンコ台に座って遊ぶようになっていました。
そして18歳を超えたことで入場が認められ、ゲームには飽きてしまっていた私はパチンコ店へ行ってみることにしました。
初めて入るパチンコ店に胸を躍らせ、5千円もあれば当たるだろうと意気揚々と台に座ります。

しかし、この時私はギャンブルの厳しさを知りました。
5千円がまさに一瞬にしてなくなってしまったのです。ゲームセンターではあり得ないお金が消えていく速さに唖然としながら台の液晶を見つめます。

これはもう終わったんだな、とんでもない所だなパチンコ屋は。

そう思い、握っていても何も出てこないハンドルを握りながら、保留玉が消化されるのを虚ろな目で見つめていました。
完全に諦めて帰ろうとしていたのですが、台が突如けたたましい音を上げ、画面が変わりました。

「確率変動突入!」

「?」

次回大当たりまで確率が変動していて当たりやすくなっているよという状態に入ったようでした。暫く何が起きたのか私は初めての事だったので理解ができませんでした。
しかしお金を使い果たしてしまっていた私はどうすることもできなかったので、ちょうど休日で家にいた父に助けに来てもらう事にします。
そして父からお金を借り、無事に大当たりを引きます。一時は当たったまま帰らなければならないのかとも考えていたため、安堵のため息が漏れました。
ジャラジャラとでてくるパチンコの玉には重みがあり、今まで感じたことのないような興奮で心臓が高鳴るのが聞こえました。

その日はそのまま当たり続け、帰宅した私は10万円もの大金を握りしめていました。
アルバイトもしたことがない人間が1日にして10万円もの大金を手に入れるというこの経験は、後にギャンブル依存症になるには十分な出来事でした。

その日から私はパチンコ店へ通うようになり、パチスロを勉強したりと、どっぷりとはまっていくことになります。

スポンサーリンク

コメントを残す