元パチンコ依存者がほかのギャンブルを正常に楽しむことは可能なのか?

パチンコ依存症を再発させずに、ほかのギャンブルを正常に楽しむことは、元依存者には可能なのでしょうか。

元パチンコ依存症の方や、現在依存症状がある方は、一度はそんなことは可能なのかを考えたことがあるかもしれません。

ズバリ、パチンコ依存症を克服した元依存者が、別のギャンブル、たとえばレースや宝くじ、カジノといったギャンブルを、依存症状が出る(再発する)こともなく、ふつうに楽しんで遊ぶことができるのか? ということです。

これは結論から先にいうと、非常に危険ではあるものの、不可能ではないと私は考えています。

そしてこの問題は、パチンコ依存症とギャンブル依存症の違いにせまる重要な問題だとも思っているので、今回は、もっと先にお話しするはずだった予定を変更して、この問題について考えてみたいと思います。

依存症克服後のギャンブルは可能なのか

一度でもギャンブルに依存したことがある人の脳には、ギャンブル依存症を発生させる回路のようなものができてしまい、それは一生治ることはない、生涯にわたって残り続ける、ともいわれています。

ギャンブルへの依存を断ち切ったあとでも、なにかしらのギャンブルにふれてしまえば、停止した回路が作動し始めてしまうというのです。

それはたとえるならば、完全に停止した心臓に新たな血液が送り込まれ、加えて強烈な電気ショックまでもが与えられ、死体が跳ね起きてよみがえるほどのインパクト、とでもいったところでしょうか。

私の場合はパチンコ依存症の克服前に、FXやカジノといったギャンブルによってそれを何度か味わっているので、ほかのギャンブルがかつて依存症を呼び覚ます仕組み、というか一連の流れのようなものはわかっているつもりです。

現に、ギャンブル問題の解決を目的とした共同体であるギャンブラーズ・アノニマス(GA)も、強迫的ギャンブラー(ギャンブル依存者)はふたたび正常にギャンブルを行うことはできない、という前提のもと、「すると、麻雀やゴルフにほんのわずかな金を賭けることも、サッカーくじを買うこともしてはいけないのか?」という質問に対して、以下の回答をしています。

まさにその通りである。防壁はどこかに作らなければいけない。GAメンバーは、たとえコーヒー一杯だけのささいなものであろうと賭けに手を出すがことを避けなければならないのだということに気がついている。これには次のようなものを含んでいる。インターネット上でのギャンブル、株や先物取引の類、宝くじ、ラッフル券、コインの裏表の賭け、スポーツの勝ち負けを賭けることなど。強迫的ギャンブルとGA

つまり、元ギャンブル依存者は、依存症を克服できたあとは、いっさいのギャンブルからは身を引かなければならない、ということになります。

では、私の場合はどうでしょうか。

私はギャンブル依存症の克服後、いくつかのギャンブルにふれたことがあり、そのなかにはパチンコ、カジノ、宝くじなどがありました。

その結果としては、パチンコはやはりだめで、カジノも若干あやしい部分がありましたが、しかし、宝くじに関してはノーダメージですんでいました。宝くじを購入した(別のギャンブルにふれた)ことによって、もともと依存症状があったパチンコに行きたくなるようなことは、いっさいなかったのです。

そうなると、元パチンコ依存者が別のギャンブルをしたとしても、回路が作動しない可能性もあるのではないか、とも思えてきます。

依存の傾向と使う金額に問題のカギを発見

私は、パチンコやスロットから始まり、麻雀、競馬、競艇、FX、カジノ、などと、ひととおりのギャンブル(厳密にいうとギャンブルではないものもある)をしてきましたが、そのなかでもハマるものと、ハマらないものがありました。

それらを分類してみると、以下のようになります。

【ハマったもの】

  • パチンコ、パチスロ
  • 麻雀
  • カジノ

【ハマらなかったもの】

  • 競馬、競艇、競輪などのレース
  • FXなどの投資(というか投機)
  • 宝くじやサッカーくじなどの「くじ系ギャンブル」

これらの分類わけにはすでに答えが出ています。それは、私が思う自力感と、使う金額の差にありました。

ギャンブルにおける自力感

いずれのギャンブルも(くじ系は除く)ある程度の実力がからむとはいえ、最終的には運の要素が勝負を左右すると思うので、勝ったときには自力感を味わうことができると思います。

