パチンコに行こうかなと思うことはやはり未だにある。しかし、パチンコに行く「しんどさ」が歯止めをかけるようになった。
パチンコ依存症の方にとって、パチンコがない人生、パチンコ店に一切行かない生活というのは、全く想像がつかないものではないかと思います。
事実、以前はパチンコ店に漬かりに漬かっていた私も、パチンコに行かないというのは不可能だと思っていたのですが、いざ行かなくなってみると心境に大きな変化が現れるようになったのです。
それでは、パチンコに行かなくなったことで辿り着いた境地とは一体どのようなものだったのか?今回はその心境についてお話したい。
パチンコに行くのが正直しんどくなった
私は自身が考え得るありとあらゆる方法、例えば借金の完済や、相談機関の利用、パチンコ店に出入り禁止を申し出るなどの方法を片っ端から実践していき、10年以上の歳月を費やしたものの、何とかパチンコに行かないという状況を作り上げることに成功。
その後、思うところもあって時々パチンコ店に行くこともありましたが、一度ギャンブルへの依存を断ち切れたことで生まれた「ある心境」により、再びパチンコに行ったとしても以前のような依存症レベルまでどっぷりと漬かるということはありませんでした。
それではその心境とは何なのかというと……そう、パチンコに行くのがしんどくなってきたのです。
パチンコに暫くの間行かないことで気付いたこと。依存症というフィルターが取り除かれたことで見える景色が変わったこと。その世界では嫌でも現実(リアル)がのしかかってきたこと。
その全てが、パチンコに行くことを「しんどい」と感じさせたのです。
では、具体的には何がどうしんどいのか。以下、私が感じているしんどさをレベルで分けることにしたので、参考までにご紹介したい。
(Lv.1)行くのがしんどい
まず、パチンコ店に行くのがしんどい。
パチンコへの依存は断ち切ることには成功しましたが、それでも再びパチンコ店に行けば、ちょっとだけ遊ぼうとか、1万円だけとか、そういうのはやはり無理だった。
よって私の場合、パチンコ店に行けば、
- 大きく勝って満足する
- 気力がなくなるまで負ける
- 閉店時間がくる
この3択以外にやめるという選択肢は基本的になく、行けば必ず長時間滞在することになるのは変わりませんでした。
そこで、朝は開店前に起きること、パチンコ店に滞在中は休憩なしで水しか飲まないこと、同じ姿勢で長時間座りっぱなしになることはまだ問題ないのですが、
- 行けば家事、買い出し、仕事やその準備が一切できなくなること
- 帰宅して食事をする頃には既に日付が回っていること
- 翌日は朝から仕事があるので寝る時間しか残されていないこと
これらが特に問題で、パチンコ店に行けば帰宅が夜中、シャワーを浴びて食事、それでその日は終わりというがとにかくしんどいと感じるようになったのです。
そのしんどさは、帰ってきた後のことを考えるだけでパチンコ店に行こうかなにストップがかかるレベル。時間の問題はしんどいに加えて、だるさも感じるように。
(Lv.2)勝った負けたの勝負がしんどい
私がパチンコ店に行っていた理由。初期の頃は嫌なことから目を逸らすため、現実逃避のためというのもありましたが、途中からは、いや、実は最初からそれもあったのだと思いますが、お金を増やしたいからでした。
パチンコは法律上は「遊技」であって「賭博」ではありません。しかし、実態は金を賭けたただのギャンブルです。勝つことができればお金が増える。
そこで私の場合、パチンコに行くとなれば生活資金を賭けることになるのは今も昔も変わっていないのですが(というか、ふんだんな余剰資金がなければ誰しも少なからず生活を賭けていることになると思うのですが)、パチンコでお金を増やそうと思えば勝ち続けなければなりません。負けている時は投資金額を回収するために最低でも引き分けに持っていかなければなりません。
