借金生活の始まり

大学へ進学するも、アルバイトとパチンコばかりの日々。この頃から借金をしてギャンブルをするようになり、気が付けば100万円近い負債を抱えていました。

舞台は生まれ故郷の東京へ。
12年間ほど過ごした育ちの地を離れ、大学への進学を機に私は元々の出身地である東京に戻ってきました。
華々しいキャンパスライフを満喫・・・するはずもなく、私はギャンブルにのめりこんでいきます。

うつ病、ギャンブル依存症、赤面症の三重苦

高校卒業後、私は生まれ故郷である東京の大学へ進学しますが、赤面症克服と生活費のためアルバイトを始めると、稼いだお金でパチンコ屋へ通うようになり、大学に行かない日が増えるようになります。何回か欠席してしまうと今学期はもう諦めて次の学期から頑張ろうと思うようになり、次第に全く大学へは行かないようになってしまいました。

アルバイト以外特にやる事がなくなった私は、パチンコ屋に入り浸るようになります。
お金が足りなくなり、よりよい稼ぎのパチンコ店で働きました。それでもお金は足りず消費者金融、学生ローンからお金を借り入れ、挙句の果てには大学の学費に充てられる奨学金にも手を付けました。

パチンコも最初は楽しかったものの、だんだんとそうではなくなってきます。消費者金融などで借りたお金を取り返すことばかり考えるようになり、もう回収することは不可能だとわかっていてもふらふらと足はパチンコ店へ向かいます。虚ろな目で画面を見つめお金をつぎ込み、お金を失うと自責の念に駆られ自宅で一人うめき声をあげる。それでも次の日になればまたふらふらと足はパチンコ店へ向かいます。まるで何かに取り憑かれたゾンビのよう。
辞めたくても辞められない。完全にギャンブル依存症でした。

気付けば消費者金融から50万、学生ローンから20万、奨学金から20万以上と、計100万円近くの負債を抱えていました。
本来行かなければならない大学へ行かずアルバイトとパチンコばかり、退学することは親に反対されできませんでした。私は何のために生きているのかわからなくなることが多くなり、次第に不眠症の症状が現れるようになりました。

人と関わるのが怖い

寝ようと思っても眠れずようやく眠れるのは日が昇ってから、昼前まで寝付けないことも頻繁にありました。この頃になると全く大学へ行っていないことを心配した友人や教授からの連絡に返事をすることもできなくなっており、人と関わる事が怖い、人と関わりたくないと思う事が多くなりました。もちろんアルバイト中の接客もです。
満足な睡眠を取れず、精神的に参っていても、借金返済のために働かなければならない、そんな生活を暫く続けていましたが、ある日精神的に限界を迎えアルバイトを無断で欠勤してしまいます。
その日私は鳴り響く電話に怯え、布団を被って電話が鳴りやむのをひたすら待ちました。

強制送還

私の現状を見かねた両親から実家へ強制送還の令が出ました。実家も東京なので、大学へ通う距離は全く問題はありません。私は実家へ戻ることになります。
その前にですが無断欠勤してしまったアルバイト先に謝罪に行きました。そして正直に話しました。借金があること、人と関わるのが怖いこと、この世から消えたいと毎日考えたり呟いたりしていること。
その後実家へ戻るのですが、親の監視下に置かれるストレスや環境の変化によって頻繁に起こる腹痛に悩まされるようになります。痛みが酷いときはトイレで悶え苦しむほどでした。最初の1ヶ月間はほぼ毎日のように腹痛に襲われました。

実家へ戻ってからの生活はというと、あまり変わりませんでした。借金返済のために働き、大学へはまともに行きませんでした。実家へ戻れば先が見えないこの生活から抜け出せるかもしれないといった希望がありましたが、それも儚く散りました。
また無気力な日々がやってきます。
そんなある日、外を歩いていると何となく目についたお店の前で私は立ち止まりました。ガラス張りに天然木の目隠しがついた外装。その隙間から薄っすらと見える棚に並んだボトルの数々。それらが暖かい照明で彩られ、煌びやかに輝いていました。路面店のバーでした。

「よかったらどうぞ」

「!」

たまたまお店の看板を出しに来られたお店のマスターに声をかけられた私はびっくりしてしまいました。じろじろと店内を覗いてしまい気まずかったこともあり、断れずに中についていくことにします。
この日私は初めてバーという場所に足を踏み入れました。

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