これは、以前私が勤務していたバーで、しかも最悪のタイミングで起こった、食い逃げ事件の一部始終です。
途中でお金が足りないことに気がつき、怖くなって逃げてしまった。生活苦などの理由から警察に逮捕されるために、わざと無銭飲食をした。
そんな「食い逃げ」にまつわる話は、ときどき耳にしたりもするものですが、実際のところ、ほんとうにそんなことが起こるのかというのは、気になるところでもあると思います。
私も学生時代のアルバイトも含めれば、10年以上飲食業界にたずさわってきましたが、当然そのような現場に出くわしたことは一度もなく、正直食い逃げなんてものは、都市伝説レベルの話だと思っていました。そう、自分が被害に遭うまでは……。
これは、うっかりしていて飲食代金を支払うのを忘れてしまったとか、酔っぱらっていてそのまま帰ってしまった、とかいう系統の話ではありません。今回は私が長年勤務していたバーで起きた、食い逃げ事件についてお話ししたいと思います。
食い逃げ詐欺?事件はバーで起きた
これは、私が初めて一人で店を任されるという、記念すべき日に起きた話です。
当時の私は街のショットバーで働いていて、そのときは、入店(勤務を開始)してからは日が浅く、バーテンダーとしての経験も不十分で、すべての業務を完遂できるレベルには達していない状態でした。
しかし、背に腹は代えられないということだったのでしょう。深刻な人手不足という理由で私は、中途半端ながらも、店を任されることになったのです。
バーテンダーにとっては、非常に多くの経験を積めるので、これはとてもよろこばしいこと。けれども、そんな期待よりも、「ほんとうにだいじょうぶかこれ」という不安のほうがまさる心境で、私はその日を迎えました。
緊張感高まる一人営業。ところが、いざ営業がスタートすると、応援に駆けつけてくれた常連さんが助けてくれ、私はなんとか業務を遂行することができていました。
あっというまにその日の営業も終盤戦へ。このまま、無事に一人営業初日を終えられる。そう思いながら、店の片づけを始めていたときでした。ドアを開く音が店内にみょうにひびき、1人の男性が入ってきたのです。
きわどい時間帯ながらもまだ営業時間内。男性は席に着くと、こう切り出しました。

……お兄さん、フリーメイソンて、知ってる?
このとき、なにかぞわっとするものを感じたことを、いまでも覚えています。
初対面で、しかも第一声がフリーメイソン。確実にやばい気配しか感じられません。
フリーメイソンとは秘密結社のことで、「世界を裏で牛耳る真の支配者」とか「陰で政治を操る闇の主導者」とかいわれていますが、実際のところなにをしているのかは、“秘密”結社なので私にはわかりません。基本的には慈善活動をおこなっているようです。
そこからは、その男性の秘密結社についての談義が始まり、フリーメイソンには人口を減らす計画があるだとか、同じく秘密結社である「イルミナティ」のカードゲームでは、アメリカ同時多発テロ(911)が予言されていた(これは有名な話)などと、そういったオカルトチックな話が延々と続くこと数十分。
耐えきれなくなった私は、ここで、こう切り返したのです。

なにか飲まれますか……?
そう、この男性、まだなにも注文していなかったのです!

いいの? それじゃあなにか安いやつを。あとこれ、あげるよ
私には「いいの?」の意味がわからなかったのですが、男性客の要望どおり、いちばん安いものを提供します。
また、男性客からは、なにかの総菜が入ったタッパー(食べかけ?)をあげるといわれたのですが、さすがにそこは丁重にことわり、さらによくわからない話を聞かされること小一時間ほど。
まもなく閉店時間となり、男性客もそろそろ帰るというので、私はお会計を出したのです。ちなみに金額は、チャージ+お酒代で1100円でした。

え、お金取るの? というかそれ、さっきの(総菜)と交換てことじゃなかったの!?
もはやわけがわかりません。
総菜と交換って、そんな話、飲食店であるわけがないでしょう。やはり、私のやばいと感じた直感は、あたっていたのです!
後日支払うと嘘をついて男は店から逃亡をはかる
話を聞くと、なんとこの男性客、そもそも所持金がない状態で入店し、最初からお酒を飲む気はなかったというのです。さらには、キャッシュカードのなかにも残高はなく、お金を下ろすこともできないと。
それならなぜ入ってきたのか、と私は問いただしたかったのですが、ことが起きてしまった以上、この状況では話し合っていてもらちがあきません。ひとまずは男性客が後日支払いにくるということで話がつき、私は、男性客の電話番号と氏名を書いた紙を受け取りました。
しかし残念なことに、これまでの言動からして、この紙きれ1枚だけではこの男性を信用するに足らず、さらにいうと、これだけでは店の経営者にあとで文句をいわれることはわかりきっていたので、私は提案したのです。
なにかもう1つだけ置いていってもらうことはできないかと。

そしたら免許証……いや、そういえば明日車の運転があるからだめだ

それならパスポート……いや、明日必要になるかもしれない
車の運転ならまだしも、明日飛行機に乗るなんてことがあるのか?
とはいえ、知らない店に身分証明書を置いていくというのは、プライバシー的な問題もあるので、それは避けたいと思うのも不思議なことではありません。
そこで私は、ならばお互いの信用のため、コピーしたものでいいから、なにか身分を証明できるものを置いていってくれないか、と提案します。
が……

