当ブログではこれまで、私がパチンコをやめたきっかけについては明言を避けてきました。
人のプライバシーにもかかわる部分があったからです。
しかし、時期的にもそろそろかな……と思われたので、この話をすることにします。
不可能としか思えなかったギャンブルを私がやめられたのは、元恋人が、命を賭した行動にでたからでした。
- 歴10年以上の依存者だった私がパチンコをやめられた理由
- 元恋人の行動によって気づかされたギャンブル依存症の本質
- ギャンブル問題をかかえた当事者がおよぼす家族・恋人への影響
ギャンブル問題を解決させるカギは、「自分ひとりの力ではどうにもならない」という本質に気づくこと。
そのことを、これからお話しする経験から学び、私はパチンコへの依存を断ち切ることができました。
本記事をとおして、
- ギャンブル依存症は他者までをも巻き込む
- 意志の力だけでどうにかなる問題ではない
こういったことを、知って(感じ取って)いただければさいわいです。
どうぞお聞きください。
ギャンブルをやめるきっかけとなった出来事
私は10代のころからパチンコをしていて、学生になってから本格的にのめり込み、気づけばギャンブル依存症を患っていました。
- パチンコ漬けの毎日
- 借金生活(学生時代にいちど完済)
- 単位の取得状況からして卒業は絶望的
ギャンブルにのめり込んだ学生がたどるのは、「中退」と相場は決まっています。
時間をかけて学費を貯めてくれていた、そんな親の苦労を裏切って、私は無断で退学届を提出。
その後は実家を出て飲食店に就職するも、激務でボロボロになってこれも退職という始末でした。
バーで働くのはそれからの話になるのですが、そんなバーテンダー時代に出会ったのが、元恋人のアミさん(仮名)でした。
元恋人のアミさん
アミさんは、東京で一人暮らしをしていた、20代前半(当時)の地方出身者。
いっしょに出かけていた友人とはぐれてしまい、困っていたところをたまたま近くにいた私が声をかけた、なんていうのが出会いでした。
まあ、ナンパみたいなものですよね。

当時は私もまだ若かったのです
いま思えば、おたがい「通じる部分」があったからこそ……だったのかもしれません。
私たちが付き合い、恋人同士となるのに、さほど時間はかかりませんでした。
ところが、私たちとは関係のないところで、しばらくしてからある「トラブル」が起きます。
アミさんの家の近所、というかとなりで、住民のいざこざが起きはじめたのです!
アミさんはノイローゼになった
聞くところによると、となりの家にやばい人が夜な夜なあらわれるらしく、
- 罵声をあびせていく
- 玄関を叩いていく
- 勝手に家の敷地内に入る
こういったことが毎晩のようにおこなわれている、という話でした。
騒音などはもろ聞こえで、関係ない自分までもが身の危険を感じるレベルだったそう。
夜更けにそいつが(侵入して)立てる、地面を踏みしめる「サクッ……」という音には、確認しに行った私も戦慄したものです。
そんなわけでアミさんは、不審者のせいでノイローゼ気味になってしまい、私に救援要請をだしたのです。



引っ越すまでのあいだ住まわせてよ……
正直私は考えました。
アミさんは束縛が強く、それは別々で暮らしていても、息苦しさを感じるほどのものだったから。
そんな状態でいっしょに住めば、どうなってしまうでしょう?
これまで以上に私はパチンコに行けなくなってしまうのです。
しかし、事情が事情であり、このときは「引っ越し先が決まれば出ていく」といっていたので、私は彼女からの要請を受けることに。
こうしてアミさんは、一時的に、私の家に緊急避難することになりました。
アミさんは居候を決め込む
当時の私が住んでいた家は1Rで、2人で住める環境とはいえないものでした。
ただ、私は1日じゅう働きっぱなしで、ほぼ家にはいません。一時的な居候くらいなら問題はなかったのです。
ところが、こんどはアミさんの引っ越し先がなかなか決まらない。
そして、家探しが進まないとなると、こういう話にもなってくるわけです。



