【破滅】パチンコで人生終わった人に(死ぬ的な意味で)なりかけた元依存者の話

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パチンコで人生が終わった人になりかけた話(パチンコ人生の末路)

パチンコ・スロットにのめり込んで借金をした。借金で首が回らなくなった。

お金・仕事・家族のすべてを失い、人生に絶望しながらその手で命を断った……。

パチンコで人生が破滅してしまった人の話、ようは「パチンコ人生の末路」は、ひと昔前であればよく耳にすることでもありました。

かくいう私も、ギャンブル(依存症)によって人生が狂った人間のひとり。以下のように、数々のものを失ってきた過去があります。

元依存者の喪失
  • 10年以上の依存・借金生活で犠牲となった本来あったはずの時間や機会
  • パチンコにつぎ込んだ1000万円以上のお金と借金にともなう高額な利息
  • 家族・恋人・友人などの大切な人の信用とその存在

では、そんな私にとっての、パチンコ・パチスロ依存症の末路とはなんだったのか?

ミナト

これはいろいろとありすぎて、どれをお話しすればいいか……

しかし「末路」、つまり一生の最後という言葉の意味で選択すれば、あれかなと思っています。

私も私でパチンコで人生が終わってしまうかと思った話、わりとまじめにパチンコ店で死にかけた話です。

この記事では、元重度の依存者の私が、そのときのことをお話しすることにしましょう。

パチンコばかりしていると、こんな「しょうもない人生の終わり方」も、ありうるかもしれませんよ?

著者プロフィール
ミナト

ミナト

10代で行った初めてのパチンコで大勝し、パチンコ・スロット漬けの日々へ。借金を重ね、多くを失い、10数年もの間ギャンブルをやめられなくなる。しかし他者の力も借りて依存症を克服。その経験をもとに依存からの脱出方法を発信している。併設店・専門店での従業員経験もあり。>> プロフィール詳細はこちら

目次

先に「人生が終わりそう」な人に言っておく

本題に入るまえに、いままさに「パチンコのせいで人生が終わりそう」な方にお伝えしておきます。

自分でいうのもあれですが、こんな話を読んでいる時間があったら、どうかギャンブル問題解決のほうにまわしてください。

私は歴10年以上の元重度のギャンブル依存者です。

現在は問題の解決に成功していますが、もし依存症を克服できていなければ、以下のような未来を順に迎えていたと思っています。

  • 劣悪な生活環境の賃貸住宅にがまんして住みつづけるか、実家に逃げ帰る
  • 年齢とともに仕事が減っていき、生活はさらに困窮。生活保護に頼らざるをえなくなることも
  • 60歳、70歳になってもパチンコがやめられず、アルバイト・フリーターを続けて孤独死

夢も希望もなく、そのまま人生は終わり(破滅)にむかって進んでいたことでしょう。

パチンコで人生を狂わされたのなら、なおさら人の末路を気にしている場合ではありません。

ほんとうに考えなければならないのは、自分自身のパチンコ依存症の末路なのです。

もちろん、人の話を参考にするのもありですが、この記事でする話は、いわゆる「末路」のようなシビアなものではありません。

さらにいうと、

依存者

自分よりももっとヒドイ人はたくさんいるんだなあ

と、人の話を聞いても、変に安心してしまうだけだったりもします。

そんなわけですから、いままさに危機的な状況にあるのなら、それを回避するために、以下の関連記事からさきにどうぞ。

本記事(本編)は、ギャンブル問題の解決後などに、お酒のツマミとしてでも読んでいただければと思っています。

パチンコ・パチスロ依存症の末路

では、ここからが本編の「パチンコ店で死ぬかと思った話」です。

以降はゆるくいくとしましょう。まずは病的ギャンブラーの特徴からご紹介します。

パチンコに行くと、途中で食事休憩などは取らず、水分以外はいっさい口にしなくなる。

これはもちろん、私の場合もそうでした。

朝10時の開店からパチンコ店に入ると、なにも食べずに閉店まで粘りつづけるのは基本中の基本。

そのあいだに口に入れるものといえば、水やお茶などの飲料だけでした。

  • おなかが空こうが、おなかが減りすぎて痛くなろうが、必死になって台にしがみつく
  • ひとたび入店しようものなら、ロボットのようにハンドルを握りつづけるか、レバーを叩いてボタンを押しつづける

