私は10年以上パチンコ・パチスロがやめられなかった元ギャンブル依存者です。
しかし現在は、この問題の解決に成功していて、いわゆる「ギャンブル依存症から回復した人」になることができています。
そこで思った(考えるようになった)のが、つぎのことでした。
- ギャンブル依存症の克服は、どの状態までいけば成功したことになるのか?
- 逆に、どの状態は未達成(まだ回復していない・克服できていない)になるのか?
数年間、十数年間パチンコに行っていなければ回復成功?
再発の危険はつねにあるので、それだけ行っていなくてもまだ克服はできていない?

もしかすると、これに答えはないのかもしれません
ギャンブル依存症とひと言でいっても、症状は人それぞれなので、そこに明確なラインを引くのはむずかしいと思われるからです。
とはいえ、こういったことは考えることに意味があるというものでしょう。
そこで本記事では、私の経験をもとに、ギャンブル依存症の克服とはどの地点からをいうのか? を考えてみることにします。
元依存者である私にとっての「真の克服」についてもお話しするので、どうぞごらんください。
パチンコ依存からの回復・克服とは何か
結論からいうと、ギャンブル依存症を克服できた状態は、これだと思います。
- なりたいと思っていた自分になれたとき
- 克服を掲げて立てた目標をクリアできたとき
- 自分で設定した期間、それらを継続させられたとき
ハッキリとした数値や期間を表記していない理由は、これからお話ししていきます。
またこの話は、私の経験をもとにしたものなので、あくまで一個人の意見としてお聞きいただければと思います。



それでは、
さっそく見ていきましょう!
ギャンブル依存症の回復前と克服後
かつての私は、まちがいなく狂っていました。
パチンコに行くためなら平気で人との約束を破り(場合によっては仕事もサボり)、お金がなければ借金をしてでも行きました。
というか、つねに軍資金は借金で、
- お金の使い方
- 行く行かないのコントロール
こういったことは完全に不可能な状態です。
「もうやめよう」と思うことがあったとしても、翌日に予定がなければ、「もう行っている」のが日常でした。



10年以上そんな感じでしたね
ほかにもあげれば切りがないですが、いわゆるパチンカス状態で、はたから見ても「病気」だったと思います。
では、そんな私の現在はどうでしょう?
- 人との約束よりもパチンコを優先することはない(そもそもパチンコに行っていない)
- パチンコによる借金は完済し、消費者金融はすべて解約。キャッシングもいっさい使っていない
- パチンコに行く行かないの制御ができる。なんとなく気になっても簡単に気をそらせる
このように、すくなくとも、パチンコに依存しているということはありません。
あれだけ「やめるのはムリだ」としか思えなかったパチンコに行っていないので、依存症は克服できているようにも思えます。



ただ、「まだなのでは?」と思ったりもするわけです
それでもまだ、ギャンブル依存症を克服できていないのではないか? と。
なぜそう思うのかというと、パチンコへの依存を断てたあとでも「負けたまま帰る」ができなかったからです。
回復後も治らなかった「負けたまま帰れない」
この「負けたまま帰れない」問題は、わりと重要なことだと思うので、すこしくわしくお話ししましょう。
元依存者の私は、いまでこそパチンコはいっさいしていません。
しかし当時は、たとえば「1回だけは可能なのか?」を検証しに行くなど、ごくまれにパチンコ店に行くこともありました。
そしてそのたびに、
大きく負けて帰ってきて、またパチンコに行かなくなる……
ということを、何度かくりかえしていました。



つまり、私の場合、
パチンコに行くまでは(基本は)制御できていても、
- 使う限度額を決める
- 負けたまま帰る(見切りをつける)
ひとたび行こうものなら、こういったことができなくなってしまう、というわけです。
それは、ギャンブル依存症をわずらっていた当時と、まったく変わりはありませんでした。
お金のコントロールができなければダメ?
では、お金のコントロールができなければ、ギャンブル依存症を克服したとはいえないのか?
ちなみにこれは、依存症を診断するチェックリストでも、質問としてよくでてきます。
以下のようなことに当てはまるのなら、「それは依存症かもしれませんよ?」といったふうにして。
- 負けを取り返そうとしてやっきになる
- 使うお金をいくらまでと決められない
- 負けたままではあきらめて帰ることができない