要するに、勝てば勝った資金を元に再び勝たなければならない。負ければ再び生活を賭けて勝たなければ(負けを取り返さなければ)ならない。それを延々と繰り返さなければいけなくなるのです。
それってもう無理なんですよ。ちなみに私が収支結果をつけていた一年半の勝率は15%でした。15%ですよ!?不可能なんですよ、冷静に考えてパチンコで勝ち続けるのは。
特に私が一番しんどいと感じるのは、数千円の負けを取り返すために必死こいてレバーを叩いている時。なんだか虚しくなってくるんですよね。自分は一体、今何をしているんだと。
パチンコによる借金を返し終えた今、再び生活を賭けた勝った負けたの勝負をするのはしんどい。パトラッシュ、僕はもう疲れたよ。
勝率15%という敗北の記録
→【負け額】パチンコ・パチスロに依存した最後の1年半のトータル収支結果
(Lv.3)突きつけられる現実(リアル)がしんどい
依存症という名のフィルターが取り除かれた時、私の目に映っていたのは目を背けてはいけない現実。突きつけられたリアルでした。
同世代の友人の中には既に結婚して子供がいる者、目標に向かってひたむきに進んでいる者、やりたいことをやれている者、いろんな人がいます。
ただ、それはいいんですよ。人は人、自分は自分でいいと私は思うので、自分のペースで進んでいけばいい。何も焦ることはないと思っています。
しかし、そうも言っていられないようなこともやはり出てくる。
例えば実家のこと。私は家のことは自分が何とかしなければという使命感を勝手に感じているのですが、老朽化が進んでいる家を改装するための費用はどうするのか。それに開業したい店の資金繰り。その前に百万円単位の奨学金の返済もしなければならない。その他にもやりたいこと、やらなければならないことは腐るほどあるのです。
そこで、そんな現実が見えている状態、背負うものが色々とある状態でパチンコ店にいると、なんだか情けなさや、居たたまれなさを感じるようになってきてしまったのです。自分はこんな所に居ていいのか。こんなことをしていていいのかと。
なぜなら、私がパチンコ店に行く目的はお金を増やすことしかもう残っていないから。パチンコで勝ったとしても、それは背負ったものを肩から下ろすには、到底届かない額でしかないから。
一度現実を直視してしまった私にとっては、パチンコは何の問題の解決にもならず、何も進まない、足を止めるだけのもの。息抜きにすらない、現実のしんどさをただ増幅させるだけのものだったのです。
(Lv.EX)動物もしんどい
動物を飼っている方ならわかるはずだと思いますが、家で飼われている動物は飼い主さんしかいないため、飼い主さんが1日中パチンコ店に行っているというのは正直しんどい。
ケージから出られない。餌が無くなった。暑い寒い。部屋が暗い。飼い主さんはいつ帰ってくるのか。
家で留守番をしている動物たちは、もはやしんどいを超えて苦痛を感じているかもしれません。駐車場での車内放置などはもはや論外でしょう。
動物を飼うということは命を預かること。命を蔑ろ(ないがしろ)にしてはいけないと思うし、動物の幸せを願うとそう簡単にパチンコ店に行くわけにはいかないなと、ウサギ飼いの私は思った。
今回のまとめ
・現実を直視できるようになれば余計しんどくなる
・動物を放置してはいけない
私の場合、パチンコに行くのがしんどいなと感じ始めたのは、パチンコに行かなくなって数か月~半年ほどが経過した頃からだったと思います。
そしてこのような心境に辿り着くと、行くのを我慢するというよりも、自然と足が遠のいていったりもすると思うのです。
何事も初めが肝心と言うように、最初が上手くいけば後はその勢いで勝手に上手くいき続けたりもするもの。まずは1週間、2週間、そして1か月と、パチンコに行かない期間を設けることができれば、いずれ「行くのがしんどい」の境地に辿り着けるはずだ。
ただし、現実のしんどさには押し潰されないようにしてほしい……!
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