パチンコ・パチスロに依存した最後の一年半の収支結果

これは私がギャンブルをやめるまでの最後の一年間と半年の収支結果です。

こんにちは、現役バーテンダーの湊です。
私はギャンブルをやめた友人から収支結果だけは必ずつけておいたほうがいいとアドバイスされ、ギャンブルをやめる一年半前から収支をつけていました。
ご覧いただければ私の借金返済生活が泥沼・長期化した理由がお分かりになると思いますし、ギャンブル依存症を克服するための参考になる情報の一つだと思うので、書いていきたいと思います。

ギャンブル依存症最後の一年半

2015年

12/4 -33,000
12/10 -16,500
12/16 -18,000
12/20 -53,000
合計 マイナス120,500円

記録は2015年12月が最も古いものでした。
この頃になると1日に3~5万円ほどの負けは最早当たり前のようになっており、それだけの額を負けても特に何も感じなくなっており、このお金があればこんなことができたのにといった思考はもはや消え去っていました。
1~3万円の負けで済めばいい方、4~6万円はよくあること、7~9万円は精神的に大きなダメージを負う、10万~は立ち直るのに数日間を要するといった風でした。

2016年

1/15 -51,500
1/25 -90,000
合計 マイナス14,1500円

朝も夜もほとんど寝ずに働きお金を稼いでいたのは、借金の返済のためでした。しかし命を削って稼いだお金の大半はギャンブルへと消えて行っていたのです。

3/12 -47,000
3/16 +23,000
3/18 -30,000
3/20 +73,000
3/27 -5,000
合計 プラス14,000

たとえ一か月の収支がプラスになることがあってもそれは微々たるもので、今までの負け分を取り返そうなんてことは微塵も考えなくなりました。ただ、脳から出される「まやかしの快楽を得よ」という指令に従い私は日々パチンコ店へ向かいます。

4/3 -4,000
4/9 -70,000
4/17 -50,000
4/30 -6,000
合計 マイナス130,000円
5/11 -47,000
5/17 -80,000
合計 マイナス127,000円

「もうほんとやめなって。いつまでも借金背負って。何もやりたいことできないまま人生終わっちまうぞ。一回行く度に平均3万は消えてる。
パチ屋行きたくなったら、3万借金して貯金箱の中にでも入れろ」

収支のメモに当時の私が書いたものが残っていました。
しかしもうギャンブルはやめろという意思は脆くもかき消されてしまいます。

7/6 -25,000
7/9 -44,000
7/14 -5,000
7/19 -80,000
7/29 -47,000
合計 マイナス201,000円

一体どこにこんなお金があったのか。それは返済して空いた借り入れ可能額から再び借金をしていたからです。ギャンブル依存症になってからは7~8年間は私は自転車操業(借金の利息と元本を返してからまた借金をして生活すること)をしていました。

8/20 -15,000
8/26 +60,000
8/31 -20,000
合計 プラス25,000円
9/8 -36,000
9/10 -34,000
9/11 -20,000
9/20 -50,000
合計 マイナス140,000円

逆にどうすればここまで負けられるのかと思われるかもしれません。
私はとにかく出るまでやり続けていました。少し出ただけでは納得がいかず、大きく出るまでやめられなかったのです。そして負けている時は負け額を上回るほどの出玉を得るまでやめることはありませんでした。
なので、必然的に休日の朝からパチンコ店へ行けば負ける金額も大きくなる傾向にありました。

10/15 -40,000
10/20 +32,000
10/25 -110,000
10/29 -57,000
合計 マイナス175,000円

10/29日は投資が15万円までかさみました。約10年に渡るギャンブル依存症生活において、パチンコ店で使った金額が最も多かったのがこの日でした。
最後に大きく戻ってきたからよかったもののパチンコ店で1日に使う額ではないですし、何度もATMへ駆け込み、ただただ万札を擦り続けた記憶からはおぞましさしか思い出せません。
2016年はそれ以降パチンコ店へは行きませんでした。

2017年

1/2 -37,000
1/16 -30,000
1/17 -35,000
1/18 -33,000
合計 マイナス135,000円

正月三が日からギャンブル。もちろん負けます。

2/14 -85,000円
合計 マイナス85,000円

バレンタインデーもギャンブル。もちろん負けます。

3/1 -26,000
3/14 -9,000
3/19 -7,500
3/22 -53,000
3/27 -12,000
合計 マイナス107,500円
4/8 +40,000
4/11 +35,000
4/26 -7,000
4/30 +68,000
合計 プラス136,000円