パチンコやスロットはもろに「引き」が勝負を左右しますし、麻雀も「ツモ」が重要であり、カジノも勝負の流れに「乗る」ことができなければ勝てません。私はこういったことに自力で勝ったような感じ、つまり「自力感」を見いだしていたように思います。

一方で、レース系のギャンブルでは、たしかに馬やレーサー、レース場などの条件から順位を予測して当てるという自力感はあるとは思いますが、私にはどうも、馬やレーサーの実力で決まった勝負をただ見ているように感じる、ようするに、自分はあくまでも「外」の人間であって、勝負の「中」にいる人間ではないと感じたので、これには自力感を感じることができませんでした。

FXに関しては知識がどうとか関係ないようなところで負ける気配を感じ、宝くじなんてものは自力もなにもなく、そもそも当たるとさえ思っていないので、まったくハマるようなことはなかったのです。

使う(賭ける)金額と生活水準

先ほどの分類には、私がハマる要素、ハマらない要素がまだあります。それが、ギャンブルに使う金額の大きさです。

麻雀はお金を賭けるのは違法なので置いておくとして、パチンコやスロットは最低でも3~4万円はなければ不安だと感じますし、カジノは1ゲームが安くても2000円、ふつうのレートだと4000円などと、つねに微々たる持ち合わせしかないような私の生活水準からすると、軽く遊びの範囲を超えてきます。

そうなると、そのギャンブルは遊びではなく、生活がかかった真剣勝負になってくるのはいうまでもありません。

運よく勝つことができれば、身の丈に合わないようなお金を手にすることができてご機嫌。運悪く負けてしまえば、一気に生活が破綻しかねない状況に追い込まれてすかんぴん。

このような喜怒哀楽の振り幅は、大きければ大きいほど、依存症状を引き起こす回路に強い電気信号(ドーパミンやエンドルフィンといった脳内麻薬)が送られることになると思うので、人は強い依存症状を起こすようになるのだと私は思います。

私がパチンコやカジノにハマったのは、そういったお金の問題も深く関係していたのでしょう。

一方で、レース系のギャンブルは、投票券は100円から購入することができ、FXも1000円あればポジションを保有(外貨の売買をする)することができますし、宝くじも200円あれば1口を購入することができます。

生活水準が低いとはいえ、さすがにこれくらいは私も買えます。しかもこの程度の金額であれば、なくなってもべつに痛くはありません。生活がかかっていないのでアツくなる要素もなく、それもあってハマることはありませんでした。

回路が作動する条件と新たな可能性

それでは、これらの分類わけがなにを意味するのかというと、ギャンブル依存症の克服後でも、ハマらなかったギャンブル、依存症状がなかったギャンブルであれば、ふれても依存症が再発する可能性は高くはないのではないか、ということです。

私はあまりレースには興味がないですし、宝くじもお金の無駄だと思っているのでもう買いませんが、おそらくいますぐに券を購入したとしても、なにも感じないと思いますし、パチンコに行きたくなることもないと思います。

いってしまえばこれらは、私のなかでは、ギャンブルとして認識されていないようなものだからです。

ギャンブルというよりかは遊び、いや、遊びたいとも思わないものであって、これは宝くじの一件もあるので、GAがいうところの「コーヒー1杯」にはならないのではないかと。

また、私の場合は、通常(最低)レートが高いものほどハマる傾向にあり、反対に低いものはハマらない傾向にあることがわかりましたが、そうなると、依存症の回路が作動する条件は、使う金額が身の丈を超えるか超えないか、生活水準から算出されたボーダーラインを、ギャンブルで使用する金額が突破するのかしないのか、というところにもあると考えることができます。

であれば、ハマる分類にわけられたギャンブルでも、使用する金額によっては、依存症状が出ないという可能性も捨てきれなくなってきます。

もはやこじつけのようにも聞こえてきますが、じつは私がそう考えるのは、そう考えさせられるだけの出来事を経験してきたからにほかなりません。

ギャンブル依存症=ALLギャンブル依存症ではない

私は自力感が強く感じられるもの、使う金額が生活をかけるほどになるギャンブルにハマる傾向があり、そういった条件を完全に満たすのがパチンコだったからこそ、パチンコ依存症になってしまったのかもしれません。

ところで、私は以前海外カジノで、有り金をすべて失うという意味での「破産」をしたことがあるのですが、日本に帰ってきてからもパチンコ依存症が再発することはなく、ハマる分類のギャンブルであるカジノにも依存することはありませんでした。

