賭け事(ギャンブル)を遊びとして楽しむのは元パチンコ依存者には可能なのか?

当サイト記事のリンクは一部に広告が含まれます。
賭け事(ギャンブル)を遊びとして楽しむのは元パチンコ依存者には可能なのか

パチンコは強い依存性があるので、つづけていると、遊びじゃなくなることがあります。

ミナト

ふつうに楽しむのは不可能になりますよね

しかしこれは、元依存者の私でもできたように、依存を断ち切って「克服」することができます。

となると、その後には、つぎのような疑問がでてきたりもします。

新たな疑問
  • パチンコ依存症を克服した元依存者が、
  • 別の賭け事、たとえばレースや宝くじ、カジノといったギャンブルを、
  • 依存症状が出ることもなく、ふつうに楽しんで遊ぶことはできるのか?

かつては好きだったからこその依存症ですから、いちどは考えたこともあるのではないでしょうか?

結論からいうと、これは「お金の使い方さえなんとかすれば、不可能ではないのでは?」とも私は考えています。

そしてこのことは、ギャンブル問題の解決にせまる話でもある思うので、本記事ではこの疑問について考えてみたいと思います。

できればギャンブルはしたい……なんてこともあるかと思うので、どうぞ見るだけ見てみてください。

著者プロフィール
ミナト

ミナト

10代で行った初めてのパチンコで大勝し、パチンコ・スロット漬けの日々へ。借金を重ね、多くを失い、10数年もの間ギャンブルをやめられなくなる。しかし他者の力も借りて依存症を克服。その経験をもとに依存からの脱出方法を発信している。併設店・専門店での従業員経験もあり。>> プロフィール詳細はこちら

目次

ギャンブル依存者は賭け事で遊べるようになるか

まずは、「ギャンブル依存症を経験した人はふたたび賭け事を楽しめるようになるのか?」を、一般的な見解から見ていきましょう。

いちどでもギャンブルに依存したことがある人の脳には、

  • ギャンブル依存症を発生させる回路ができてしまい、
  • それは一生治ることはなく、生涯にわたって残りつづける

ともいわれています。

ギャンブルへの依存を断ち切ったあとでも、なにかしらのギャンブルにふれてしまえば、停止した回路が作動しはじめてしまうというのです。

ミナト

たとえるなら……

  • 動かなくなった心臓に新たな血液が送り込まれ、
  • そこに強烈な電気ショックまでもが与えられ、
  • 死体が跳ね起きてよみがえるほどのインパクトが起こる

とでもいったところでしょうか。

私の場合は、FXでの勝負やカジノなどのギャンブルでもそれを味わっているので、

ほかのギャンブルが、かつての依存症を呼び覚ます仕組み

その一連の流れのようなものは、わかっているつもりです。

ギャンブル行為が「パチンコに行きたい」を誘発する感じです。

またこの件に関しては、ギャンブラーズ・アノニマス(GA)でもふれられているので、こちらもあわせて見てみましょう。

GAの見解は「ささいな賭け事にも手を出すな」

ギャンブル問題の解決を目的とした有名な自助グループに「GA」があります。

このGAでは、「賭け事を楽しめるのか?」問題について、まずはつぎのように述べています。

強迫的ギャンブラー(ギャンブル依存者)は、ふたたび正常にギャンブルを行うことはできない。

そして、その前提のもと、

  • すると、麻雀やゴルフにほんのわずかな金を賭けることも、サッカーくじを買うこともしてはいけないのか?

という質問に対して、以下の回答をしています。

まさにその通りである。防壁はどこかに作らなければいけない。GAメンバーは、たとえコーヒー一杯だけのささいなものであろうと賭けに手を出すがことを避けなければならないのだということに気がついている。これには次のようなものを含んでいる。インターネット上でのギャンブル、株や先物取引の類、宝くじ、ラッフル券、コインの裏表の賭け、スポーツの勝ち負けを賭けることなど。

強迫的ギャンブルとGA

つまり、ギャンブル依存症者は、それを克服できたなら、

その後はいっさいのギャンブルからは身を引かなければならない

ということになります。

イブスター店長

普通に考えたらそうだろうな

では、私の場合はどうだったか?