珍しくプラスに転じてもそれまで失ってきた額には到底及びません。そしてギャンブルで増えたお金は確実にギャンブルで消えます。増えた分よりも失います。
つまり、ギャンブル依存症者にとってギャンブルでお金が増えるということは、さらに多くのお金を失うきっかけになるだけということなのです。

5/2 -13,000
5/20 -46,000
5/22 -17,000
5/24 -38,000
5/30 -24,000
合計 マイナス138,000円

2017年5月は韓国にカジノ旅行へ行きました。これは別でお話ししようと思いますが、一つだけ先に言うと、ギャンブルに触れ続ける限りギャンブルはやめられないということです。カジノがなければパチンコ、パチンコがなければ競馬など、ギャンブル依存症の脳は本心とは裏腹にギャンブル行為を求め続けます。
ギャンブル依存症を克服するためには、完全にギャンブルを人生から断ち切らなければならないのです。

6/5 -68,000
6/11 +11,000
6/13 -20,000
6/17 -15,000
6/19 +13,500
6/22 -36,500
6/23 -72,000
合計 マイナス187,000円

約10年間に及ぶ、長きに渡るギャンブル人生はここで幕を下ろしました。

一年半の間で失ったトータルの金額や勝率など

入店回数 59回(パチンコ2回、パチスロ57回)
トータル収支 マイナス151万2500円
平均収支額 マイナス25,635円
勝率 勝率15%(9/59)、負ける確率85%(50/59)

一年と半年の間でパチンコ店へ行った回数は59回で、基本的に私はパチンコはやらなかったのですが、あまりにも勝てなさ過ぎて2回だけパチンコをやった記憶があります。(もちろんその2回とも負けましたが……
一年半のトータルの収支はマイナス151万2500円で、平均すると一回パチンコ店へ行く度に約2万5000円を失っていました。
パチンコ店へ行った日に最終的にプラスで終える割合は15%で、負ける割合は85%でした。一般的にパチンコ店では全体の約9割は負けていると言われています。ちょうどそれとほぼ同じような数字が出ています。

記録をつけていた当時はいくら負けていることがわかっていてもギャンブルをやめることができませんした。しかし今になって過去を振り返り、今後もギャンブル依存症の再発を防止するいい材料にもなるので、記録をつけていてよかったと思っています。

約10年間のギャンブル依存症を振り返ってみて思うこと

今こうして冷静な目で自分がしてきた事や、使ってきたお金、費やしてきた時間を振り返ってみると、自分は本当に何をしていたんだと思います。
当時は楽しいと思い込んでいたギャンブルも、今になって思えば何が面白かったのか、何の思い出もありませんし、只々当時の自分を恥ずかしく思うばかりです。そしてギャンブルによって脳が異常を起こしていたというのも今になってよくわかります。

しかしギャンブル依存症になったからこそ、うつ病や対人恐怖症もそうですが、病気を患ったからこそ、病気を患った者にしかわからない辛さを知ることができました。
そしてそれらの病気を患ったからこそバーテンダーとしての今の自分があると思いますし、その辛さを乗り越えることができたからこそ、今こうして同じような苦しみを持つ方のお力になりたいと当サイトを開設することができました。

それだけで十分じゃないか。

私は本心からそう思っています。
ギャンブル依存症によって多くの時間とお金を失ってきました。うつ病や対人恐怖症によって精神状態と肉体を限界まですり減らしてきました。
しかしそれを代償に誰かの力になることができるのなら、かつての私のように同じような苦しみの中にいる方を救う事ができるのなら、それだけで私が精神疾患によってもがき苦しんできたことに意味を見出すことができます。失ってきた時間もお金も、何もかも無駄ではなかったと思うことができます。

昔私が小学生だった頃、担任の教師にこう聞かれたことがありました。

「ミナトは将来大人になったら何がしたい?」

私はその時、人の役に立つ仕事がしたいと言いました。
今、自分はどれだけ人の役に立てているかわかりません。しかし、ギャンブル依存症やその他の精神疾患を経験してきた事によっても、少年だった頃の夢が少しづつ近づいてきたのではないかと思っています。

私にとってギャンブル依存症によって苦しめられてきたこの10年間は、少年の頃抱いた、夢の欠片を集めていた時間だったのかもしれません。

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