休憩する時間が惜しく、休憩を取るのなら、そのぶんを遊技(勝負)にまわしたい。

パチンコ店は営業時間が決まっています。

そのため、できるだけ長く勝負したいと考えるギャンブル依存者は、そのような行動パターンを取るようになっていくのです。

食事なんてものは、いろんなものを犠牲にしてきた私にとっては、なにをいまさらの話でした。

しかし、そんな私でも、さすがに考えたことはなかったのです。

この病的なまでにパチンコにのめり込んだ遊技スタイルが、みずからの命を危険にさらし、その場で奪い去っていこうとするなどとは……!

修羅に入った私はいつのまにか毒を盛られていた

黒い大きな馬(松風)

パチンコをするのが生きがいであり、パチンコをできるのが最上のよろこび。

当時はそのように感じていた私は、いつものようにパチンコ店に行き、その日はスロット台で遊技していました。

遊技していた台は、天下一の傾奇者で知られる戦国武将が、「悪魔」とよばれた漆黒の馬にまたがり、縦横無尽に戦地を駆け抜ける台。

飲み物を買いに行く時間も、トイレに行く時間ももったいない。

なぜなら、「これより我ら修羅に入る!」と、なっていたからです。

ミナト

あのときは狂ったサルのようにレバーを叩いていました……

とはいえ、途中で区切りがよくなることもあるわけで、そのタイミングで私は遊技を中断。

飲み物を購入するため、自販機のほうへ向かいました。

席にもどってからは、カラカラになっていた喉の渇きをいやそうと、いっきに水を胃に流し込む。

……問題が起きたのは、まさにこの瞬間でした。

まるで毒物を盛られたかのような拒否反応が瞬時に起こったのです。

いったいなにが起きたのか?

なんと、飲み込んだ水の一部が気管に入ってしまい、「誤嚥」というものを私は起こしてしまったのです!

誤嚥(ごえん)とは

イブスター店長

説明しよう!

私たちが口の中に入れた飲食物は、喉の食道から胃へと運ばれますが、喉にはべつのものもあります。

そう、呼吸をするための「気管の入り口」ですね。

通常、なにかを飲み込むさいは、気管の入り口にはふたがされるので、異物が気管の中に入ることはありません。

ところが、以下のような状況によっては、気管の中に飲食物が入ってしまうことがあるのです。

  • ふたの開け閉めの機能が低下している
  • 飲み込むさいに姿勢の変化があってふたがされない

この、気管の中に異物が入ることを「誤嚥(ごえん)」といいます。

誤嚥は、起こしてしまうと、最悪のケースでは窒息死することもある(とくに高齢者に多い)危険なもの。

よって、通常これを起こした場合は、反射的に異物を出そうと「むせ込む」という防御反応が起きます。

私が感じた拒否反応とはこれのことでした。

当然ながら、私もすぐにむせ込みそうになったのです。

しかし、このとき私が置かれていた状況……それは、「スロット台の目の前」

むせ込んで水を吐き出すとなると、スロット台めがけて吐くか、通路に吐き出すほかありません。

さらにいうと、このとき飲み込んでいた水は、けっこうな量がありました。

「吐き出す」をしてしまうと、スロット台もしくは床が、ビシャビシャの水びたしになってしまうのは必至と思われたのです!

ミナト

どうするんだ! これ!?

そこで私がとった選択は、「水を吐き出すのをこらえてトイレまで走る」というものでした。

この決断をくだしたのは、誤嚥を起こしてから0コンマ数秒後。

ようするに私は、むせ込みそうになった瞬間に席を立ち、トイレを目指して、一目散に走りだしたのです!