このまま住んでもいい?
これは、もっとも私が危惧していたことでした。
なし崩しでそのまま同棲みたいなことになってしまうのではないか……。
しかし、このときの私には、その申し出を絶対にことわれない理由があったのです。
「家賃を折半」という、病的ギャンブラー(当然借金持ち)にとってはあらがえない、お金の条件をだされたから。
もはやきれいごとをいうつもりは私にはありません。
家賃折半によって月数万円を返済にまわせる(いや、パチンコに使える?)なら、ある程度の不便は受け入れるしかなかったのです。
アミさんはきっと、私と同棲したかっただけなのでしょう。
けれども私が考えていたのは、人の愛よりも自分の金とギャンブルでした。
残念なことに、それが「ギャンブル依存症者」というものなのです。
アミさんは精神障がいと診断された
大家さんの温情もあり、いちおう居候がみとめられたアミさん。
彼女にとっては、これからステキな同棲生活がはじまるはずでした。
ただ、懸念すべきは、私の家に避難してきても、アミさんの体調があまりよくならなかったこと。
むしろ悪化しているとさえいえるもので、しだいにアミさんは、仕事にも行きたくないと言うようになりました。
もともと強い子ではないことは、私もわかっていましたが、でもそういう話でもない気がする。
この子の場合、なにかべつに原因があるのでは?
そう私が思ったのは、彼女の行動や立ち振る舞いに、気になることが多かったからでした。
そこで私は、彼女にこうアドバイスをしたのです。
「いちど病院に行ってみるのはどうか?」
この私のアドバイスは、それをしたのが正しかったのか、いまでも正直いうとよくわかりません。
むしろ「そんなことはいわないほうがよかったのか?」とも、あとになって何度も考えました。
いずれにせよ、私からの意見ということもあって、アミさんは後日病院へ。
そこで彼女は、「発達に関係がある精神障がいの一種がみとめられる」と診断されました。
つらいことばかりの世の中はクソだ



