私は10年以上にわたって、ギャンブル依存症に苦しめられてきました。
依存対象はパチンコおよびパチスロで、これまでに失った金額は1000万円をゆうに超えています。
当然借金もしていたので、さらに多くのお金(利息分)を失ってきました
しかし現在は、ギャンブル依存症を克服することに成功し、パチンコやスロットのない人生を歩めています。
- なぜ私はギャンブル依存症になってしまったのか
- ギャンブルと借金地獄から抜け出せない10年以上はどのようなものだったか
- ギャンブル依存症を克服できたのはどうしてか?
この記事では、重度のギャンブル依存症だった私が借金を清算し、依存を克服するまでの、パチンコ依存症の体験談をお話しします。
過去にギャンブル問題で悩んでいたなら継続の力に。いまも悩んでいるなら解決の力に。予兆を感じているなら抑止力に
そうなれると思って書きました。
ギャンブル問題でいまも困っているなら、解決へのヒントも提示できるはずです。
ぜひ最後までごらんいただき、問題の解決や、今後のための参考にしてみてください。
ミナト
10代で行った初めてのパチンコで大勝し、パチンコ・スロット漬けの日々へ。借金を重ね、多くを失い、10数年もの間ギャンブルをやめられなくなる。しかし他者の力も借りて依存症を克服。その経験をもとに依存からの脱出方法を発信している。併設店・専門店での従業員経験もあり。>> プロフィール詳細はこちら
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私はこうしてギャンブル依存症になりました
17歳のとき、初めて行ったパチンコ店で、5000円が10万円に化けた
年齢的な話は、もう時効なのでいいますが、
当時まだアルバイトもしたことがない高校生だった私は、たったの数時間で、いとも簡単に、身の丈にあわない大金を手にしました。
そこで感じたのは、これまで味わったことのないような血の高ぶりと、そして熱気。
- 鋼鉄のボールような玉の重み
- 確率を完全に無視した止まらない連チャン
- そしてそれらが、最後は大金に交換される
私はたった1日で脳が焼かれ、このできごとがすべてのはじまりとなって、ギャンブルにのめり込んでいったのです。
大学へは進学するも、ほとんど行かなくなるのは時間の問題でした。
いちばん多いときでは週に6~7日、ようはほぼ毎日、パチンコ店に入りびたる生活を送るようになります。
- 負けてパチンコをするためのお金がなくなれば、学生ローンや消費者金融からお金を借りてパチンコへ
- これ以上借りられないところまでくると、借金を返済するため、時給の高いパチンコ店で働きはじめた
でも、アルバイト先は、みごとにギャンブル好きだらけでした
私はアルバイト仲間といっしょに、近隣のパチンコ店にも遊びに行くようになりました。
それまでソロだった私としては、友人といっしょにやるギャンブルも刺激的です。
夕方からのアルバイトがおわれば、バイト仲間と朝まで麻雀に興じるようにもなっていきます。
どんどんのめり込んでいきました。
ひどいときは、麻雀のあとで開店したパチンコ店に行き、さらにはそのまま夕方のアルバイトへ……といったぐあいに。
借金を返済するためにはじめた仕事のはずが、寝る間も惜しむほど、よけいにギャンブルにのめり込んでいってしまったんだな
当然のことですが、パチンコ店に行けば行くほど、お金はなくなっていきます。
私の場合は、以下のような状態となっていました。
- 負けたお金を取り返そうとパチンコ店に行く → また負けてお金を失う
- パチンコでの借金を返すために働いてかせいだお金も、パチンコに消えていく
- 大学にはまったく行かず、借りている奨学金(年間約100万円)だけがムダに消えていく
- しまいにはその奨学金も、パチンコのために手をつけてしまう
生きる意味を見いだせない生活。そして、増えつづけていく借金の残高。
私は、しだいにふさぎ込むようになっていきます。
授業来なくて大丈夫か?