パチンコで破滅する人生の最後は「死」

となりのお客

なにごとッ!?「死に申した」か……!?

入ってはいけないところに入ったモノ(水)を出そうとする防御反応。

口もとを手でふさぐことで、これを無理やりおさえながら、私はトイレまでひた走りました。

幸か不幸か、席とトイレは直線上にあり、その距離は10~15mほど。

おそらくトイレが遠ければ、あきらめてその場で吐き出していたことでしょう。

しかし、みょうにいけそうな距離感だったので、私はまにあうか・まにあわないかのギリギリを攻めることにしてしまったのです。

地を蹴るたび、口もとをおさえた手から若干の水がふきだしていく。

ミナト

もはやこれまで……

そう思われ、がまんできずに水を吐き散らしてしまいそうになった、まさにそのときでした。

私はトイレにすべり込むことができたのです!

自動ドアのプッシュボタンを連打する私は必死そのもの。

長年パチンコをやってきたなかで、ここまでボタンを本気で連打したのは、あとにもさきにもこのときだけだったと記憶しています。

すでに限界がきていたため、自動ドアがひらくまでの1~2秒のあいだにも、口もとからはさらに水が。

それでも、なんとかトイレに到着できた私は、洗面台に水を吐き出すことができたのです!

「間に合った。ホールに水をぶちまけなくてよかった。さて、遊技を再開しようか……」

これだけでおわっていれば、わざわざこんな記事を書くことはなかったでしょう。

ほんとうの地獄がはじまるのは、むしろ、助かったと確信し、安堵しきった「ここから」だったのです。

呼吸困難だからこそ救急車は呼べない

僧侶の台詞(ブログ運営者は死に申した)
ミナト

気管の中に入った水はすべて出しきれた……

しばらくむせ返ったことで、私はそう安心しきっていました。

ところが、危機を回避できたと思ったのもつかの間で、こんどは、強烈な違和感がおそいかかってきたのです。

そう、息ができない。

舌が喉もとに巻き付いてしまったかのようなナゾの圧迫感。

理由はさだかではありませんが、なぜかまったく呼吸ができません。

息を吸おうとすると、喉もとからは「ヒューヒュー」という、お祭りで売っている笛を吹いたような音がし、息を吸い込むことも、吐くこともできないのです!

あの伸びる笛の正式名称は「吹き戻し」。

気道の中に水などが入ると、気道が閉まる「溺水」や、喉付近の筋肉がけいれんして呼吸が(一時的に)できなくなる「喉頭痙攣」という症状が現れたりするといいます。

いま思えば、わたしはそのいずれか、あるいは両方の症状を起こしていたのかもしれせん。

でも、そんなことはいいでしょう。

水を口にしてからトイレに駆け込み、むせ返るまでのあいだは、ひと呼吸もしていないことのほうが問題だったのです。

ある程度息を吸ってから止めたのならいざ知らず、なんの用意もなしにいきなりでは、耐久時間はかぎられています。

それに加えて、このときの私は、むせ込んだことで大量に息(酸素)を吐いている。

  • 深く息を吸って止めた状態ではなかった
  • むせてよけいに酸欠状態になった
  • 酸素を補給するための息はいっさいできない

これらによって、苦しさだけでなく、急激なあせりも感じるようにもなっていきました。

まるでひどい2日酔いの人のように、喉を手でおさえ、涙をにじませながら、トイレの洗面台につっぷすわたし。

さすがにこれはやばいぞ。

身の危険を感じはじめた私は、助けをよぼうと考えました。

ミナト

そうだ、救急車を……!

ミナト

あれ、そういえば、救急車って何番だっけ……?

これぞまさに、緊急時あるあるといったところでしょうか……。

パニック状態におちいってしまうと、人はほんとうに必要な情報を、なかなか思い出せなくなってしまうのです!

救急車は「119番」です。

といっても、「救急車は何番だっけ」を思い出せたとしても、もはや意味のないことでした。

このときの私には、人に助けを求められない「決定的な理由」があったからです。

そう、声を出すことができないのです!