私はいまも、これは(おそらく)できません
そうなると、ギャンブル依存症の克服は、このようにいえるのでしょうか?
自宅での行動のコントロールはできても、現場でのお金のコントロールができないのなら、ギャンブル依存症はまだ克服できてはいない。



とはいっても……だな
ギャンブルとは、そういうものでもあります。
負けたまま帰れないのは、人間の本質的な心理でもあって、ある程度しかたない部分もある気がするからです。
となると、私のようなつぎの状態は、
- ふだんはコントロールすることができるが、
- パチンコに行ってしまえばコントロールはできない
「まだ克服できていない」ともいえますし、「もう克服できている」ともいえる気がします。
お金のコントロールがきかないのは、いわば「人として当たり前」なことでもあるからですよね。



ただ、結論をあせる必要はありません
ということで、ここでの話はいったん置いておき、有名な「GA」の見解も見てみることにしましょう。
ギャンブル依存症は治るわけではなく「止まる」
ギャンブル問題の解決を目的とした自助グループに、GAという有名なところがあります。



ギャンブラーズ・アノニマス、だな
当事者同士が集まって問題を共有する、ミーティング(会合)を全国でおこなっているところですね。
このGAでは、ギャンブル依存症を「強迫的ギャンブル」と呼び、つぎのように定義しています。
強迫的ギャンブルとは病気である。進行性のものであり、完治することはないが、進行をとめることができる、というものである。
強迫的ギャンブルとGA
このことから、GAではギャンブル依存症の克服を、完治ではなく進行の「食い止め」と考えている、ということができそうです。



「停止」ということのようです
いいかえると、ギャンブル依存症は100%で治るわけではなく、あくまでそこで「止まっている」……と。
寛解と治癒、停止と克服
ギャンブル依存症は完治しない、という意見もあることがわかりました。
また、完治と似たものに「寛解」という言葉もあるので、これも見ていきましょう。
寛解(かんかい)とは、つぎの病気の回復状態をいいます。
- 病気の症状が一時的あるいは継続的に軽減した状態
- または見かけ上は消滅している状態のこと
それに対し、完全に治っている状態は、「治癒(ちゆ)」という言葉を使うそうです。
つまり、GAがいうところのギャンブル依存症の克服とは、
治癒(ちゆ)ではなく寛解(かんかい)の状態のこと
これをいっているものと思われます。
私のように「行ってしまえば制御がきかない」のも、



完治しているわけじゃないんだな
ということなら説明がつきますよね。
そこで、これを踏まえたうえで、もういちどお金のコントロールについて考えてみたいと思います。
ギャンブル依存者はささいな賭けごともできない?
さてGAでは、つぎの質問に対し、
- ギャンブル依存症者は、ふたたび正常にギャンブルをできるようにはならないのか?
以下の回答をしています。
ならない。問題あるギャンブラーにとって、ささいな賭けに手を出すということは、アルコール依存症者が「最初の一杯」に手を出すのと同じことである。遅かれ早かれ、かつての破壊的なパターンに戻ることになる。
強迫的ギャンブルとGA
GAによると、見えない一線を超えてしまうと、
- ギャンブルへのコントロールが失われて制御不能となり、
- 古い脅迫観念(ギャンブルがしたい)がもどってくるようになる
のだそうです。



つまり、いっさいのギャンブルはしてはいけない……と
それでは再度になりますが、私の場合はどうか?
私の場合、かつての破壊的に狂った状態が「100」だとすると、現在は「5」くらいではないかと思っています。
ごくまれにパチンコに行くことがあるから。
ところが、パチンコに行ったとしても、MAXの「100」にもどってさらに進行する、つまり「100」を超えはじめることはありませんでした。
- 借金をしてでも行く
- 仕事をサボってでも行く
こういった、当時のような「破壊的な生活パターン」にまで、さすがにもどることはなかったのです。



破滅的なお金の使い方(遊戯中)は変わりませんでしたが
勝っても負けてもまた行きたくはなるので、たしかに「5」からは多少進行します。
遊戯中に限定すれば、あれは「100」にもどっていたかもしれません。
とはいえ、すぐに負けて行かなくなるので、しばらくするとまたすべては「5」にもどるのです。