大学の友人や教授からは、サボりを心配する連絡が来るようになりました。
けれども私は、その連絡を見ることがこわかった。
それを見てしまうと、現実を直視しなくてはいけなくなるような気がしたから。
私はいくつもの差し出された手を払いのけ、日々、パチンコ店へと向かったのです。
「死」を意識しはじめた依存症のつらさ
ギャンブルによって精神状態はみるみるやつれていきました。
アルバイト先のパチンコ店には、ある日とつぜん行けなく(出勤できなく)なってしまい、無断欠勤でクビが通告。
大学の友人はおろか、心をゆるせるはずの古くからの友人にさえ、私は会うことも、話すこともできなくなっていきました。
大学に行かない時間が増えるにつれ、必然的に自宅にいる時間は増えていきます。
でも自宅にいると、自分の人生を悲観し、人生を終わらせること(死ぬこと)しか考えられません
そのため、そのつらさから、現実から目を背けるために、私はパチンコ店へと向かいました。
パチンコをしているあいだは、なにも考えなくてすみました。
- お金のことや、人生のこと、いやなこと
そんなものはなにも考えずに、ただハンドルを握るか、レバーを叩いてボタンを押しつづけるだけ。
ところが、パチンコ店を出ると、いつも財布の中身はカラッポです。
軍資金は相変わらずの借金で、増えた借金は、急激に私を現実へと引きもどします。
そして、それを突きつけられた私は、いつもひどいうつ状態になっていました。
ただ、そう(逃避をしてもうつになるだけ)だったとしても、
現実に押しつぶされないようにするためには、パチンコ店に行くしかない……。
だから、私は、行ったのです
負けても、借金が増えても、精神が崩壊しそうでも、私はパチンコに行くしかなかった。
そのときだけは、すべてを忘れることができたから……!
最初はほんとうに、ただ楽しかっただけ
そんなパチンコはいつのまにか、つらい現実から目を背ける「依存対象」となってしまっていたのです。
しかし、それは現実を、さらにつらいものに変えるだけでした。
合計3社まで借入先が増えた多重債務
さて、私は学生のころから借金をしていたわけですが、
パチンコによってできた借金は100万円近くになっていました。
借り入れは学生ローン+消費者金融2社で、もう限度額いっぱいまできていました。
しかしこのときの借金は、
- 奨学金を学費ではなく返済にまわす……
などして、いちおう完済という形をとれたのですが、ここで新たな問題が発生します。
パチンコ店に入りびたりすぎていたせいで、大学を卒業することはもはや絶望的となっていたのです。
4年間在籍していて、単位なんて、最初の1年間で取れたぶんくらいしかありませんでした。
そんなとき、知り合いの飲食店の経営者から声がかかります。
ミナトくん、行くあてなかったら、うちで働かない?
私「あ、じゃあ、働かせてください……」
このころは、借金問題が解決し、アルバイトもクビになって働いていなかったこともあり、精神状態はやや回復傾向にありました。
(※後述しますが、助っ人の存在もあり、それも精神状態の改善につながっていました)
そこで私は、大学をやめて飲食店に就職するという道をえらびます。
が、なんとその飲食店での仕事は、1日12時間以上の労働はあたりまえ。
休みもほとんどなく、1か月間まるまる休みが取れないこともある過酷なものでした。
最大で20時間拘束とかもあって、かなりエグかったですね
さらには、社長の過剰なまでのスパルタ教育によって、肉体的・精神的な疲労が限界に達するのには、そう長くはかからなかったのです。
殴る・蹴るはあたりまえの職場で、いつ暴力をふるわれるかと、仕事中の私は、いつもおびえた小動物のようになっていました。
それでも、1週間に1回は時間を見つけて、私はパチンコ店へと向かいます。
どれだけ疲れていても、パチンコのためなら動けたからです。
まあでも、そんな生活が長くはつづくはずもないわけだ
1年ほどで(とくに精神的に)限界をむかえた私は仕事を退職。
晴れて自由の身となったことで、
- たまりにたまったストレスを発散させるかのように、
私はふたたび、パチンコ店に入りびたるようになっていったのです。
借金の限度額はふたたび最大値へ
無職となった私は、このへんで競馬にも手を出しはじめます。
いちどは完済した消費者金融から、またお金を借りてギャンブルをするようにもなりました。
