
パチンコ屋なんて潰れてしまえばいいのに……



潰れてほしいです、マジで……
パチンコはギャンブル依存症の原因としては最大のものとされ、日々多くの犠牲者を生みだしています。
かくいう私も10年以上やめられなかった元依存者で、そのように恨んでいたこともたしかにありました。
でもいまは「パチンコ屋は潰れろ!」とは思っていません。本記事でお話しするつぎの理由があるからです。
- どんなものごとにも良し悪しがあるから
- パチンコ業界もいちおう社会貢献はしているから
- 「潰れろ」よりも、もっといい考え方があるから
当ブログでは、私の経験をもとに「パチンコをやめるための情報」を発信しています。
そのため、パチンコに対して否定的な意見をいうこともたしかにあります。



ただ、パチンコ業界を全否定する気はありません
パチンコを楽しめている人にまで文句をいう気はなく、潰れてしまえより効果的な「無関心」に私がなっているからです。
そこで本記事では、そういったことをふまえ、パチンコ問題を解決させる私個人の考え方をお話しします。
恨むよりも健全な「無関心」は、なにがどう効果的なのかもくわしく説明するので、どうぞフラットな状態にしてお聞きください。


ミナト
10代で行った初めてのパチンコで大勝し、パチンコ・スロット漬けの日々へ。借金を重ね、多くを失い、10数年もの間ギャンブルをやめられなくなる。しかし他者の力も借りて依存症を克服。その経験をもとに依存からの脱出方法を発信している。併設店・専門店での従業員経験もあり。>> プロフィール詳細はこちら
パチンコの潰れてほしいにちょっと待った
あらゆるものごとは、良い面と悪い面が混在しているものだと思います。
たとえば、私は元バーテンダーです。
お酒は楽しい時間を過ごせるメリットがある反面、アルコール依存症という、深刻な病を発病させるリスクをかかえています。
- 物欲を満たすモノでは、ブランドなどの魔力にとりつかれ、お金を横領してまでつぎ込んでしまう人もいる
- 好きな食べ物では、食べつづけていたのが原因で、健康状態を悪化させてしまう人もいる
- 趣向品のタバコでは、これも依存性の高さからやめられなくなり、他者の健康まで害することもある
これらはすべて極端な話です。
しかしこのように、どんなものごとにも二面性はあるはずで、それはパチンコも一緒だと思うのです。
かつては、パチンコやスロットが楽しかっただけのときも、きっとありましたよね?



依存症になってしまうほど楽しかったんですよ
でも、ひとたび依存症になってしまえば、そんなことはもういっていられません。
- 多重債務による借金地獄
- 自分のもとから去っていく「恋人・家族・友人」などの大切な人
- 夢も希望も失い、それでもやめられないパチンコ
楽しかったときの記憶なんてクソくらえです。
私たちの体は、純粋にパチンコを楽しめるものではなくなってしまい、昔のような「ただ遊べていたころ」にもどることはほぼありません。
だからこそ、そうなってしまった以上は、「恨む」しかない。
パチンコが持つ悪い面を意識することで、私たちはパチンコから遠ざかっていくしかないのです。
ただ、悪い面ばかりを見ていても逆によくないこともあるわけですよ。
これこそが「無関心」につながる話でもあるので、さきに、パチンコが持つ良い側面にもふれておくことにしましょう。
パチンコは役に立たないというとそうでもない



