パチンコをやっていてよかったことというか、依存症を克服できて得たものには、わりと重要なものがいくつかあります。
私は元重度のパチンコ依存者なので、パチンコをやっていたというよりかは、長年やめられなかったといったほうが正しいのですが、それはさておき、パチンコをやっていてよかったと思うことは、基本的にはありません。
しかし、私は人生において、完全に無駄になる経験というのは、ただのひとつもないと思っています。パチンコに依存し、それを克服した経験からも、よかったことというのは見いだせるはずだと考えています。
では、私の場合のそれはなんだったのかというと、絶対的なものが1つか2つだけ。いい意味で金銭感覚がおかしくなったことと、リスクを恐れなくなったことに、「パチンコをやっていてよかった」があるのではないかと思っています。
パチンコに費やしてきた時間・お金・機会を悔やみ、過去にばかり目がいってしまい、前に進むことができない、という方や、パチンコへの依存から抜け出せない、という方にこそ、聞いていただきたい話です。
目次
病的ギャンブラーは恐れを知らない
そもそもギャンブルをやる人間は、負けることを考えていません。負けるかもしれないとは考えるものの、最終的には「勝てる」がそれを上回るからこそ、理論上は確実に負ける勝負に、大切なお金を賭けることができます。
その考えは、ギャンブル依存症を発症することで、より強固なものとなります。
楽しみたい。熱くなりたい。体じゅうに電流が走るような、全身の血が沸騰するような、魂をふるわせる勝負がしたい。
それらは、結局のところ、勝てなければどれも味わうことができないため、病的なギャンブラーは、よけいに勝つことしか考えられなくなります。借金を背負ってでも、不利だとわかっている勝負に挑み続けます。つねに勝ちにいき、負けることなど毛ほども考えることはありません。
この、いわば「狂戦士」のような状態は、精神的な病を患っているからこそそうなってしまっているだけの話であって、私たち本来のすがたなどではけっしてないと私は思います。ところが、ひとたびこうなってしまうと、行動に意志が反映されることはなくなり、完全にコントロール不能な状態となってしまうのです。
つねにお金はなく、夢も希望もなにもかもがなくなり、前が見えなくなる。先に続いている道には、パチンコ店しかありません。見えるものがあるとすれば、それくらいのものでしょう。そしてお金は、なんとかすれば調達できる。
だからこそ私たちは、われを忘れて狂ったように、一直線にパチンコ店を目指して突撃するのです。
では、もしもその道が開け、狂戦士としてパチンコ店に突撃するのではなく、本来の自分のために狂戦士になれるとすると、どうでしょうか? 勝つことしか考えず、負けることは考えずに特攻できる精神的なドーピングを、ギャンブルではなく、自身の人生に対して使用することができたとしたら。
ギャンブル依存症の後遺症(?)
私は現在、パチンコへの依存からは抜け出すことに成功し、ふだんは行きたいと思うこともないので、我慢をする必要もない生活を送っています。万が一行ってしまうことがあったとしても、そこからは精神力だけで、ふたたび行かない状態に戻すことができるようにもなりました。
しかし、一部の感覚だけは、当時のバグった状態を引き継いでいるようにも感じられます。バグッているというよりも、ギャンブル依存症によって考え方が変化した、といったほうが近いのかもしれません。
その感覚(意識)とは、以下の2つです。
1. 一部の金銭感覚がおかしくなった
私は年間マイナス約100万円のペースで、10年以上パチンコに行っていたので、それなりの金額をパチンコに使い、負けてきました。
その間、使えるお金はほとんどすべてパチンコに費やしてきた、といってもいいほどの使い方をしていたので、生活はいたって質素倹約。それ(質素な生活)は、依存症を克服した現在も変わっていません。
では、どの感覚が変化したのかというと、100万円単位、1000万円単位のお金に対して、それほどの大金だとも思わなくなりました。
語弊がないようにいっておくと、現状、私の生活水準はかなり低いです。100万円なんて手元になければ、1000万円というお金を用意することもできません。年収もたかがしれていて、奨学金という借金までも抱えている始末です。
けれど、それくらいのお金であれば、今後どうにでもなる金額だと私には思えてくるのです。
パチンコのやりすぎで頭がおかしくなった? いえ、それは違います。私がそのように考えるのには、それなりの理由があるのです。これに関しては、すぐのちほどお話ししましょう。
パチンコに使っていた金額の記録(一部)
→【負け額】パチンコ・パチスロに依存した最後の1年半のトータル収支結果
2. 正常なリスク計算ができなくなった
私は当ブログの運営作業に集中するため、なんの保障もない状態で仕事を1つやめました。そうすることによって、間違いなく生活が立ちゆかなくなるであろうことはわかっていましたが、それでもやめました。
ほんとうにやりたいことをできずに、ただ時間をたれ流すのが、我慢ならなくなったからです。
