【破滅】ギャンブル依存症の末路はパチンコ店で「死」に直面した事だった

私にとってのパチンコ依存症の末路。それは、パチンコ店でわりとまじめに死にかけたことかもしれません。

パチンコやスロットにのめり込んでしまったことが原因で、借金にまみれて首が回らなくなり、仕事や家族などもすべて失い、果ては人生に絶望してその手で命を絶ってしまう……。そういった、ギャンブル依存症によって人生が狂った話や、パチンコで人生が終わった人の話というのは、ひと昔前であれば、わりと耳にするようなことでもありました。

かくいう私も、中毒ともいえる元重度のパチンコ依存者で、10年近くにもおよぶ借金生活とそれ以上の時間、ひたすらつぎ込んだ1000万円以上のお金、家族・恋人・友人の信用やその存在、自分自身の精神的・肉体的な健康など、数々のものを失ってきた過去があり、この身をもってギャンブルのおそろしさを体感してきました。

では、そんな私にとっての、ギャンブル依存症(パチンコ依存症)の末路とはなんだったのでしょうか?

これは、いろいろとありすぎてどれをお話しすればいいか悩むところでもあるのですが、「末路」、つまり一生の最後という言葉の意味で選択するとすれば、私も私で人生が終わってしまうかと思った話、わりとまじめにパチンコ店で死ぬかと思った話なのではないかと思うので、今回はそのときのことをお話ししたいと思います。

事件はパチンコを打っているときに起きた

病的なギャンブラーになればなるほど、もしかすると、この傾向は強くなるのかもしれません。私の場合、パチンコをしに行くと、途中で食事休憩などは取らず、水分以外はいっさい口にしませんでした。

朝10時の開店からパチンコ店に入ると、なにも食べずに閉店まで粘りつづけ、そのあいだに口に入れるものといえば、水やお茶などの飲料だけ。

おなかが空こうが、おなかが減りすぎておなかが痛くなろうが、必死になって台にしがみつき、ひたすらロボットのようにハンドルを握りつづけるか、レバーを叩いてボタンを押しつづけました。

パチンコ店は営業時間がかぎられているので、休憩する時間が惜しく、休憩を取るのであれば、その分を遊技(勝負)にまわしたいと思っていたからです。

そのほかにもいろんなものを犠牲にしてパチンコを打っていた私からすれば、食事なんてものは、なにをいまさらの話だったのでしょう。

しかし、さすがの私でも、この病的なまでにパチンコにのめり込んだ遊技スタイルが、みずからの命を危険にさらし、その場で奪い去っていこうとするなどとは、考えたこともなかったのです。

生命の水が命を奪おうとしていた

当時はパチンコをすることが生きがいであり、パチンコをできることが最上のよろこびだと感じていた私は、いつものようにパチンコ店に行き、その日はスロット台で遊技していました。

遊技していた台は、天下一の傾奇者で知られる戦国武将が、「悪魔」と呼ばれた漆黒の馬にまたがって、縦横無尽に戦地を駆け抜ける台。

飲み物を買いに行く時間も、トイレに行く時間ももったいない。すでに我らは修羅に入っている……

私はくるったサルのようにレバーを叩きます。が、途中で区切りがよくなったので、そのタイミングで飲み物を購入することにし、カラカラになっていた喉の渇きをいやそうと、席にもどってから、いっきに水を胃に流し込みました。

問題が起きたのは、まさにこの瞬間でした。

瞬時に起こる、まるで毒物を盛られたかのような拒否反応。おそらく水を飲む姿勢がわるかったせいで、飲み込んだ水の一部が気管に入ってしまい、私は「誤嚥」を起こしてしまったのです。

誤嚥(ごえん)とは

私たちが口の中に入れた飲食物は、食道から胃へと運ばれますが、喉にある食道の入り口には、呼吸をするための気管の入り口もあります。

通常であれば、飲食物を飲み込むさいには、気管の入り口にはふたがされるので、異物が気管の中に入ることはありません。ところが、ふたの開け閉めの機能が低下していたり、飲み込むさいに姿勢の変化があったりすると、場合によっては、気管の中に飲食物が入ってしまうことがあるのです。