パチンコなんて何の役にも立たないよ
と、思えてしまいますが、いちおう良い面もあります。
- パチンコで勝って楽しかった
- 手軽にスリルを味わえる
- 台のタイアップ料金で版権の続編が作られた
こういったことも、まあその部類に入るかもしれません。
ただ、どちらかというとパチンコが持つ良い面は、地域・社会貢献などのボランティア活動にあるのではないかと私は思います。
これは、パチンコ業界の関連団体やグループによっても異なりますが、以下のような活動がおこなわれています。
- 植林活動
- 地域清掃活動
- 被災地復興支援
- 児童養護施設支援
- 無返済型奨学金支援
それぞれがどのような活動なのか、簡単に見ていきましょう。
1. 植林活動
パチンコ業界の社会貢献でよく知られているのが、この植林活動です。
もともとは、2008年に埼玉県で森をつくる事業として始まったのがきっかけでした。
その後は東日本大震災で被災した青森~千葉間の、海岸防災林を再生する活動へとつながっています。
これは「日遊協」によるもので、2017年にひと区切りがついたようですが、まだ継続されています。各グループ企業も参加しています。
2. 地域清掃活動
植林活動でひと区切りをつけた「日遊協」は、2018年から地域清掃活動へもシフトしています。
「まずは九州から」をテーマに、全国展開や、環境保全にもかかわっていくそう。
また、それ以前からも各グループ企業によってゴミ拾いはおこなわれていたなど、清掃はメジャーな地域貢献活動だといえます。
3. 被災地復興支援
被災地復興支援は、大手のグループ企業がしているのをよく聞きます。
- 豪雪や水害
- 地震
などの災害にあった被災地には、
- ボランティア活動として現地へおもむき支援物資を届ける
- 来店客の協力によって得られた玉・メダルに相当する額を義援金(支援金)として送り届ける
といった復興支援活動が実施されています。
4. 児童養護施設支援
養護施設などへの支援も、各パチンコグループ企業で聞く話です。
全国の福祉施設や児童養護施設などに対して、
- お菓子やプレゼントをくばる
- 施設を維持するための支援金を寄付する
こういった支援活動がおこなわれています。
5. 無返済型奨学金支援
パチンコ業界が「福祉さぽうと21」という組織と協力し、奨学金支援をおこなっています。
通常奨学金を利用する場合は「貸与型」、つまり借金をすることになりますが、これを無返済にする支援です。



店舗に募金箱が設置されたりしていますよね?
あれに来店客が玉やメダルを入れることで、貸し玉相当額が寄付されるわけです。
それによって、日本国内の学校にかよう(経済的に困難な)学生が支援される仕組みとなっています。
パチンコが完全に悪いとは言い切れない
- 一部の売上などを寄付する
- 業界関係者がボランティア活動に参加する
ここまでの話で、すくなからずパチンコは良い面も持ち合わせていることがわかりました。
とはいえパチンコは、建前上は「遊技」、実態はただの「ギャンブル」です。
そういった負のイメージを払拭するために慈善活動に力を入れている、という部分もやはりあるでしょう。



でも、理由はどうあれです
慈善活動をしているのは立派なことだと思います。
それで救われている人もじっさいにいるわけですから。
- うまく付き合っていける人にとってはいい趣味になる
- お年寄りにとっては地域住民の交流の場にもなる
- それこそ支援で救われた人にとっては恩がある場所になる
など、必要としている人がいることも、まぎれもない事実でしょう。
ですから、パチンコの存在がただ悪いだけの「諸悪の根源」でしかないとは私にはいえないのです。
元依存者である私も、パチンコによって多くのものを失ってきたので、当時は思うところは多々ありました。



なくなってくれればもう行かずにすむのに……とかですね
なにをどういっても、パチンコが賭博であることに変わりはありません。
そこにあるかぎり依存者を生みつづけますし、依存症となってしまった人へのサポート体制も充実しているとはいえません。
ひとたび依存症になってしまえば、自力で(または他者の力を借りて)問題を解決できなければ、永遠にしぼり取られことになります。



だったら、やっぱり「恨む」しかないね
いや、そこで「無関心」がでてくるのです。
無関心……つまりはすべてを水に流し、すでにおわった過去のこととして処理するのです。
恨みなき無関心の境地へ達しよう(人を呪わば穴二つ)
- パチンコ店なんて潰れてしまえ
- いますぐに全部なくなってしまえ
こういった怒りや恨みを禁パチンコへの原動力にするのはたやすいです。
負の感情が持つエネルギーはひじょうに大きく、それは正の感情よりもはるかに人を突き動かしやすいものだから。
ただ、それだと「ゴール」がないんですよ。