そういえば、さ……
夕食どき、いいにくそうにしながらも、彼女は言葉をしぼりだしました。



私、精神障がいなんだって……
なんとなく私が思っていたことは、ここで、はっきりとしてしまいます。



もう、別れようか?
…………。



だって、障がい者が彼女なんて、いやでしょ……?
「……世の中はクソだ」
そう私は叫んでやりたくなりました。
「こんなつらいことばかりの世の中なんてクソくらえだ!」と。
この話を切りだすのに、どれだけの勇気が必要だったことか。
本人にはなんの罪もないのに、それで自分を否定されてしまえば、彼女はいったいどうすればいいのか。
そんなことをいわれて、わかったうえで、「じゃあそういうことで」とおまえは放りだせるのか?
できるわけがないでしょう!
だから、別れない。
私の答えに、彼女はご飯を食べながら泣きました。
大粒の涙を流し、「こんなにおいしいご飯を食べたのは初めて」と、いいながら泣きました。
ただ、このときの私がした返答は、ほめられたものではありません。
情に流され、人の人生を背負う覚悟もなく発した、無責任でしかない発言でした。
「おまえこそ(ギャンブル依存症で)病院に行け」といってやりたくなるほどの、ただのきれいごとでした。
その後、アミさんをこれ以上の絶望に追い込むのが、ほかのだれでもなく「この私」だったのですから。
しだいに恋人との関係は悪化していった
その後、アミさんはくわしい検査のためにも、病院へかようようになります。
そこでは、もともとの精神障がい以外にも、べつの精神疾患も併発していたことが判明。
「双極性障害」というものでした。
あえてわかりやすくいうと、天国(ハイ)と地獄(ロー)を行き来するような病で、ロー状態に入るともうなにもできない。
「行きたくない」と言っていた仕事は、この病のこともあって、しばらくするとドクターストップがかかります。
アミさんは年金受給者となり、家に引きこもりがちになりました。
- 東京には友達もいない
- 仕事もない、できない
- お金がない、やることがない
アミさんにとっての世の中のすべては、いつしか「私」となっていきます。
けれども、私にとってのすべては、アミさんではありませんでした。
ギャンブル依存者が用意する「特等席」に座るのは、つねにパチンコ・スロット。
優先順位を決めるピラミッドでは、「ギャンブルが不動の最上位」と最初から決まっているのです。
アミさんとの関係が一気に悪化していくのは、このあたりからでした。
私は自由とプライベートを完全に失った
アミさんが仕事をしていたときは、なんとかすきをついてパチンコに行くこともできていました。
しかし、彼女がつねに家にいるとなると、いよいよパチンコには行けなくなってきます。
依存者にとって「ギャンブル行為を阻害される」というのは、殺意に近い怒りをいだくものでもあります。
私のストレスはたまる一方となっていきました。
加えて、アミさんにとっては話し相手が私しかいないので、
- 朝の出勤前
- 夕方の一時帰宅後、夜の出勤前
- 深夜の帰宅後
こういった仕事のあいまに、話が止まらないのです(とくにハイな状態なときはなおさら)。
バーテンダーの生活リズムでも紹介していますが、私は借金返済のためにも、身を削ったギリギリの生活をしていました。
そんななか、マシンガンのように話しかけられるのは、それだけでかなりこたえるものがあったのです。
彼女と別れるのもありなのではないか?
でもそれをしてしまえば、彼女は住む場所を失って路頭に迷ってしまう……。(実家には帰りたくなかったそう)
そこで私は、パチンコ欲を満たすため、そしてストレスの発散のため、あることを画策するようになります。
「なんとかしてパチンコに行こう」という計画をです。
ギャンブル依存者はなんとかしてパチンコに行く
「パチンコに行きたい」
しかし、それをアミさんは許しません。
自分を放っておかれるのがいやだったのだと思いますが、「彼氏がパチンコに行く」こと自体がそもそもだったのでしょう。
よって、この状況でパチンコ行こうと思えば、以下のような方法をとるしか私にはありませんでした。
- 彼女が寝ているあいだにソロソロと出ていく
- 仕事が入った・家族との約束があるとうそをついて出ていく
でも、こういったことはすぐにバレます。
私たちのあいだには、喧嘩が絶えないようになっていきました。
ただ、喧嘩になれば、「家を出ていく」口実ができるので、パチンコに行ける。
私は、わざと彼女をたきつけるようなこともしました。
まさにパチンカスだったと思います。
喧嘩をしてパチンコに行っても、全然楽しくなんてありませんでした。
それでも、パチンコに行かなければなりません。もはや行きたいとかではなく「行かないといけない」からです。
そして、ついに「事件」は起きてしまうのでした。
恋人は命を賭した行動にでた
アミさんは、私が仕事中でもひんぱんに連絡をよこしてきました。
それを無視すると不機嫌になるため、私もしかたなく連絡を返すようにしていました。
それが、バーで働いていたある日にはじまります。
しかもこのときは、パチンコがどうだとか、借金がどうだとか、そういった話題。
ただでさえ仕事中に連絡がくるのをよく思っていなかった私は、「そういった話はいまはやめてくれ」と。
それで機嫌がわるくなり、怒りをメールでぶつけてくるアミさん。
いちど火がついたアミさんはもう止まらず、仕事中だというのに、怒りのメール着信は止まりません。
そして、これまでのこともあり、さすがに限界を迎えた私はいったのです。
「もういいよ、じゃあね」と。
こういっておけば、すこしはだまってくれるだろうと。



別れるの? それだけはイヤだから!
私はメールを放置していました。



そっか、別れるんだね。じゃあもう死ぬしかないね……
またそれか。
この「死んでやる」は、このときにはじまったことではありませんでした。
しかし、このときばかりは、「ただいっているだけ」ではなかったのです。