このことを誤嚥(ごえん)といい、誤嚥を起こしてしまうと、最悪のケースでは窒息死することもあるため(とくに高齢者に多い)、通常であれば、誤嚥を起こした場合は、反射的にそれを出そうと「むせ込む」という防御反応が起きます。

私が感じた拒否反応とはこれでした。当然ながら、私もすぐにむせ込みそうになったのです。しかし、このとき私が置かれていた状況は、スロット台の目の前。

むせ込んで水を吐き出すとなると、スロット台めがけて吐くか、通路に吐き出すしかありません。

さらにいうと、このときというのは、水をいっきに流し込んでいたのでけっこうな量があり、それをしてしまうと、スロット台もしくは床が水びたしになってしまうのは必至と思われました。

そこで、私はこれ吐き出すのをこらえ、トイレまで走ることにしたのです。

ちなみにこの間、誤嚥を起こしてから0コンマ数秒。ようするに私は、むせ込みそうになった瞬間に席を立ち、一目散にトイレまで走ったのです。

トイレでの死者がまたひとり増えることになるか

隣の客
隣の客

ビクッ!(あいつ……死に申したか……

私は、入ってはいけないところに入ってしまった水を出そうとする防御反応を、口元を手でふさぐことで無理やりおさえながら、トイレまで走りました。

幸か不幸か、席とトイレは直線上にあり、その距離は10~15mほど。おそらくトイレが遠ければ、その場で吐き出していたと思うのですが、みょうにいけそうな距離感だったため、私はまにあうか、まにあわないかのギリギリのところを攻めることにしてしまったのです。

それから数秒後、口もとをおさえた手から若干の水がふきだすも、むせ込んで水を吐き散らしてしまうすんでのところで、みごとトイレに到着。私は、自動ドアのプッシュボタンを連打しました。

長年パチンコを打ちつづけてきたなかで、ここまでボタンを必死に連打したのは、あとにもさきにもこのときだけだったと記憶しています。

湊
ミナト

(早く開いてくれ!)

自動ドアが開くまでの1~2秒のあいだにすでに限界がきていたため、口元からは水がさらにもれ出してきます。が、なんとかトイレ内に到着した私は、かろうじて洗面台に水を吐き散らすことに成功!

間に合った。ホールに水をぶちまけなくてよかった。さて、遊技を再開しようか……

そう思いきや、事態はそれだけでは収束しませんでした。むしろほんとうの地獄が始まるのは、助かったと確信し、安堵しきった「ここ」からだったのです。

始まった呼吸困難、漂う濃密な死の気配

しばらくのあいだむせ返り、気管の中に入ってしまった水をすべて出しきれたと安堵したのもつかの間、私は強烈な違和感におそわれました。

……息ができないのです。

気管が痙攣を起こしてしまったのか、舌が喉もとに巻き付いてしまったのか、理由はさだかではなかったのですが、なぜか呼吸ができません。

さらに、息を吸おうとすると、喉元からは「ヒューヒュー」という、お祭りで売っている伸びる笛(正式名称は「吹き戻し」)を吹いたときのような音がし、息を吸い込むことも、吐くこともできません。

気道の中に水などが入ると、気道が閉塞する「溺水」というものや、それによって声帯付近の筋肉が痙攣し、一時的に呼吸ができなくなる「喉頭痙攣」という症状が現れることがあるらしく、いま思えば、わたしはそのいずれか、あるいは両方の症状を起こしていたのかもしれせんが、そんなことはいまはいいでしょう。

私は気づいてしまったのです。ペットボトルの水を口にしてからトイレに駆け込み、トイレでむせ返るまでのあいだは、ひと呼吸もしていないことを。

ある程度大きく息を吸ってから止めたのであればいざ知らず、なんの用意もなくいきなり息が止まった状態では、耐久時間はかぎられています。そのうえ、このときは、むせ込んだことによって息を大量に吐いているのです!