コピーするお金がない

…………
私はポケットマネーから10円玉を何枚か渡しました。男性は「すぐコピーして戻ってくるから!」といい残し、店から出ていきます。
もしかするとこの男性は、このままもう戻ってこないかもしれない。
これまでのやりとり、とくに身分証がどうこうのくだりで、「なんとかしてこの場だけでもしのげれば」という男性の気配を私は感じ取っていたのです。
けれど、戻ってくるといったのだから、その言葉を信じよう。私は店で一人、男性が戻るのを待つことにしたのです。
警察に通報するしかないと電話をかけた
私が勤務していた店の近くにはコンビニが何軒かあり、コピーを取って戻ってくるだけであれば、5~10分もあればこと足りるはずでした。ところが、30分待っても、1時間待っても、男性が店に戻ってくることはありません。
食い逃げ……。
逃走のおそれがあるなかでのこの判断(なにも置いていってもらわずに店から出す)がそれを招いてしまったのかもしれませんが、こうなる可能性は、少なからずあるとは自分でもわかっていました。しかし、まさか、ほんとうに逃げるとは……。
しかも、経営者に指示をあおいだところ、責任を取らされ、飲食代金は私が立て替えることになるというおまけつき。
1000円程度とはいえ、当時の生活に困窮していた私にとっては、なけなしのお金。働きにきているのにお金を払わされるというのもいかがなものか、なんとかしてこれを取り戻す方法はないか。私は疲れきった頭をフル回転させます。
いや、待てよ、そういえば電話番号を聞いたぞ。
男性客はコピーをして戻ってくるという「うそ」をついて逃げました。これはもう詐欺みたいなものでしょう。こんなことを許してはいけません。彼は、私が渡した数十円も盗んでいったのですから……!
私は男性が置いていった電話番号をいそいでプッシュします。すると、6~7コールほどで、なんと男性は電話に出たのです。

…………
無言をつらぬく男性。
これはおそらく、うそをついて逃げたという、うしろめたい気持ちがあるからでしょう。また、すぐに電話を切らないのは、こちらがどう出るのかをさぐっているようにも思われました。
そこで、ここを好機と見た私は、男性がこちらの出方をうかがって通話状態を維持しているすきに、たたみかけたのです。

経営者は本来すぐに通報するところ、私が自腹で立て替えたので、ひとまずは通報はしないといっています

ただ、このままの状態では、いずれ警察に通報することになってしまいます。いつでもいいので、お金を払いに来てもらえませんか? 私だって、こんなことで通報なんかしたくないんですよ

…………(ブツッ)
ここで通話は終了となりましたが、おそらく男性は、私がいったことはすべて聞いていたように思われました。
店内には監視カメラもなければ、食い逃げも現行犯ではありません。
また、これはまったく関係ない話で、以前私はお金を盗まれて警察に通報したことがあるのですが、こういった事件というのは、ことが終わったあとからでは(その場でないと)、通報しても犯人が捕まることはあまりないようにも思われます。
加えて、うそをついてコピー代金を持ち去ったのはかなりあやしいものの、この男性客は当初、酒を飲む気はなかった、つまり無線飲食をするつもりではなかった(故意ではなかった)、というポイントが詐欺ではないとする考え方もあるようです。
ようするに、この場合は名前と電話番号が判明しているので話が変わってくるかもしれませんが、警察に通報したとしても、犯人が捕まる可能性は高くはないように思われ、なけなしのお金を取り戻すには、本人に返してもらうほかなかったのです。
そしてなによりも、こんなくだらないことで警察に通報し、逮捕される人なんて、私は見たくはありませんでした。
店側は私が補填したからそれでいいみたいになっていたので、本気で通報する気なんてものは、はなからなかったのですが……。
男性は後日になって店にやってきた
人の良心やあまさにつけ込み、それを足蹴にしていく者に対抗するためには、人を信じることをやめるしかないのか。
今回のケースでいえば、たしかに例の男性には、最初はお酒を飲む気はなかったという事情があったのかもしれませんが、この一件以降、私はまた人を信用できなくなりつつあり、この件はしだいに風化していきました。
しかし、問題が起きた日から数えて2~3週間後、その男性は店の前に現れました。くしゃくしゃになった1000円札と、100円玉をその手に持って。
男性はこういいました。

きっと君も、生活が大変だったと思うんだけど、そんななか、お金を立て替えてもらっててごめん
いまになって思えば、ただ警察に通報されたくなかったから返しにきただけのことなのかもしれません。けれどそのときの私には、人を信じた自分の心が救われ、また人を信用してみようかなとも思えたものです。
食い逃げは食い逃げですが、いちおう返しにきてくれたということで、この件は丸くおさまって解決。それからこの男性のすがたを店で見かけることはありませんでしたが、いい勉強になった「バー食い逃げ事件」でした。
あれ、そういえば、コピー代返してもらってないな。
今回のまとめ
・ただし、食い逃げをする意思がなかった場合は詐欺にはならないことも
・相手の連絡先などはきちんと確認しておいたほうがいいかも
私が経験したのはこの一件だけでしたが、以前、常連さんがお金を下ろしにいき、酔っぱらっていて支払いを忘れてしまい、そのまま帰ってしまった、ということもあったようで、この場合はツケということで問題にはならなかったようですが、こういったことは飲食店で働いていれば、まれにあることではあるような気もします。
判断がむずかしいところではありますが、一度店を出るとなる場合は、お互いの信用のため、なにかを置いていってもらうようにしたほうがいいのかもしれないと、この件以降私は感じるようになりました。
私も万が一自分がそのような状態になったときは、スマホなどを一時的にあずかってもらうようにしています。お店側も、正直「なにか置いていってください」とはいいにくいですから。
お店とお客さんとのあいだでの、口約束のトラブルというのは意外と多いものです。しょうもないことでお互いの信用に傷がつくのもよくないので、こういったことは気をつけたいものですね。
別件の私がお金を盗まれた話はこちら
→ パチンコ店でICカードの盗難被害にあった(窃盗された)ときの一部始終
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