日本にはカジノは現状まだありませんが、オンラインカジノなどで遊べることは遊べるので、度を超えた賭け方で回路が完全に作動、依存症が再発してしまっていたのであれば、おそらくそういったものに手を出していてもおかしくはなかったはずです。

しかし、そうはなりませんでした。

これは金がないという絶対防壁に守られた感は否めません。が、この経験によって、私はさらなる可能性と、自分が患っていたギャンブル依存症の本質を垣間見たような気がしたのです。

ギャンブル依存症とひと言でいっても、すべてのギャンブルに依存症状が出るわけではない、つまり「ギャンブル依存症=ALLギャンブルへの依存症」ではなく、お金の使い方によっては、ハマるたぐいのギャンブルでも、正常に楽しむことができるのではないか、と。

私にはギャンブル依存症を屈服させ、ふたたびカジノに行くという野望があるのですが、そのような経験があったからこそ、そこにいちるの望みを、不可能とされるものをくつがえせる可能性を見いだしているのです。

とはいえ、現状ではおそらくカジノに行ったとしても、かつての忌々しい、悪夢のような出来事の二の舞になることはあきらかなので、それなりの作戦を練らなければならないとも思っています。

それではパチンコの場合はどうなのか

ここまでの私の考えをまとめると、パチンコ依存症はまぎれもなくギャンブル依存症ですが、だからといってレース依存症、くじ依存症といった、あらゆるギャンブルに対して依存症状がでるわけではないことから、パチンコ依存症=ALLギャンブルへの依存症ではないと思われます。

また、依存症状がないギャンブルにふれたとしても、かならずしも回路が作動する、つまりパチンコ行為に連鎖、依存症の再発が起こるわけではないことから、依存症克服後にギャンブルを楽しめる可能性も、ゼロではないのではないか、とも考えることができます。

では、そういうことであれば、もともと依存症状があったパチンコを、ふたたび楽しむことはできるようになるのでしょうか?

しかし、残念ながらこれは、かぎりなく不可能に近いと私は感じています。

ギャンブル依存症克服後にパチンコ店に行ったことは私も何度かありましたが、そのたびといってもいいほどに、夜には台の解析情報を調べ、ほかにどういった演出があるのかを動画で確認、次はいつ行こうかと予定を立て始めたりもしていました。

もうこの時点でだめでしょう。

パチンコ依存症克服後の生活というのは、パチンコに対する興味がいっさいなくなり、いつ行こうかなどと考えることもなくなります。人生や生活に、パチンコが介入してくることが皆無の状態になるのです。

行ったその日からパチンコのことを考え始めているということは、生活の浸食が始まっている、依存症の進行が始まっているということ。それが嫌だからこそ私は、依存症を克服できたあとも、パチンコでふつうに遊べるようになりたいとは考えていません。ほぼ無理だと思っています。

それに、停止した心臓に送られてくる血液も、その心臓がつくられるきっかけとなった対象から送り込まれるものが、いちばんなじむに決まっています。依存症の回路を作動させるのは、回路をつくった依存対象による刺激が最もすぐれているのです。

現状では私は、パチンコで正常に遊ぶといったようなことは、不可能だと考えています。その可能性を模索する気もありません。

今回のまとめ

・依存症克服後は基本的にはいっさいさわらないほうがいい
・特定の条件がそろえば、ハマる分類のギャンブルでも遊べる可能性がある
・パチンコへの復帰は不可能に近い

私は飲み会の予定などが何週間後と決まっていると、3日前くらいからだんだん面倒くさくなってきて、前日になると行きたくなくなったりすることもあるのですが(行ったら行ったで楽しくなる)、パチンコとなると話は別になります。

2週間後、3週間後でも、この休日はパチンコに行こうと思うようになり、予定がなければそれを最優先してしまうのです。これは、依存症を克服したいまでも変わらず、一度でもパチンコに行けばそうなってしまいます。

それがもう面倒くさいというか、行きたいと思うこと自体がわずらわしいと感じるので、私はパチンコをやめ、行かないことにしています。おそらく私の場合は、パチンコはもうどうにもならないのかもしれません。

それほどに、すでにつくられてしまった回路という心臓と、パチンコという血液の作用が強すぎるのだと思います。だからこそ、可能性も模索しない。パチンコはもう終了でいいのです。

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