
こんにちは。プロフィールをごらんいただきありがとうございます!
当ブログ「ゲンエキバー(genekibar)」の運営者ミナト(@genekibar)です。
このプロフィールのページでは、私のこと(+飼っているうさぎのこと)をお話しします。
現在にいたるまでの半生<ダイジェスト版>です。
しょうもない話が大半ですが、私はしょうもない話がいちばん好きなので、ぜひごらんください。

ではどうぞ!!
いちおうTwitterのアカウントはあることはありますが、最近は放置しています。再開するかは未定ですが、そのうちSNSで活動もすると思います。


運営者ミナトのプロフィール
- 元バーテンダーで元ギャンブル依存症
- 兼業ブロガーとして日々まい進中
- 野望は海外放浪の旅に出ること、自分のお店をつくること
運営者ミナトの基本情報&半生



まずは私の基本的な生い立ちからです
私は東京で、5人家族の次男として生まれました。
次男はがまん強いとかいわれますが、たしかに、がまんすることが美徳だと思っていたときもありました。
- がまんすることで親をよろこばせたい
- ほしいものをがまんすれば、家計もラクになるだろう
小さいころはそんな感じで、自分を抑えることが多かった記憶があります。
まあでも子どもは、親の愛情を受けたいものだと思うので、そんなもんでしょう。
で、その後の話をザックリとまとめると以下のとおりで、
- 小学生時代:人生のピーク感はあった
- 中学生時代:赤面症が悪化、あとはよく勉強していた
- 高校生時代:パチンコ店へ!?
- 大学生時代:ギャンブル依存症に!??
- 社会人時代:バーテンダーとして働きはじめて現在へ
このプロフィールでは、このへんのことをかいつまんでお話ししていきます。
一部ちょっとアレな話もありますが、まあ昔の話ということで、お聞きください!
小学生時代:リーダーシップを発揮していた
まず小学生時代ですが、人生のピーク感はありました。
- 人と話すのが好きだった
- クラスの人気者的なポジションに
- 生徒会役員の仕事もする!
リーダーシップを発揮していて、周囲から評価もされ、「マジメなミナトくん」みたいにいわれていました。



べつに威張ったりはしていませんでしたが、
体が大きかったのもあって、ボスみたいな感じです。
成績も優秀なほうで、なんでもできる万能感みたいなものは正直ありました。
ただ、当時はなぜか肥満体型で、それがコンプレックスになっていましたね。
太るのがイヤなのは、わけあっていまでもあります。
そのせいか、以降はずっとやせ型なのですが、それはいいとして中学生編に進みましょう。
中学生時代:赤面症の悪化がヤバかった
小学校を卒業したらそのまま中学生になるわけですが、じつは小学5年生くらいのときから問題は起きていました。
……赤面症です。
なぜかやたらと顔が赤くなる現象で、これが中学生になると悪化。
- 女の子と話すと赤面する
- 知らない人と話すと赤面
- 食事中の沈黙で赤面、おどろいて赤面、水を飲んでむせて赤面
ほんとうになんでもありで、これのせいで、女の子と話すのが苦手になりました。
回復する気配もなく、赤面現象は、何度でもくりかえされます。
先読み(予測)が顔をほてらせ、あせればあせるだけレッドでホットになっていきます。
そう、私の青春時代は、コイツによって「赤」に染められてしまったのです!



いやー、貴重な青春時代が……
ちなみにこの赤面症は以降も長いことつづきました。いまではかなりマシになりましたが、それでもふつうの人よりは顔が赤くなりやすいかも。
そのせいかどうかはわかりませんが、中学生時代は学業にはげんでいました。
ちょうど行きたい高校もあって、テストの点数で競い合う友人もいたので、後半は勉強ばかりしていました。
それで志望校は余裕の突破となり、私は高校生へ。
ところがどっこい、これが(真の)悪夢のはじまりだったというわけです!
高校生時代:完全に道を踏みはずした感がある
晴れて高校生になった私は、まず最速で燃え尽きました。