そうすると、早いもので、
わずか1か月ちょっとで、借金は、一気に限度額の80万~90万円(消費者金融2社分)に増えてしまっていたのです。
当然ながら、「無職・借金・ギャンブル」なんて生活が成り立つわけがありません。
このままでは、生活が立ち行かなくなってしまう……。
この危機にあせりを感じだした私は、かせぎがよかった派遣社員として働きはじめます。
(※このときはコールセンターで働いていました)
- 収入が増えれば、より多くのお金を引き出せるようになる……
年収が上がったことで審査にも通過しやすくなり、3社目の契約にも手を出しました。
最大で120万円ほどにまで借り入れが可能となっていたのです。
ギャンブルへの「依存」を認識した瞬間
さきほど「助っ人の存在」がどうとかいいましたが、これを補足しておきます
私はかつて、「バー」で心を救われた経験があり、いつかは自分もバーテンダーになりたいと思っていました。
そしてコールセンターでの派遣時代が、そのタイミングになり、私はもともとやりたいと思っていたバーの仕事についたのです。
しかし見習いのバーテンダーも、まあツラかったと
勤務先のマスターがかなりのくせ者だったんですよね。
やはりここでも、心臓をナイフでえぐられるかのような(精神的な)パワハラはありました。
そして、そのツラさから逃げるようにして、ギャンブルへの依存はふたたび加速していきます。
パチンコで負けてストレス。仕事でもストレス。またパチンコで負けてストレス……
やや落ち着きをみせていたうつ状態は、またしても悪化しはじめます。
仕事中に吐き気をもよおすこともありました。
「もうほんとうにダメかもしれない」と感じるようにもなっていきました。
毎日考えていたのは、冗談とかではなく、「通勤中にトラックが突っ込んできて事故死できないか」、といったことばかりでした
しかし、ここでもバーは私に味方をしてくれます。
職場ではなく、行きつけバーで話を聞いてもらっているとき、ふと私は思ったのです。
これまで起きていた、パチンコに行く現実逃避、つまり「逃げ」は、気持ちの「弱さ」や「甘え」とかではなく、ギャンブルに「依存している」だけなのでは?(うつは併発している病気なのでは?)
それが、患っていた精神的な病気/ギャンブル依存症を、自身で(なんとなくではあるものの)認識できた瞬間でした。
認識ができれば、対策を打つこともできます。
私はしらべて実践し、まずはなんとか(現実逃避をしたくなる原因の)慢性的なうつ状態のほうを脱することに成功。
それにともない、ギャンブル依存症も、つらいことから目をそらす、現実逃避のためのものではなくなっていきました。
ちなみにこのとき実践していたのは、「朝起きて日の光をあびて運動する」などです。
慢性的なうつ状態は、このときは夜型の生活も大きく関係していたように思います。無理やりにでも朝起きるために、朝からの仕事を入れるなどしていました。
ところがどうでしょう、これによってパチンコは、まったくべつの存在へと変貌をとげたのです。
そう、娯楽なんてものではない、身を滅ぼしながらも生活資金を賭けられてしまう、快楽をむさぼる「賭博」へと……。
借金の返済生活とギャンブル依存症の変異
私は生活基盤のため、ギャンブルによる借金の返済のため、朝から晩まで働きつづけていました。
生活を可能なかぎり切り詰め、1日の睡眠時間は、1~3時間の仮眠が数回と体を酷使して。
このとき、借金の総額は、限度額を維持していて「120万円」ほどでした
借金がこのくらいの金額になると、お金を借りているだけで毎月の利息が2万円近くにもなります。
「できることなら金利の安いおまとめローンなどで借金を一本化したい……」
と思うも、すでに多重債務におちいっていた私に信用はなく、大手のローン会社はすべて門前払い。
しかたなく、高い利息と借金の元本を毎月返済していました。
返済をつづければ、借金の元本も減っていくから、2年間もあれば余裕で借金を完済できるだろう……
このときは、そう高をくくっていました。
ギャンブル依存症という病は、そんなに甘いものではないということを、このときの私はまだ理解できていなかったのです。
娯楽の域を超えた遊技という名の賭博
消費者金融3社、そのすべてが限度額いっぱい
