パチンコの存在自体が悪なのかと言うと、決してそういう訳ではないと思いますし、そう考えない方がいいと思いますよ。
パチンコはギャンブル依存症の原因としては最たるものであり、やめたくてもやめられなくなってしまう方も多いことから、私はパチンコに対して否定的な意見を述べることも少なくはないのですが、実はパチンコの存在や業界を完全に否定する気はありません。
これらはあくまでもやめたいと思っている方に対して伝えたいことであり、パチンコを趣味として楽しめている方にまで「やめた方がいい」と押し付けるつもりはさらさらないのです。
よって、パチンコ依存を克服するに当たっての私個人の考え方を、一度明らかにしておきたいと思います。
物事には良い面と悪い面がある
光に照らされている世界があれば、その傍らで影を落としている世界があるように、あらゆる物事は良い面と悪い面が混在しているものだと思います。
例えば私の本職は一応バーテンダーですが、煌びやかに社交場を彩る酒は時として人の持つたがを外し、家族や他人、当人を苦しめることがあります。
物欲を満たしてくれる物では、例えばブランドなどが持つ魔力に憑りつかれ、いつしか金を横領してまでそれにつぎ込んでしまう人もいます。好きな食べ物を食べ続けていただけのはずが、それが原因となって重篤な病気を患ってしまい、命を落としてしまう人もいるのです。
これらは全て極端な話ですが、このように物事には良い面悪い面は必ず存在しているはずで、当然ながらそれはパチンコも一緒。
かつてはパチンコやスロットが楽しかっただけの時もあったとは思います。しかし一度依存症になってしまえば、良かった時の面を見ていても、楽しかった時の記憶にすがっていても先はありません。なぜなら私たちはもう純粋に楽しめる体ではなくなってしまっているからです。
だからこそ、そうなってしまった以上は良い面を見ていても仕方がないので、私たちはパチンコが持つ悪い面を意識することで遠ざかっていくしかないのですが、悪い面ばかりを見ていても逆に良くないこともあったりするので、たまにはパチンコが持つ良い側面についても触れておこうと思います。
パチンコ業界の地域社会貢献
パチンコで勝って楽しかったとか、手軽にスリルを味わえるとか、台のタイアップ料金で版権の続編が作られたとか、そういったことも良い面に入るのかもしれませんが、どちらかと言うとパチンコが持つ良い面というのは地域・社会貢献などのボランティア活動にあるのではないかと思います。
これはパチンコ業界の関連団体やグループによっても異なりますが、例えば以下のようなボランティア活動が行われていたりします。
- 植林活動
- 地域清掃活動
- 被災地復興支援
- 児童養護施設支援
- 無返済型奨学金支援
以下、それぞれ簡単に概要を見ていきます。
植林活動
パチンコ業界の社会貢献で良く知られているのがこの植林活動で、元々は2008年に埼玉県で森を作る事業として始まったのがきっかけとなり、その後は東日本大震災で被災した青森~千葉間の海岸防災林を再生する活動へと繋がっています。
地域清掃活動
街の道路や公園、河川敷といった場所は定期的にボランティアで清掃活動が行われているのですが、業界関係者の中から有志を募り、各地で捨てられたゴミを拾うなどの地域清掃活動が行われています。
被災地復興支援
豪雪や水害、地震などの災害に遭った被災地には、ボランティア活動として現地へ赴いたり、支援物資を届けたり、来店客の協力によって得られた玉、メダルに相当する額を義援金・支援金として送り届けるなどの被災地復興支援活動が行われています。
児童養護施設支援
全国の福祉施設や児童養護施設などに対して、お菓子や施設を維持するための支援金を送るなど、寄付活動が行われています。
無返済型奨学金支援
通常奨学金を利用する場合は「貸与型」、つまり借金をすることになりますが、店舗に設置された募金箱に来店客が玉やメダルを入れることで貸し玉相当額が寄付され、日本国内の学校に通う経済的に就学が困難な学生への支援が行われています。
このように、一部の売上を寄付したり、業界関係者がボランティア活動に参加するなど、少なからずパチンコは良い面も持ち合わせているのです。
パチンコが諸悪の根源とは言い切れない
パチンコは建前上は遊技、実態はただのギャンブルなので、そういった負のイメージを払拭するためにも慈善活動に力を入れているという部分もあるとは思いますが、理由はどうであれ、慈善活動をしているということは立派なことだと思います。
また、上手く付き合っていける方にとってはいい趣味であったり、お年寄りの方などにとっては地域住民の交流の場であったり、それこそ支援で救われた方にとっては恩がある場所であったりと、必要としている人がいることも紛れもない事実でしょう。