あれだけ勉強して入ったのに……
「なんかそこまで勉強するほどでもなかったか?」
と最初に感じたのが原因だったのかもしれません。
いずれにせよ、勉強への興味は失せ、私は友人と遊んだりして日々を過ごすようになります。
- あしたは何を話そうか
- こんな話をしたらみんな面白がってくれるんじゃないか
小学生のころからつづく「人を楽しませたい」にはみがきがかかり、ふだんはそんなことばかり考えていました。
しかしゲームにハマり、それが加速すると、サボりグセがついていきます。
学校をサボってひとりでゲームをする時間は極上です。
クラス替えで、とくに仲のよかった友人たちとはぐれてしまうと、学校に行かない日はさらに増えていきました。



そしてことが起きたのが……
「受験シーズン」でした。
私がかよっていたのは進学校だったので、シーズンになると、ほぼ全員が受験勉強に取り組むように。
でも、そのときの私に、進学する気はなかったのですね。
それになんだか、つぎの流れに嫌悪感のようなものをいだいていて、
勉強 → 大学 → 就職 → 結婚
「こんなレールのなにがおもしろいんだ?」と、反骨心というか、社会に反発していました。
おれはまわりの人間とはちがうんだぞ! と。
まあでも、それでやっていたのがパチンコ・スロットだったんですから、まったく笑えないわけですよ。
運営者ミナト、パチンコ店へ行く
なんで私がパチンコ店に行っていたかというと、ひと言でいえば、それしかやることがなかったからです。



受験シーズン中にゲームをするのもなあ……
と、勉強はしないのに、ゲームをするのはよくない気がして、自主的にやめていました。
でもそうなると、ほんとうにやることがないわけです。
- アルバイトは諸事情があって禁止されていて、できなかった
- いまのように「スマホでなんでも無料で……」という時代でもなかった
「じゃあなにをすればいいんだ?」
という話になったときにあがったのが、ゲーセンでときどき遊んでいたパチンコだったのです。
このへんでいっちょう本番といこうじゃないか……!
5000円を握りしめて行ったはじめてのパチンコ。
私はそこで、10万円勝ちの圧倒的勝利をおさめました。
アルバイトもしたことがない(つまりお金を得る手段はお小遣いだけ)の状況でこれです。
私の金銭感覚は、この強すぎたインパクトによって完全に狂ってしまいました。
そうしてこのお金を元手に、以降は軍資金が尽きるまで、私はズルズルとパチンコ店にかよいつづけたのです。
ちなみに軍資金が切れたあと、私はとんでもない事件に巻き込まれるのです……が、それはここで書けるようなことではないのでひとまずふせておきます。
大学生時代:パチンコ店に入り浸りつづけた
さて、レールに乗った人生なんてクソくらえだ、とかいっていた私は、その後ちゃっかり進学しました。
土壇場(願書の締切)になって、高校卒業後のビジョンがなにもないことに気づき、
これはマズい! 緊急回避でどこかに行っておこう!
ともくろんだのです。
いくつか一般入試で試験を受け、運よく引っかかったところに入り、こうして大学生活は幕を開けました。



……ところが、です
目的のない大学生活に意味を見いだせなかった私は、ここでサボりグセを覚醒させます。
そしてつぎの条件が重なったことで、
- アルバイトでお金を稼げる
- 行きたいときに自由にパチンコに行ける
- お金がなくなれば借金だってできる!
もののみごとに、生活はギャンブル一色となっていきました。
昼はパチンコ店でバイト、夜はバイト仲間と麻雀、休みは朝からパチンコ・スロット
いつもがまんしていて、マジメなミナトくんで通っていた私は、いったいどこに行ったのでしょう!?
まあこのときの生活はひどかった。
ギャンブルに依存症状が出はじめる
最初は、そんな自堕落な生活にも楽しさはあったので、それはそれでいいと思っていました。
でも、見ないようにしていた「現実」は、やっぱり見えてきてしまうもので、