これをなんとかするため、はじめこそ私は、必要最低限の生活資金を残し、のこりすべては借金の返済にあてていました。
でも、そんな生活は、2~3か月ともちませんでした
- 遊びに行きたくても、遊ぶお金があるなら借金の返済にまわさないといけない
- なにかほしいものがあっても、なにか食べたいものがあってもそれはダメ
したいことをするお金があるなら、すべてを借金の返済にまわさなければ……の生活に、早くも限界を感じたからです。
返済生活のはじめのころは、そもそもお金をこれ以上借りられなかったので、パチンコをしたくてもできない状態がつづいていました。
ところが、そんな息が詰まりそうな生活に嫌気が差してきたこともあり、私はこう考えるようになってしまったのです。
ギャンブルでできた借金はギャンブルで返そう。遊びたいお金がないのなら、パチンコで勝てばいいんだ
もはや幻想としか思えない思考だが……返済生活のツラさもあって、そう考えてしまったんだな
必要最低限を支払った余りをいったん返済にまわして、利息だけを払っておけば……金はつくれる。
まるで自転車操業のように、私は、生活を賭けてパチンコに行くようになったのです。
借金の返済生活が、泥沼化しはじめた瞬間でした。
パチンコでの借金返済には息抜きは絶対に必要で、「お金は全部返済に回さないと……」は失敗するやり方です。
また泥沼化をふせぐ方法もあって、借金はそれ自体を減らして返済をラクにすることもできます。余裕をもって完済を目指せる手段があるのですね。
そういったことも自力で返済する6つのコツでまとめてあるので、借金問題で困っているなら、あわせてチェックしておいてください。
ギャンブル依存症による脳の変化
ギャンブル依存症になると、ギャンブルに関する刺激に対しては、脳が過剰に反応するようになるといいます。
ところがその反面、ギャンブルに関係のない刺激には、脳があまり反応しなくなるそうです
残念なことに、私もその状態におちいってしまっていたのでしょう。
日々の生活はできるだけ切り詰め、のこりのすべてはギャンブルに費やす。
それはまさしく、ギャンブルがこの世の中でいちばん楽しいものだと思い込み、それ以外には関心がなくなっていたからだと思います。
当然のことながら、この大きな「脳の勘違い」は、生活を圧迫しはじめます。
はじめは、家賃や公共料金などの支払いは期限までに支払っていました。
けれども、それらの絶対に手をつけてはいけないお金にまで手をつけ、パチンコに行くようになってしまったのです。
- そういったお金に手をつけたらどうなるか、もし負けたらどうなってしまうのか?
そんなことは、もちろん自分でもわかっていました。
でも、欲求が自制心をはるかに上まわっていたため、自分自身ではこのときすでに、歯止めがきかなくなっていたのです。
結果、光熱費などの支払いはすべて遅れ、家賃は滞納です
不動産会社からは、お金を借りてでも払えといわれます。
給料日まで2~3週間もあるというのに、所持金が5000円くらいしかないといったことも多々起こるようになっていきました。
(※お金なんてもう借りられないので、生活費がないときの策を使ってなんとか生き抜いていました)
もうパチンコはやめよう。パチンコはやめる。
何度心に誓ったことでしょう。
それでも、3日もたてばパチンコへの欲求はふたたび目覚め、お金が手に入るたび、私はただおなじことを繰り返したのです。
ひとりの力の限界
それで、このあたりで、私は思い知ったわけです
ギャンブル依存症の前では、ひとりの力はあまりに無力で、非力で、ぜい弱であることを。
自分だけの力で問題を解決していくのはむずかしすぎる……
私にのこされた手段は、他者にたよるしかありませんでした。
当時交際していた人に、借金問題解決の協力を要請します。
人の助けを借り、借金の返済がすこしうまくいっては、ふたたびパチンコに手を出して失敗。
それでもあきらめず、何度も挑戦しつづけたところ、ついに借金(消費者金融)の完済には成功します。
それはじつに、返済生活をはじめてから8年以上もあとのことでした。
借金を完済後、消費者金融3社との契約をすべて解約し、ギャンブル依存症もようやく終わったかに思えました。
でも、そんなことではまだ終わりません
こんどは借金の完済後につくったクレジットカードを使い、キャッシングをしてパチンコに行くようになってしまったのです!