よって、パチンコ店の存在が諸悪の根源だと言うつもりは私にはありません。
パチンコが持つデメリットを特に感じていない方はパチンコをやめる必要もないと思いますし、こうすればやめられるといった私の話なんかも聞く必要はないと思います。
私の場合は10年以上入り浸った結果得られたものは何もなく、失い続けただけで終わりましたが、上手くやっていけるのであればただ楽しかったで終わるかもしれませんし、遊技として付き合っていけることもできるでしょう。
ただ、そうは言ってもパチンコは賭博であることには変わりはないので、やはり依存者を生み続けてしまいますし、依存症となってしまった方はパチンコ店から抜け出せない限り、永遠に絞り取られ続けてしまうことになってしまいます。
そこで私は、そういったパチンコをやめたくてもやめられない方のために物を言っているのですが、それならばなぜ今回はパチンコの良い面なんてものを話したのかと。悪い面だけ見ていればいいじゃないかと皆さんは思われるかもしれません。
でも、それもそれであまり良くないんですよね。
人を呪わば穴二つ
確かに、パチンコ店なんて潰れてしまえ、なくなってしまえと、怒りや恨みを原動力にするのは容易い。こういった負の感情が持つエネルギーは非常に大きいからです。
ただ、それだとゴールがないんですよ。
パチンコ業界を恨み、呪い続けて依存症を克服することに成功したとしても、その先にあるものはきっと、恨みの感情が晴れない、果てがない怒りの渦だと思います。
近場の店舗が潰れたざまあみろ、もっともっと潰れてしまえ、何か冷やかしに行ってやろうか。
私たちが奪われてきた多くのものを考えれば、そう考えるようになってしまっても仕方がない部分もあります。しかし、人を呪わば穴二つと言うように、何かを恨んで相手の墓穴を掘り続けていれば、いずれ掘った墓穴に自分も落ちてしまうと私は思うのです。
だからこそ、もう終わったことは水に流そうじゃありませんか。
「行きたい人は行けばいい。自分はもう行かないけどね」
そういったスタンスでいいんですよ。奪われたものはこれから取り返して行けばいい。相手の墓穴を掘るのではなく、自分が探検できる洞穴を掘っていけばいい。
自分から数々の物を奪ってきたパチンコの存在を認めることは難しいです。しかし、それを認めることができ、且つ依存症を克服することができた暁には、その後に続く道はきっと明るい光に照らされていることと思います。
パチンコの存在を否定はせず、その存在を認め、それでいて依存症も克服する。
これがギャンブル依存症を克服するための考え方としては、一番いいのではないかと私は思います。
今回のまとめ
・恨みの感情の先に待つものは負の渦
・墓を用意するのはまだ早い
パチンコ店が近場からなくなれば行くこともなくなりますし、日本からなくなればギャンブル依存症で悩まされる方の数は激減するのは間違いないとは思いますが、前述の通りなくなったらなくなったで困る人もいるはずなので、そう簡単な話ではないと思います。
なので、行きたい人だけ行けばいい。私たちは遠ざかる。それでいいと思いますよ。
ちなみに、当然ながら私もパチンコ業界に対しての怒りや恨みといった感情はないのですが、時々文章に怒りの感情が宿っていたりすることもあるかもしれません。しかし、それは恐らく当時の感情が一時的に甦っただけの話であって、負の感情を持ち続けている訳ではないのでご容赦願いたい。
こんばんは。
別の記事で、コメントさせて頂きましたムサシです。
こちらの記事は、本当に素晴らしいですね。はっと気づかされました。このような考えを持つことは、とても大事だと思い、自分のパチンコへのものすごい憎しみを改めなければと思いました。
逆に、積もり積もった憎しみがあったからこそ、今までやめられなかったのかなと感じてしまいます。
ありがとうございます。
こんばんは、先日はコメントをありがとうございました。
お褒めの言葉をいただき恐縮です。私も、以前はパチンコが、社会が、自分を止めてくれなかったまわりの人間が、と自分以外に憎悪を向け、すべてはパチンコのせいだと恨みの感情を募らせていたこともあったのですが、それが依存症の克服に向けた強力な追い風になることはなかったように思います。
許し、怒りの感情を捨て去った「無の境地」とでもいいましょうか。それに達すると、パチンコへの興味がなくなるように思います。そしてこの無関心の状態こそが、最大の追い風を受けることができる状態なのかもしません。
憎しみを捨てた先にあるもの、それこそが、完全克服の未来なのではないかと思います。