こんなこと続けててもなあ……
しだいに私は、ふさぎ込んでいくようになりました。
以下の状況がループし、それをどうにもすることができなかったからです。
- 大学をサボっても学費は必要 → 奨学金から借りてたれ流し(年間約100万円の借金)
- 中退したい → 進学の費用を負担してくれた親が反対していて、やめるにやめられない
- それならマジメに大学に → 授業開始1~2週間しか続かず、あとはあきらめる(それのくりかえしで卒業できる気配なし)
私はイヤな現実から目をそらすため、パチンコ店に「逃げ込む」ようになりました。
最初は趣味で楽しいものだったパチンコは、いつしか「やめたくてもやめられないもの」になっていきます。
そんな感じで私は、その後長年つづくことになる、ギャンブル依存症になってしまったのです。
ちなみに、それから10年以上もパチンコがやめられず、1000万円を超えるお金をしぼり取られました。お金だけでなく、いろんな大切なものも失いました。



このあたりは、けっこう鬱っぽかったですね
大学には当然行けず、友人とも話せなくなり、ついにはバイトも行けなくなってバックレてクビです。
バイト先から電話がかかってきたときは、冗談抜きで、ふとんをかぶってブルブルふるえていました。
しかしそんなときです!
明かりにつられる羽虫のように、ようは吸い込まれるようにして、私は人生初のバーにたどりつきます。
そして、それからバー通いがはじまって、このくさった(肩書だけの)学生生活には終止符が打たれたのです。
社会人時代:飲食からはじまって兼業ブロガーへ
暗闇のなかで明かりを見つけると近寄りたくなるのは、動物的な本能なのかもしれません。
それはさておき、バーという場所は、私にとって革命的なところでした。
- 年齢も職業も関係なく、しかも初対面でも人と話せる
- だれかしら話や悩みを聞いてくれる人がそこにいる
- お互いが一定の距離感を持っている(そこまで突っ込んでこない)
自分はひとりじゃないんだ。こんな自分でも、居てもいい場所はあるんだ。
私はバーにハマり、いろんなお店にも行ってみるようになりました。



で、ここで、飲食店の経営者と出会ったんですね
その人とはウマがあって、仲良くなっていくと、彼はこんなことをいいます。
うちで正社員で働けば? べつに大学生だからって正社員になれないなんてルールはないし。
借金をたれながすだけのムダな学生生活をおわらせるのは、いまなんじゃないか?
正社員で働けるなら、生活もしていけるだろうし、それならもう中退したっていいだろう……。
「渡りに船」とはまさにこのことで、私はその経営者のもとで飲食店に就職します。
……が、その社長の正体は超絶パワハラ男で、入社したとたんに態度は豹変!
長時間労働に加え、毎日殴られ蹴られがつづき、私はズタズタのボロ雑巾のようになってしまったのです。



まあ1年で限界でしたね
命の危険も感じたこともあって、なんとか私は、この職場からの脱出を成功させます。
そしていよいよ、バーテンダー時代に突入することになるのです。
運営者ミナト、バーテンダーになる
さきほどバー通いをしていたとお話ししましたが、いちばんよく行くお店がありました。
そこのお店のマスターは、格好よくて、やさしくて、ほんとうにいい人で……。とにかく私のあこがれでした。
それでじつは、前の職場に就職するまえに、私はつぎのように考えていたのです。
マスターは、作法もなにも知らない私を、仲間としてあたたかく迎え入れてくれた。
つぎは自分の番だ。
かつての自分のように、居場所もなく、ひとりで悩みをかかえて苦しんでいる人を、こんどは私が救う側になりたい。



じゃあなんでバーで働かなかったんだ?
というと、パワハラ社長はバーも経営していて、飲食店のあとでそっちにも行けるだろうと思っていたからです。
そんなわけで、バーテンダーになりたいのは前々からあったので、ついに私はバーの扉を叩きます。
名ばかりでしたがいちおう店長にもなれ、以降は7年半ほどバーテンダー時代がつづきました。
寝る時間がほとんどないなど、体力的にしんどかったりはしたものの、慣れたあとはそこまで苦でもありません。
でも、やっぱりここでも、「このままでいいのか?」といったモンモンはあったのです。
突破口を開け!ブログとの出会い
バーテンダーとして働くなかで、私は、大きな壁にぶちあたっていました。
つぎの問題です。
- バーの稼ぎだけでは生活していけない(だから朝も夜も働いて寝る時間がなかった)
- 小さなお店の中ではできることにも限界がある(お客さんが全然来ない日もザラにある)
- 未来が見えない(店の経営はずっと綱渡り状態。そのさきのビジョンは見えなかった)
基本的にバーテンダーの仕事は、もうかるものではありません。