宝くじ程度なら問題ない場合も?

私は10年以上パチンコ・スロットがやめられなかった元依存者です。

そして依存症の克服後には、スリップ(再パチンコ)をふくめ、いくつかのギャンブルにもふれました。

克服後のギャンブル
  • パチンコ、スロット
  • 海外カジノ、宝くじなど

その結果としては、パチンコはやはりダメで、これは行けば依存症状は復活しました。

海外カジノでも「負けを取り返す」になってしまい、現場では「遊び」にはならないパターンが大半でした。

ミナト

しかし宝くじ、

これに関しては、なぜかノーダメージですみました。

宝くじを購入した(別のギャンブルにふれた)ことによって、もともと依存症状があったパチンコに行きたくなるようなことはなかったのです。

そうなると、つぎのように思えてきます。

元パチンコ依存者が、べつのギャンブルをしたとしても、回路が作動しない場合もあるのではないか?

賭け事を遊びとして楽しめるかの基準はなんだ?

あくまで私のケースですが、すべてのギャンブルが依存症の回路を作動させるわけでもない、という例もあることがわかりました。

そこで、私の経験をもとに、ここでは「賭け事を遊びとして楽しめるかどうかの基準」を考えてみたいと思います。

私は、パチンコ・スロットからはじまり、

  • 麻雀
  • 競馬・競艇
  • FX・カジノ

など、ひととおりのギャンブル(厳密にいうと賭博ではないものもある)をしてきましたが、「ハマるものとハマらないもの」がありました。

それらを分類してみると、以下のようになります。

まずはハマったものから。

ハマったもの
  • パチンコ・パチスロ
  • 麻雀
  • 海外カジノ

つづいて、ハマらなかったものです。

ハマらなかったもの
  • 競馬、競艇、競輪などのレース
  • FXなどの投資(というか投機)
  • 宝くじやサッカーくじなどの「くじ系ギャンブル」

これらの分類わけには、すでに答えがでています。

それは、私が思う(感じる)自力感と、使う金額の差でした。

ギャンブルは自力感がないとつまらない

どのギャンブルも、ある程度の実力がからむことが多いですが、最終的には運の要素が勝負を左右しますよね。

ですから、勝ったときには「自力感」を味わうことができます。

パチンコやスロットはもろに「引き」が勝負を左右します。

麻雀も「ツモ」が重要で、カジノも勝負の流れに「乗る」ことができなければ勝てません。

私はこういった自力で勝ったような感じ(自力感)に、楽しさを見いだしていたように思います。

ミナト

実力で勝ったような気分になるんですよね

一方で、レース系のギャンブルはどうだったか?

これらは、たしかにつぎのような条件から、

  • 馬やレーサー
  • レース場

順位を予測して当てるという自力感はあるとは思います。

ただ、私にはどうも、馬やレーサーの実力で決まった勝負を「ただ見ているだけ」のように感じました。

自分はあくまで「外」の人間で、勝負の「中」にいるのは自分ではない。

そう感じたので、レース系のギャンブルにはおもしろさを見いだせなかったのです。

ミナト

まったくハマりませんでしたね

FXに関しては、知識がどうとか関係ないところで負ける気配を感じてすぐに引退。

宝くじなんてものは、自力もなにもなく、そもそも当たるとさえ思っていませんでした。

ですから、これらのギャンブルにハマることはなかったのです。

ギャンブルにハマるのは賭ける金額と生活水準もある

さきほど分類したものには、私がハマった要素、ハマらなかった要素がまだあります。

それが、ギャンブルに使う金額の大きさ(+生活水準)です。

ミナト

麻雀はお金を賭けるのは違法なので置いておくとして、

パチンコ・スロットは、最低でも3万~4万円はなければ不安だと感じます。

海外カジノは、もちろんゲームにもよりますが、1ゲームが安くても1000~2000円。

ふつうのレートだと、1ゲームが4000円などとかなり高いです。

つねに「微々たる持ち合わせしかない」私の生活水準からして、これはどうだったか?