そう、ゴールです
パチンコ業界を恨み、呪いつづけてパチンコへの依存から脱出できたとしましょう。
でも、そのさきにあるものはきっと、恨みの感情が晴れない、果てのない怒りだと思います。
- 近場の店舗が潰れたざまあみろ
- もっともっと潰れてしまえ
- なにか冷やかしに行ってやろうか
私たちが奪われてきたものの多くを考えれば、そう思うようになってもしかたがない部分もあるでしょう。
けれども、「人を呪わば穴二つ」です。
なにかを恨んで相手の墓穴を掘りつづけていれば、いずれ掘った墓穴に自分も落ちてしまうと私は思うのです。



あれだけ恨んだパチンコ依存が復活してしまって……とかですね
だからこそ、もうおわったことは水に流すでよくないですか?
「行きたい人は行けばいい。自分はもう行かないけどね」



それでいいんですよ
奪われたものはこれから取り返して行けばいい。
相手の「墓穴」を掘るのではなく、これからは、自分が探検できる「洞穴」を掘っていけばいいのです。
自分から数々のモノを奪ってきたパチンコの存在を認めるのはたしかにむずかしい。
でも、それを認めてスルーでき、依存症も克服できたのなら、その後につづく道はきっと明るいはずです。
行きたい人が勝手に行けば、それで社会もまわり、パチンコが人の役に立つこともあります。
それなら潰れろと、そこで救われる人たちまで「不幸になる」のを願う必要なんて、もうないですよね?
パチンコの存在を否定はせず、いちおうは認めてスルーし、それでいて依存症も克服する。
これこそが、無関心になるということです。
そしてこれが、パチンコ依存を克服する考え方としては、いちばんいいのではないでしょうか?
今回のまとめ
- パチンコには良い面と悪い面がある
- 「潰れろ」の先にあるのはゴールのない怒り
- 無関心でスルーできるようになれるといい
パチンコ店がなくなれば行けなくなりますし、日本から消えればギャンブル依存者も激減するでしょう。
ただ、なくなったらなくなったで困る人もいるはずなので、これはそう簡単な話でもないと思います。
だからこそ、
行きたい人だけ勝手に行けばいい。自分はもう行かないけどね。
というスタンスでいいのではないかと私は思うのです。
恨みの感情を持ちつづけるのは、いつまでも「パチンコが頭の中にある世界で生きる」ことを意味します。
ですから、これはもうおわった話として人生から排除しましょうよ。
今後はパチンコのない、「無関心の世界」で生きていくことにしませんか?
きっとそのほうが、今後の人生はハッピーになると思います。
そして無関心になることが、再発をふせぐもっとも効果的な方法でもあると、もうパチンコには行っていない私は思いますよ。
後悔するならそれを生かそう
パチンコをやめたあとの生活
パチンコをやめる方法まとめ
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コメント一覧 (2件)
こんばんは。
別の記事で、コメントさせて頂きましたムサシです。
こちらの記事は、本当に素晴らしいですね。はっと気づかされました。このような考えを持つことは、とても大事だと思い、自分のパチンコへのものすごい憎しみを改めなければと思いました。
逆に、積もり積もった憎しみがあったからこそ、今までやめられなかったのかなと感じてしまいます。
ありがとうございます。
こんばんは、先日はコメントをありがとうございました。
お褒めの言葉をいただき恐縮です。私も、以前はパチンコが、社会が、自分を止めてくれなかったまわりの人間が、と自分以外に憎悪を向け、すべてはパチンコのせいだと恨みの感情を募らせていたこともあったのですが、それが依存症の克服に向けた強力な追い風になることはなかったように思います。
許し、怒りの感情を捨て去った「無の境地」とでもいいましょうか。それに達すると、パチンコへの興味がなくなるように思います。そしてこの無関心の状態こそが、最大の追い風を受けることができる状態なのかもしません。
憎しみを捨てた先にあるもの、それこそが、完全克服の未来なのではないかと思います。