呼吸ができず、酸素が欠乏し、急激に苦しくなっていくなかで私は思いました。

湊
ミナト

(救急車、そうだ、救急車を……。あれ、そういえば、救急車って何番だっけ……?)

これぞまさに、緊急時あるあるといったところでしょう! パニック状態におちいってしまうと、ほんとうに必要な情報というのは、なかなか出てこないものなのです(いちおういっておくと、救急車は「119番」です)。

また、このときの私には、呼吸ができない苦しさとあせりで、携帯をいじる余裕なんてものもいっさいなく、そもそもそんなこと(救助要請)は不可能だったのですが、おまけにそれができたとしても、人に助けを求められない「決定的な理由」がありました。

そう、声を出すことができないのです!

電話をかける余裕もないため、考えていてもしかたがないことではありましたが、もし電話をかけられたとしても、声を出すことができないため、この緊急事態を、だれかに伝えることができません。

呼吸ができない苦しさが一定のラインを超え、しだいに意識がもうろうとしていくなかで、私は呼吸ができないつらさ、苦しさ、そして自分が置かれた絶望的な状況に対して思いました。

詰んだな、これは……と。

それは「眠り」への心地にとてもよく似ていた

意識のうすれ具合からして、おそらくあと十数秒もしないうちに、私は気を失って倒れるだろう。

これまで味わったことがない息のできない苦しさ、吸いたくても吸えないつらさ、それらの感覚が、意識とともに消えはじめました。ベッドに入り、入眠する直前の、あのふわふわしたような感覚に似ているような気がします。

人が「死ぬ」ときというのは、こういう感じなのでしょうか?「死」とは、 苦しみが浄化され、ただ眠りにつくようなものなのでしょうか?

しかし、それはこんなところで起きていいものではないでしょう。

パチンコ店のトイレで呼吸困難におちいって絶命……これがギャンブル依存症の末路か? いや、そんなふざけた人生の終わり方だけは許されない。まだ死にたくない、だれか、だれか助けて……

そんなことをうすれゆく意識のなかで最期に思いながら、膝から崩れ落ちた、まさにそのときでした。

湊
ミナト

ゲホッ!

気道が開いた(?)のです!

それからふたたびむせ返り、むせているあいだは、呼吸ができない苦しさがしばらく復活するも、なんとかすこしずつ酸素を取り込むことができ、どうにか呼吸をすることに成功。

ギリギリで意識を失う前に私は、この絶望的な状況から、生還することができたのです!

その後、席にもどった私はすべてがあほらしくなり、めずらしくまだ夕方ごろ(閉店前)だったというのに、出玉を流して帰りました。

今回のまとめ

・食事はきちんとしたほうがいい
・誤嚥を起こしたらさっさと吐き出さないと最悪死ぬ
・よく考えると末路ではなかった

まずは、このようなくだらない話を最後まで読んでいただいたことに、お礼を申し上げたいと思います。ほんとうにありがとうございました。

このままパチンコ店のトイレで死んでいれば、これが私にとってのギャンブル依存症の末路となっていたことでしょう。ただ、よくよく考えてみると、私は無事に生還することができたので、これは末路ではないというような気もしてきました。

では、真の末路とはなんだったのか? これは、おそらく多くの方が想像するであろう「破産」の意味で考えると、今後の人生を切りひらくため、すべてを賭けて臨んだ海外カジノでの勝負で、盛大に爆死したことだったのではないかとも思います。

パチンコ以外のギャンブルには依存することはなかったので、厳密にいえば、パチンコ依存症の末路。私にとってのそれは、海外カジノで、夢も、希望も、お金も失ったことだったのかもしれません。

なお、現在の私は依存症を克服することに成功しているので、今後そういった話は出てこないものと思われますが、似たような話であれば、ギャンブル依存症の体験談としてもまとめてあるので、よろしればそちらもごらんいただければと思います。

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