もし電話をかけられたとしても話せない。言葉を発せない。この緊急事態をだれかに伝えることなんてできない……。

呼吸困難による苦しさが一定のラインを超え、しだいに意識がもうろうとしていくなかで、私は思いました。

「詰んだな、これは……」と。

それは「眠り」への心地にとてもよく似ていた

救急車の台詞(なんだ、気のせいか)

「意識のうすれ具合からして、あと数秒もしないうちに、おそらく私は気を失って倒れるだろう」

  • 味わったことのないような苦しさ
  • 息を吸いたくても吸えないつらさ

それらの感覚が、意識とともに消えはじめました。

ベッドに入り、入眠する直前の、あのふわふわした感覚に似ているような気がします。

人が「死ぬ」というのは、こういう感じなのでしょうか?

「死」とは、 苦しみから解放されたそのさきで、ただ眠りにつくようなものなのでしょうか?

でも、もしそうだったとしても、それはこんなところで起きていい話ではありません。

パチンコ店のトイレで呼吸困難におちいって絶命……。そんなふざけた人生の終わり方が許されるはずはないでしょう!

しかも原因が、水を吐き出すのをがまんして窒息死、なんてのもシャレになりません。

ギャンブル依存症の末路とは、こんなにも、みじめでぶざまなものなのでしょうか!?

「死にたくない。まだ死にたくない……。だれか、だれか助けて……!」

うすれゆく意識のなかで、そう最期に思いながら、膝から崩れ落ちた、まさにそのときでした。

とつぜん「グホァ」といったような音とともに、ふさがっていた気道がひらいた(?)のです!

それからはふたたび、むせるむせる。

どうやらまだ気管の奥に水が入っていたようで、私はまたしばらくむせ返りました。

それでも、“むせられる”ことによって、すこしずつ酸素を取り込めるようにもなっていったのです。

呼吸ができない苦しさも復活していきましたが、数分後には、どうにか呼吸をすることにも成功。

冗談ぬきにギリギリで意識を失うまえに私は、この絶望的な状況から、なんとか生還することができたのです!

となりのお客

「運があれば毒を盛られても生き延びる(前田慶次)」と……

ミナト

もういいわ、疲れた……

その後、席にもどった私はすべてがあほらしくなり、めずらしくまだ閉店前だったというのに、出玉を流して帰りました。

これが、元依存者が経験した「パチンコで人生が終わった人になりかけた」ときの話です。

今回のまとめ

  • まさにいま人生が終わりそうなら問題解決への行動を
  • 誤嚥を起こしたらさっさと吐き出さないとサイアク死ぬ
  • よく考えるとこの話は「ギャンブル依存症の末路」ではなかった

恥ずかしながら、人生で強く「死」を意識したのは、私にとってはこれがはじめてでした。

このままパチンコ店のトイレで死んでいれば、まさしくこの体験は、「ギャンブル依存症の末路」となっていたことでしょう。

ただ、よくよく考えてみると、私は無事に生還することができたわけで、そうなるとこれは末路ではないという話にもなってきます。

では、真の末路とはなんだったのか?

一般的に認識される「破産」の意味で考えるとすると、こんどはあれかなと思っています。

今後の人生を切りひらくため、すべてを賭けて臨んだ海外カジノでの勝負で、盛大に爆死した話です。

パチンコ(スロット)以外のギャンブルには依存することはなかったので、厳密にいえば、パチンコ依存症の末路。

私にとってのそれは、海外カジノで、夢も、希望も、お金も失ったことだったのかもしれません。

なお、一般的な「パチンコ人生の末路」のような話なら、ギャンブル依存症の体験談としてもまとめてあります。

こちらはいたってまじめな話なので、よろしれば、そちらもごらんいただければと思います。

それから、いままさにギャンブル問題に直面しているのなら、こんなくだらない末路を迎えないためにも行動しましょう。

ギャンブル問題は、なにもしなければ、結局はそれぞれの末路を迎えるだけの話ですよ。

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