病的ギャンブラーが持つ辞書には、「リスク計算」などという言葉は載っていません。しかし、病的ギャンブラーでなくなった私が持つ辞書にも、「リスク計算」という言葉が新たに載ることはなかったのです。
正常なリスクの計算ができていれば、生活がどうなるかわからなくなる危険を負ってまで、仕事をやめるという選択はしなかったでしょう。私はいまだに、やりたいことに関してはリスクを考えず、やれることしか考えないままに突っ込んでいく、あのころのままなのです。
仕事の1つをやめた理由はこちら
→【退職】約7年バーテンダーとして勤めた私がバーをやめることにした理由
克服者は2つの回路とトリガーを得る
ギャンブル依存症になってしまうと、脳内には依存症を発動させる回路が生まれ、それは一生にわたって残り続ける、ともいわれています。それゆえに、元依存者は、なにがあってもギャンブルにふれてはいけないのだと。
しかし私は、別の回路も生まれるのではないかと思うのです。
大金を大金とも思わなくなる回路と、リスクの計算ができなくなる回路。しかもそれは、自身の精神力でトリガーを引くことができ、お金に対する不安を吹き飛ばし、狂戦士となって、ただ前へと進むことができるようになる回路です。
これが、私が思う、パチンコをやっていてよかったことです。
たしかに、お金がないことを苦に思うことはあります。やるべきことをやっていても、思うようにいかず、先が見えなくなってしまいそうになることもあります。
だけど、私にはトリガーがある。それを引けば、お金がないことによる恐怖はすぐに消し飛び、やりたいと思っていたことに、リスクなんてものは考えず、ただ夢中になって突っ込んでいった、あのころの狂戦士のような状態になれるのです。
そして私の場合、このトリガーは引くというよりも、引いたままの状態がスタンダード。たまにトリガーを引く力が抜けるので、そうなったときは、またトリガーを引いている手に力を込めるだけ。
そうなってくると、これは回路というよりも、遺伝子に近いのかもしれません。私はギャンブル依存症を克服することで、いつでも爆死覚悟で戦うことができる、狂戦士の遺伝子を得たのです!
失ってきた金は自力でまた稼げる金と認識しよう
私は消費者金融に借金をしながらパチンコをしていたので、利息なども考えれば、パチンコによって1000万円以上は余裕で失ってきたと思います。
冷静に考えれば、この1000万円があれば、おそらくだいたいのやりたいことはできたでしょう。しかし私は、この使ったお金に関しては、このように考えています。
1000万円以上も使ってきたということは、自力で1000万円以上使えるお金を稼いできたということであって、これから同額以上を稼ぐことは、それほどむずかしいことではないと。
これは、なにもおかしなことをいっているわけではないと思います。
皆さんも、パチンコをするために使ってきたお金は、基本的には自力で稼いできたものだと思いますが、それはまぎれもなく、皆さんの力だけでつかみ取ってきたお金です。それならば、これからだって、もっとつかみ取ることができるはずですよね。
たしかに、誰しもが少なくはないお金を失ってきたことでしょう。でも、それ以上のお金をこれからまた稼ぐことができるのであれば、なくなったものはもういいのではないでしょうか?
よく、たばこを吸っていなければ車が買えた、ギャンブルをしていなければ家が買えた、といったようなことがいわれたりもしますが、私からすれば、そんなものはただの絵に描いた餅で、どうせたばこもギャンブルもしていなければ、ほかのことに使ってなくなっていただけだと思います。
使ってきたということは、その分稼いできたということ。稼いできたということは、これからももっと稼げるということ。
パチンコによって消えたお金に関しては、そのような考え方でいいのではないでしょうか?
過去を悔やむことに意味はないとはいいません。が、パチンコの場合は、負けたお金を悔やんでも意味はありません。
これから働いて、もっと稼げばいいだけの話です。取り返すもなにもないのです。お金を使った先がパチンコだった。ただそれだけの話だと私は思いますよ。
今回のまとめ
・さらに、リスクを恐れずに突き進める狂戦士になれることもある
・失ってきた金はこれからも稼げる金という、ただの実績にすぎない
いまこうして、同じようなことでお困りの方のために話ができるのは、パチンコをやっていたからこそのものですが、これはやっていてよかったというのとは少し違うと認識していて、その経験が役に立っているということだと私は思っています。
人生における経験に、完全に無駄になるものはないと思います。ギャンブル依存症になってしまった経験は、どこかで役に立つと思いますし、依存症を克服できた経験は、もっと役に立つことでしょう。
私はいま、そういった経験を生かしながら、ギャンブルと戦うのではなく、自分自身の人生と戦っています。
目標はたくさんありますが、ゴールは設定していません。ゴールなんてものは、狂戦士には必要ないからです。狂戦士は、狂ったように、ただ前へ、前へと、進み続けるだけですから。
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