持ってる薬全部飲みました。さようなら
携帯に送られてきたのは、大量のカラになった薬のシート。
うつっていただけでも、50~60錠ぶんくらいはあったでしょうか。
ただ、これも正直にいいますが、直前の怒りもあって、その行動に私はあきれていました。
「なにやってんだよ」としか思えなかったのです。
アミさんは救急車で病院に搬送された
彼女が、薬の過剰摂取(OD:オーバードーズ)で自殺をはかった。
数分もすると、この状況がどれだけ危険なものかがはっきりとしてきました。
「さすがにこれはまずい」
私は、すぐさまアミさんと連絡をとろうとします。
ところが、「さようなら」から既読はいっさいつきません。
仕事中で動けなかったこともあり、すでに挨拶もしていた彼女のお母さんに、私は助けを求めました。
「緊急事態(薬を大量に飲んだ)なので彼女と連絡をとってくれませんか?」とメールをしたのです。



娘と連絡が取れないので救急車を呼びました
私のせいで大変なことになってしまった。



私も今から向かいます。病院が決まったらまた連絡します
アミさんはすでに倒れている可能性が高く、救急車が私の家に向かうことになりました。
救急隊員はなんとか部屋の中に入れたらしく、アミさんは担架で運ばれていきます。
搬送先が決まると、彼女のお母さんから私の母にも連絡が行き、母も病院に向かうという話に。
私もマスターに無理をいって、その日は店を早じまいにさせてもらうことにしました。
店を出た私は、いそいで病院へと向かったのです。
アミさんは死んだように眠りつづけた
病院にかけつけると、私の母が入り口で待ってくれていました。
ふたりとも先に着いていたようで、母の案内で私は、アミさんのところへ向かいます。
彼女は病室で、死んだように眠っていました。
さいわい、命に別状はなかったのです。
看護師によると、最近の薬はそう簡単には死ねないようになっているのだそう。
アミさんが飲んだ量は60錠くらいだったので、「胃洗浄(薬の成分を排出させる)」をする必要もないとのことでした。
その後、事件性がないかなどの取り調べが警察からあり、すべてが落ち着いたところで、私はふたたびアミさんの病室へ。
声をかけても、アミさんは私の声に反応することはありません。
そのすがたを見ているのが、つらかった。
私のせいで、恋人が死んでしまうかもしれなかった。
なにをやっているんだよ、おれは……。
私は、その場にいられなくなり、逃げるようにして病室から出たのです。



娘はいちど、実家に帰らせます
アミさんのお母さんが、怒らないわけがありません。
彼女は、実家に連れて帰られることになったのです。
それでもギャンブルをやめられない
事件のあった翌日、私は、朝からパチンコ店にいました。
- すべてを忘れたい
- なにも考えたくない
- それができる場所に逃げたい
そんなのはただの言い訳でしょう。
結局は、ひとりになって、存分にパチンコができるようになったから行ったのです。
彼女がいなくなったことによって、なんの制約もかからず、パチンコ欲を満たせるようになったから。
私がギャンブルに興じている最中に、アミさんのお母さんから着信がありました。
いそいで外に出てから電話をとります。



……しばらく娘は実家にいさせます



あとのことはひとまず、おたがいで話し合ってください
お母さんは静かに怒っていました。
店から漏れる音で、私がパチンコ店にいたとわかったから。
お母さんの話では、あのあと、アミさんは「実家には帰らない」と大変だったといいます。
薬の影響で意識がもうろうとし、ろれつもまわらないなか、それでも「私はミナトさんの家に帰るんだ!」と、必死になって抵抗したそうです。
それだけ娘が想っているのに、どうしておまえは、パチンコなんかができているんだ?
私にももうわかりませんでした。
なんでこんなことがあってもパチンコ店にいられてしまうのか。
もう、すべてがどうでもよくなってきていました。
ひとりの力では不可能だと気づいた
それからも私は、毎日のようにパチンコ店に行きます。
これだけのことがあってもやめられないのなら、これはもう「無理」なんだ、とあきらめかけていました。
落ちついたアミさんから電話がかかってきたのは、そんなときでした。