と、いうことは……?
ふだんは「寛解」を維持できているので、“パチンコに行きさえしなければ”克服できている、と言うことができるのかもしれません。
そして最新の「現在」では、それ(パチンコに行かない)をほぼ完全にコントロールできているので、やはり回復に成功したのではないか? と。
GAがいう「進行」が、つぎのどれを指すのかは定かではありませんが、
- 最大値からの進行なのか
- 現在値からの進行なのか
- あるいはその両方を指すのか
しかし私の場合、パチンコに行ったとしても、以前の最悪な状態以上に進行することはありませんでした。
そう考えると、私はギャンブル依存症の克服に、いちおう成功しているように思えてきます。



ただ……
私はこれで「ハッピーエンド」とする気はありません。
なぜかというと、私には、「真の克服」なる野望があるからです。
ひとまずの結論は、個人の目的の達成
- 行けばお金のコントロールはできない(実体験)
- ギャンブル依存症者はささいな賭けごともできない(GA)
- ギャンブル依存症は完治しない=今後二度とギャンブルはしていけない
ここまでの話で、こういったことがわかりました。
そこで、これらをもとにして、私の考える「克服」を最後にお話ししましょう。
ちなみにこれには、
- 一般的にいえるもの
- 私個人が考えているもの
この2つがあるので、順番にお話ししていきたいと思います。
まずは、最初のほうでもお話ししたものからです。ごらんください。
一般的なギャンブル依存症の克服
まずは一般的にいえるギャンブル依存症の克服から。
ギャンブル依存症になってしまった人は、おそらく、だれもが地獄を見てきています。
- 借金地獄、返済地獄
- やめたくてもやめられない
- 離婚、破局など、大切な人を失ってしまった
それでも、自分の意志ではどうにもならないからこそ、この問題は深刻なものになるわけですよね。
ただ、そんな当時、



パチンコのない人生を送りたい……
とか、「なりたい自分像」のようなものはあったはずだと思います。
それなら、その「なりたい自分」になれたときこそが、なのではないでしょうか?
ようは、ギャンブル依存症の克服というのは、個人の主観でいいと私は思うのです。
べつに期間とかはいいと思う
ギャンブル依存症の回復安定期は3年間ともいわれます。
しかし当時の私からすれば、1か月間パチンコに行かないだけでも奇跡だと思っていました。
そのことから、まずは最初のツラい禁断症状を乗り越えられただけでも、ちょっとは「なりたい自分になれている」のでは? と思うのです。



すでに奇跡に近いことが起きているわけですからね
また、そもそもの話をすると、克服とはつぎのことを意味します。
克服:努力して困難にうちかつこと。困難をのりこえること。
となると、自分が困難と感じていた期間ギャンブルをしていなければ、それは「困難」に打ち勝っているわけです。
それなら、(べつに3年間はたっていなくても)ある程度離れられていれば、それは克服できたと感じてもいいのではないでしょうか?
ただし、さすがにそれが、
数日間とか数週間とか行かないだけで、すぐにまた行ってしまう
とかになると、これはギャンブル依存症を克服できている、とはいえないと思います。



これは……ちょっと我慢できたくらいですね
ですから、「もうやめよう」と決めたさいに思った、つぎのような目標を達成し、
- パチンコのことを考えない人生を送る
- パチンコ以外のことを楽しめるようになる
なおかつそれを、自分が思った期間以上に継続させられたなら、それは「克服できた」状態としてもいいのではないかと。
- 私が経験したお金の使い方(無変化)や、
- GAがいう「二度と元どおりにはならない」のように、
基本的には、ギャンブル依存症者が、通常のギャンブラーにもどるのは不可能だと思います。
よって、これはもうあきらめて離れ、自分が「こうなりたい」と思った生活を(思った期間)継続させること。
まとめると、ギャンブル依存症の克服とは、以下のとおりと考えます。
- なりたいと思っていた自分になれたとき
- 克服を掲げて立てた目標をクリアできたとき
- 自分で設定した期間、それらを継続させられたとき
当時の自分が、思い描いた未来がそこ(現在)にあれば、それはひとまずのゴールでいいのではないでしょうか?
失敗してしまったら、またトライすればいいだけです。
私の経験上、いちど克服できたあとの再克服は、かなりラクになっていると感じました。
そういったこともあるので、やはり自分が思った地点に到達できたのなら、それは克服できたと考えてもいいのではないかと思いますよ。
私個人が考える「+α」の克服
またこれは余談ですが、私が考える、個人的な「真の克服」についてもお話しておきます。
私は「できない」といわれると、むしょうにそれをやりたくなる性格でもあります。
- これはこうしないとダメ
- これは絶対に必要だから使いましょう
そういった王道のセオリーのようなものを、実力でねじ伏せたくなることがあるわけです。