はっきりいって、軽く遊びの範囲を超えていました。

イブスター店長

と、なると?

そのギャンブルは遊びではなく、生活がかかった真剣勝負になってくるわけです。

  • 運よく勝てれば、身の丈に合わないお金を手に入れてごきげん
  • 運悪く負けてしまえば、生活が破綻しかねない状況に追い込まれてすかんぴん

生活水準が低いなかで高レートのギャンブルをしていれば、喜怒哀楽の振り幅は大きくなります。

そしてそれが大きいほど、例の回路には、より強い電気信号(ドーパミンなどの脳内物質)が送られるのではないでしょうか?

ですから、人はギャンブルをすることで、強い依存症状を起こすようになるのだと思います。

ミナト

ようするに、です

私がパチンコやカジノにハマったのは、そういったお金の問題も深く関係していたのではないかと。

  • レース系のギャンブルは、投票券は100円から購入できる
  • FXも1000円あればポジションを保有(外貨の売買をする)できるし、
  • 宝くじも200円あれば1口を購入できる

生活水準が低いとはいえ、さすがにこれくらいは私でも買えます。

しかもこの程度の金額なら、なくなってもべつに痛くはありません。

生活がかかっていないのでアツくなる要素もなく、それもあって、ハマることはなかったのだと思います。

賭け事を遊びにするための「認識」

これまでのとおり、元パチンコ依存者の私には、ハマらなかったギャンブルがいくつかありました。

それの差は「ギャンブルとして認識しているかどうか?」にもあったと感じるので、これも補足しておきましょう。

私はあまりレースには興味がないですし、宝くじもお金の無駄だと思っているのでもう買いません。

おそらくいますぐに券を購入したとしても、なにも感じず、パチンコに行きたくなることもないと思います。

ミナト

なぜかというと、

いってしまえばこれらは、私のなかでは、ギャンブルとして認識されていないようなものだからです。

自力感もそうですが、レース系のギャンブルなんかは、そもそも勝てるとも思っていません。

ギャンブルというよりかは遊び……いや、遊びたいとも思わないもので、私のなかでは「勝負できる」ものと認識されていないのです。

むかし競馬場に行ったときにこっぴどくやられて、そこで「これはちがうな」と、早い段階で思ったのもあるかもしれません。

そうなると、自分のなかでギャンブルと認識されていないものは、

GAがいうところの「コーヒー1杯」にはならないのではないか?

という話にもなってきます。

自分のなかでギャンブルと認識されていなければ、「回路の作動のしようがない」とも考えられるからです。

パチンコ依存者がほかのギャンブルで遊べる可能性

いったんここまでの話をまとめます。

私の場合、以下のようなギャンブルにはハマることはありませんでした。

  • 自力感を感じられないもの
  • レートが安いもの
  • ギャンブル(勝てるかも)と認識していないもの

また、通常(最低)レートが高いものほどハマる傾向にあり、低いものにはハマらない傾向にもありました。

イブスター店長

例の生活水準の話だな

そのことから、依存症の回路が作動する条件は、

  • そもそも興味があるか
  • 使う金額が身の丈を超えるか超えないか
  • 勝てると思って(ギャンブルと認識して)勝負できるかどうか

というところにもあると考えることができます。

となると、この記事の本題である「賭け事を遊びとして楽しめるのか?」の基準に、つぎのものが見えてきます。

ギャンブル依存症の克服後でも、ハマらなかった(依存症状がなかった)安いギャンブルなら、ふれても依存症が再発する可能性は低いのでは?

ミナト

宝くじが大丈夫だったように、です

さらに一歩進んで考えると、つぎのようにもいえるかもしれません。

ハマる分類のギャンブルでも、使用する金額によっては依存症状は出ないのでは?

生活水準的な話で問題のない範囲なら、“依存ではなく遊びとして”楽しむこともできるのではないか、と。

イブスター店長

それは……どうなんだ?