いちどギャンブル依存症になってしまった人間の脳には、ギャンブル依存を発生させる回路が一生のこるといわれています。
借金がなくなったことで、
- 新たにお金を借りることへの抵抗を感じるようになったり
- パチンコをしたいと思う衝動が減ったり
するなど、依存症の症状は、たしかに落ち着いてきてはいました。
ただ、それだけではパチンコを人生から完全に切り離すことはできない、ということだったのでしょう。
時をおなじくして、当時の恋人と別れる出来事が起きてしまいます。
そしてこれが、私にとっての本気でパチンコをやめるきっかけとなりました。
(※ギャンブル依存症という病気をハッキリと認識できたのも、このときでした)
私は、ようやくここにきて、さらなる大きな行動を起こします。
なかには、恥を忍ばなければならないことも、たしかにありました。
でも、
苦汁をなめてでもパチンコを人生から排除しなければ未来は切り開けない。そうしなければ、自分の人生はギャンブルでおわってしまう
そう確信したのです。
悲願が叶うとき。それは、私にもおとずれました。
はじめてパチンコ店に入ってから苦節10年以上。
ついに私は、パチンコ依存症克服の最終手段を行使することで、ギャンブル問題による長い苦しみから、自分自身を解放することができたのです。
ギャンブル依存症の克服体験談で伝えたかったこと(まとめ)
- ギャンブルがやめられないのは依存症という病気だから
- 借金をふくめたギャンブル問題をひとりで解決するのはかなり難しい
- あきらめさえしなければ、だれでもギャンブル問題は解決していける
ここまで読んでいただきありがとうございます。最後に伝えたかったことをまとめます
この話をすることで伝えたかったこと、それは、「ギャンブル依存症は克服できる」ということ。
そして、もうやめたいと思った瞬間から、じつはその機会は目のまえに用意されているということです。
思えば、私にも、パチンコをやめるチャンスは何度もありました。
でも、結局のところ、
- まだ大丈夫だろう、なんとかなる、自分はそんなひどい病気じゃない
と思いつづけてきたからこそ、問題は長期化し、限界がくるまで本気で動こうとしませんでした。
私の場合は、恋人が自殺未遂をしてしまい、それでもパチンコに行っているという、最後はほんとうに悲惨なものでした。
- 仕事も、家族(奥さんや子ども)も、すべてを失った
- 犯罪に手を染めてしまい、警察に逮捕されるところまでいった
など、私以上に深刻な末路をむかえてしまった人もたくさんいます。
しかしここまでの問題は、早い段階で「認識」さえできていれば、回避できるはずです。
なにを認識するのかというとだな
ギャンブルへの依存は病気で、場合によっては自分ひとりの力ではどうにもならない(=人の力を借りるしかない)ということをです。
ここにたどりつかれたのは、きっと、目のまえに用意されたひとつの機会です。
どうかこのチャンスをいかし、自身の問題を認識し、すでにどうにもならないなら、人の助けを借りる手段も考えてみてください。
それと、もうひとつ、大事なことです
けっしてあきらめないでください。
これまでギャンブルをやめようとする努力は、絶対にしてこられたと思います。
それでも、どうしてもうまくいかないから、(まだやめられていない場合は)行ってしまうんですよね?
それでも、あきらめなければ、かならず道はひらけます。
ギャンブル依存症から解放された「本当の人生」は、取りもどすことができるのです。
こんな私でもできたようにです!
ギャンブルは、お金も、時間も、ときとして人生をも奪っていきます。
しかし信念までは奪うことはできません。
ですから、依存症によって苦しめられているなら、ぜひもういちど一歩を踏み出してみてください。
道というものは、どこまでもつづいています。
- 暗くて前が見えなくても、月明かりが足もとを照らしてくれます
- 目の前が草木でおおわれていても、何度も歩けば、そこはケモノ道となります
だから、いっしょに進んでいこうじゃないか
これから踏み出すそのさきに、かならず、ギャンブルのない道はありますよ。
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