同じ考えの人もたくさんいるはず……だと思います
そしてそれは、このギャンブル問題でもそう。



と、いうことは……?
「ギャンブル依存症になった人間は、ほんとうに二度とギャンブルはできないのか?」
これを、じっさいに確かめないといけないと思っている、ということです。
というか、それを実現させるのが、(私にとっての)真の克服になるのではないかとも思うのです。



なぜかというと、
正常にギャンブルをできるようになれば、
- お金の使い方をコントロールできるようになる
- 二度とギャンブルはできないという通説をくつがえせる
という、困難を乗り越える(=克服する)ことができるから。
ギャンブルを切り離すだけが克服ではない?
そもそも私は、ギャンブル自体がきらいなわけではありません。
むしろどちらかといえば好きなほうで、好きだったからこそ「依存症になるまでのめり込んでしまった」とも思っています。
たしかに以前は、パチンコ・パチスロのせいでどん底にまで落ち、
- そこからはいあがることもできず、
- ただ泥水をすすりながら、
パチンコ業界と、自分を止めてくれなかった周囲の人間に対して恨みの感情をいだいていた、なんてこともありました。
ですから、ギャンブルには二度と近づかないのが(誰にとっても)賢明な判断だと思います。
私の場合だと、経済状況が今後よくなっていけば、以前よりも症状が悪化する危険性もありますから。



GAのいう「進行」のように、です
ただ、私にはやり残したことがあるわけです。
パチンコ・スロットではなく、海外カジノ。
趣味の海外旅行の夜などに、ちょっと楽しんで遊べるようになりたい……と思っていたりもするのです。
- カジノに行って、お金はいくらまでしか使わない
- これだけ負けたらもう帰る、あくまで趣味としての遊び
これは、私にとっての「なりたい自分」のビジョンでもあります。
だから、これを成功させることが、私にとっては真の克服でもある、と。
不可能とされることを可能にし、なりたい自分になるのです。
そしてこの件に関しては、「行かない」を維持させるだけでは答えはでません。
さらにいうと、「遊べるようになる」は、「行かない」よりも難易度が高いと思います。



なので、今後の人生を使って
私はこの「元パチンコ依存者はカジノに行けるのか?」を検証していきたいと思っています。
いまのところハッキリとしたことはいえませんが、
ギャンブルを完全に人生から切り離す
それだけが、ギャンブル依存症の克服ではないのかもしれません。
まあ……あくまでも「例外」の話ですけどね。
今回のまとめ
- ギャンブル依存症は完治しないが停止させることはできる
- 停止状態が寛解で、それがいわゆる「克服」状態だと考えられる
- 期間は人それぞれなので、ひとまずは個人の目標の達成を目指すべき
10年以上やめられなかった私でもできたように、パチンコなどへの依存は克服できます。
そしてギャンブルを完全に人生から切り離せれば、それを維持するのはそこまでむずかしくはありません。
二度とやらなければ、再発・進行といったことは起きなくなるので、まずはそこを目指すべきでしょう。



ただ、さきのとおりで、
私にはやり残したことがあるので、今後もギャンブルを制御できる可能性は模索したいとは思っています。
それに、おなじようなこと(また正常にギャンブルをしたい)を思っている人には、その可能性をしめせるかもしれませんから。
そんなわけで、ギャンブル依存症の克服は、つぎのような目標を達成することからだと思います。
- パチンコ以外の趣味を楽しみたい
- パチンコをやめたあとの生活を送る
- 二度とギャンブルはしないようにする
その後になって、私のように「新たな道」を探したくなったら、危険を覚悟で進むのもありかもしれません。
人生は人それぞれなので、最終的に自分が責任を持てるのなら、好きなようにやってみればいいということです。
もっとも、基本的には破滅するだけだと思うので、「正常にギャンブルを……」なんていう挑戦はしないほうがいいと思います。
いろいろといっておきながら、私は依存対象になったパチンコ・スロットをする気はもうありません。
カジノうんぬんは、「海外に行ったときにしかせず、それに依存することはなかったから」という、特殊な条件があるからこその話でもあります。
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