まあむずかしいと思います。

ギャンブルは「だれもがお金の使い方をセーブできない」からこそ問題になるわけですからね。

ハマる分類ならなおさらむずかしくなります。

ただ、私がそう(ハマるギャンブルでも依存しない場合もあるかもと)考えるのは、そう考えさせられる経験をしてきたからでもあるのです。

ギャンブル依存症=ALLギャンブル依存症ではない?

それでは、私が経験した出来事をまじえ、「パチンコ依存者は賭け事を遊びとして楽しめるのか?」に(ひとまずの)答えを出したいと思います。

私は以前、海外カジノで、有り金をすべて失うという意味での「破産」をしたことがあります。

しかし、日本に帰ってきてからもパチンコ通いが復活することはなく、ハマる分類のカジノにも依存することはありませんでした。

ミナト

現場(カジノ)ではめちゃくちゃでしたけどね

日本にはカジノは現状まだありません。

とはいえ、オンラインカジノとか(あとは違法なところもありますよね)、遊べるところはあるわけです。

度を超えた賭け方で回路が作動し、依存症が再発していたら、おそらくそういったものに手を出していてもおかしくはなかったはずです。

イブスター店長

ただ、そうはならなかった、と

なぜなのか?

これは、破産によってお金がなくなったという「絶対防壁」に守られた感は否めません。

しかし本質的な答えは、つぎのことだったのではないかと私は思うのです。

ギャンブル依存症とひと言でいっても、すべてのギャンブルに依存症状が出るわけではないのかも。

つまり、「ギャンブル依存症=ALLギャンブルへの依存症」ではないのでは? ということです。

問題を解決するカギはお金の使い方か

私がやらかしたカジノでの破産経験から、つぎの可能性が見えてきました。

お金の使い方によっては、ハマるたぐいのギャンブルでも、遊びとして楽しめる場合もあるのではないか。

ミナト

現場での行動はさておき、

帰ってきてからは、ひとまず問題は起きなかったからです。

私の場合、海外カジノでいえば、

  • 旅先に限定されていて、
  • 旅先でやるから楽しいのであって、
  • 国内にはなく、べつに国内でやる必要もない

といった条件を感じます。

そこでお金の使い方さえセーブできれば、「ただ遊んで帰ってくるのも可能なのではないか?」と。

私にはギャンブル依存症の「真の克服」として、ふたたびカジノに行くという野望があります。

パチンコ依存症=カジノ依存症ではない。

それが正しければ、そこに、不可能をくつがえせる可能性もあるというものでしょう。

よって結論としては、「お金の使い方さえなんとかすれば、ギャンブルを遊びとして楽しめる可能性はある」といったところです。

とはいえ私の場合、現状でカジノに行ったとしても、(かつての)悪夢の二の舞になるのはあきらかです。

それから、以下のリスクもじゅうぶんに考えられます。

  1. カジノの刺激が「コーヒー1杯」になってしまい、またパチンコに行きだす
  2. こんどはカジノに依存してしまい、カジノに行くために旅行をするようになる

大王製紙の元会長が、2番目のようにして、毎週末カジノに行くようになったのは有名な話です。

(※くわしくは氏の『熔ける』を読んでみてください)

ミナト

ですから、またカジノに行くとなったら、

適度に楽しむ方法を考えるなど、それなりの作戦を練らなければならないと思っています。

番外編:またパチンコを遊びとしてできるようになるか

ここまでの話は、依存症状があったものではないギャンブルについてのものでした。

では、それがパチンコ・スロットなど、依存症状があったギャンブルならどうなのか?