元気?
元気がないのは彼女のほうでした。



しばらく実家からは出られなくなっちゃった
パチンコばかりしているカス野郎の私に、アミさんのお父さんも憤慨している、とのことでした。



やっぱり、もう別れるしかないかな?
私は、これ以上、彼女の人生を背負えない、背負う力もない、と逃げました。
おたがいそれぞれがんばろう、と責任を放棄しました。
ほんとうに、最低な人間だったと思います。



それじゃあ、パチンコやめられるように頑張ってね。きっとひとりじゃやめられないから、私じゃない人に助けてもらってね……
電話を切り、ベッドに寝転んで天井を見つめていると、おさえきれないものがこみ上げてきます。
涙と、深い悲しみです。
大切なものを、私は自分のせいで失ってしまった。
それが実感として感じられたとき、涙があふれてきて、止まらなくなってしまったのです。
「ううっ」というおえつをおさえることもできず、私はひとしきり泣きつづけました。
となりの部屋の住民に、むせび泣くのが聞こえているだろうことはわかっていても、それをとめることはできませんでした。
そして涙が枯れたあとで、気づいたのです。
「きっとひとりじゃやめられないから、私じゃない人に助けてもらってね」
別れ際、彼女がのこしてくれた最後の言葉。
パチンコをやめる方法は、それなんじゃないか?
彼女がいってくれた、この最後の言葉にこそあるんじゃないか?
自分ひとりの力では無理だから、だれかに助けてもらうしか方法はないよ。
そうだ、彼女がいいたいのは、そういうことだ。
だったら自分は、いまこそ彼女の言葉に耳をかたむけ、それにしたがって動くべきなんだ。
だれかに助けてもらうしかない。
ここまできて、ようやくその事実に私は気づくことができたのです。
「もうやめよう」
「こんなことは、もう今日でおわりにしよう」
そしてこの話は、翌日以降の「パチンコをやめた最終手段」へとつながります。
この話で伝えたかったこと(今回のまとめ)
- ギャンブル依存症は当事者以外をも巻き込む
- 当事者の問題によって大切な人の命が奪われてもおかしくはない
- ひとりの力ではパチンコをやめるのは不可能に近い(重症者の場合)
今回の話をすることで伝えたかったこと。
それは、ギャンブル依存症は当事者だけの問題ではなく、大切な家族・恋人までをも巻き込んでいくということです。
私の場合、今回の件では、
- 恋人
- 恋人の家族
- 私の家族(母)
が巻き込まれました。
恋人に関しては、その影響は命の危険にまでおよびました。
そしてこれは、なにもめずらしい話ではありません。
妻の出産の立ち合い、子どもの行事、親族の葬儀。
こういったものを犠牲にしてでも依存者はパチンコに行きます。
親の、恋人の、子どものお金。
こういったお金を使ってでも依存者はギャンブル行為に走ってしまうのです。
それからもうひとつ。
ギャンブル問題は、それが重症と化した場合、ひとりの力では解決不可能だということ。
ギャンブル依存症とは、恋人が死にかけた翌日でもパチンコに行けてしまうレベルの病なのです。
この場合、問題を解決させるには、人に助けてもらうしか方法はありません。
どうかそのことも、知っておいていただければと思っています。
- ギャンブル問題は他者を巻き込む
- 問題解決はひとりの力では不可能
これが、今回の話をすることで伝えたかった2つのことです。
また、この話が元恋人のアミさんの目に入れば、あまりいい気はしないと思います。
この話をこれまで伏せてきたのは、それこそが理由でした。
でも、この話をすることで、影響を受ける人がひとりでも減ってくれるのなら、きっと彼女も許してくれると思っています。
元依存者の話として、どうぞご参考にしてください。
ギャンブル依存症を放っておけば、いずれは、こういった悲劇が待ち受けていますよ。
家族・恋人にお金を借りるのはNG
この話の後日談にあたるもの
ギャンブル問題の解決策まとめ
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