ミナト

番外編として、

これもあわせて考えてみましょう。

パチンコへの依存はまぎれもなくギャンブル依存症です。

しかし、だからといって、

  • レース依存症や、
  • くじ依存症といった、

あらゆるギャンブルに対して症状がでるわけでもないことから、「パチンコ依存症=ALLギャンブルへの依存症ではない」と思われます。

イブスター店長

さっきまでの話だな

また、依存症状がないギャンブルなら、かならずしも回路が作動するわけではないようです。

コーヒー1杯が、パチンコに連鎖し、依存症の再発が起こる……。

100%そうなるわけでもないことから、「依存症の克服後に、ギャンブルを楽しめる可能性もゼロではない?」とも考えることができます。

ミナト

これは宝くじうんぬんですね

なら、もともとパチンコに依存症状があった場合でも、なんだかいけそうな感じがしてきます。

しかし、残念ながらこれは、かぎりなく不可能に近いと思います。

なぜかというと、何度かやってみても、すべて失敗におわったから。

依存症の回路になじむ電流はそれをつくったモノ

これも結論からいうと、私が失敗した理由は、「ギャンブル依存症の回路の作動条件は、それをつくったギャンブルがベスト」だと思われるからです。

パチンコ・パチスロへの依存を断ったあと、パチンコ店に行ったことは何度かありました。

たとえば「1回だけは可能なのか?」を検証しに行った、とかです。

ミナト

ほかにもありましたが、

そのたびといってもいいほどに、私はつぎのような状態になっていました。

  • 夜には台の解析情報をしらべる
  • ほかにどういった演出があるのかを動画で確認する
  • つぎはいつ行こうかと予定を立てはじめる

もうこの時点でだめでしょう。

パチンコをやめたあとの生活というのは、

  • パチンコに対する興味がなくなり、
  • いつ行こうかなどと考えることもなく、
  • パチンコが生活に介入してこなくなる。

このような感じになります。

行ったその日からパチンコのことを考えているのなら、それは、生活の浸食(依存症の進行)がはじまっているとしかいえません。

そして、そういうのが何度かくりかえされて、思ったのです。

ミナト

ああ、これは、ムリだな……と

ですから私は、もうパチンコ・スロットはあきらめました。

パチンコで遊べるようになりたいとも考えていませんし、これはほぼ無理だと思っています。

それに、停止した心臓に送られる血液も、元々のモノを送り込んだほうが、いちばんなじむに決まっています。

ようは、ギャンブル依存症の回路を作動させるのは、

その回路をつくった依存対象(私の場合はパチンコ・スロット)による刺激がもっともすぐれている

という話です!

イブスター店長

……!!!

現状では私は、パチンコで正常に遊ぶといったようなことは、不可能だと考えています。

あるとすれば「勝つ以上に稼ぐ」くらいでしょうか。

それ以外の可能性を模索する気は、いまのところはありません。

今回のまとめ

  • 依存症の克服後は、基本的にはいっさいさわらないほうがいい
  • 特定の条件がそろえば、ハマる分類のギャンブルでも遊べる可能性はあるかも
  • 依存対象となったギャンブルへの復帰はほぼ不可能! あきらめたほうがいい

私はもともとゲーム好きでもあったので、パチンコ・スロットに依存したのは、それも関係していたと思います。

当時は、ただ楽しかった時期もありました。

しかしいまは、パチンコに行きたいと思うのが面倒くさいというか、わずらわしく感じるので、行かない状態を継続させています。

ミナト

1回行くと確実にそう(また行きたく)なるからです

それほどに、すでにつくられた回路(心臓)×パチンコ(血液・電流)の作用は強いものなのでしょう。

またGAがいう「コーヒー1杯」のように、全然関係のないギャンブルでも、パチンコを思い出させるフラッシュバック的な危険性はあります。

ですから、ギャンブルへの依存を断ち切れたのなら、いっさいしないほうがいいのはまちがいはありません。

本記事では「やれる可能性」を見てきましたが、可能性というものには、いつだってリスクがつきまといます。

ふたたび破滅の道を歩む……なんてことになるとよくないので、ギャンブル以外の趣味を楽しむのがいちばんいいと思います。

私もそうして、ふだんは、パチンコのない楽しい毎日を送っていますよ。

この記事をシェアする
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント(確認後に反映/少々お時間をいただきます)

コメントする

目次