これ1本で食っていくのは(私の場合は)ムリでしたね
小さなお店の中では、できること(困っている人を救う)にも限界がありました。
そしてなによりも……
7年以上もやってこの状態では、これ以上つづけていても、どうにもならないのでは?
私がいたのは個人経営のバーで、マスターの「やりたいこと」が全面的に押し出されてもいました。
意見は聞き入れてもらえないことも多く、正直、私の犠牲の上に成り立っていた部分も多々ありました。
現状維持がつづくだけで、道が開ける感はなし……。
でも、そんなモヤモヤは、突破口への可能性が見いだされたことで消え去ります。
そう、ここで私は「ブログ」と出会ったのです。
私がブログでやりたいことと「今後の夢」
私はつぎのような理由でバーテンダーを志したわけですが、
- 人助け(以前の私とおなじ問題で悩んでいる人を助けたい)
- 恩返し(マスターがしてくれたことを、こんどは自分がほかの人にしてあげたい)
バーでできることは、どうしてもその場所に限定されてしまいます。
でも、ブログを活用すれば、自分の声を全国に届けることができました。
また、ブログには副業としての側面もあります。
ブログを収益化していければ、いまよりも自分の目標に近づけるかもしれない。
そしてそのノウハウを共有できれば、
私とおなじように(うだつの上がらない)生活から抜け出したいと思っている人に、「具体的な道」をしめすこともできるのでは?
それで、そこに可能性を見いだして、私は“元”バーテンダーとなりました。



ただ、ひとついっておきたいのが、
私はバーテンダーを「引退したわけではない」ということ。
たしかにブログは、全国に声を届けられるので、より多くの人の力になれると思っています。
でも、やっぱり、おたがいが向き合って話さないと伝わらないこともあるわけです。
それに私は、くだらない話が好きなので、しょうもない話をしながらいっしょに笑ったりもしたい。
だから私は、最終的には自分のお店をつくって、そこでこのブログのつづきをやりたいと思っています。



そしてその前に、海外放浪の旅に出たい!
人と話すのが好きな私は、異文化コミュニケーションも好きで、いろんな国の人とも話したいわけです。
ということで!!
私にとっての人生という旅は、まだはじまったばかりです。
より多くの人のお役に立てるよう、それから自分の夢を叶えられるよう、今後もまい進していきます。
いつの日か機会があれば、いっしょに悩んだり、いっしょにくだらない話でも(私のお店で)しましょう!
もちろん、コメントでのやりとりは、いつでも大歓迎です!
うさぎのイブスター店長の紹介





なるほど、なかなか壮絶な半生だったわけだが……
「んなこた、どうだっていいから、早くオレのことを紹介しな!」
ということで、つづいては、当ブログで活躍するイブスター店長を紹介します。
こちらもあわせてごらんください!


運営者ミナトが飼っているうさぎ
- ミニレッキスのイブスター店長
- 2016年11月生まれのオス(現在6歳)
- 趣味は食事・散歩・昼寝
イブスター店長がミナト家に来るまで
イブスター店長は、ミニレッキスという種類のうさぎです。
なんで店長なのかというと、私はブログをお店のようなものだと考えているので、それで店長なのです。



それでイブスター店長には、もともとべつに飼い主がいました
早い話が以前つきあっていた子で、私の反対を押し切って、その子はうさぎをお迎えしました。
ところが、そのもとの飼い主は、諸事情があって「上京 → 実家へ帰省」することに。
なんと、責任をもって自分で飼うとかいっていたくせに、こんどはもう飼えないとかいいだしたのです!



このままでは野垂れ死んでしまう……
そこで、私が里親として引き取ることにし、彼は正式にミナト家の一員となりました。
当初の名前は「イブ」。
「クリスマスイブにお迎えした」というのが名前の由来だったそう。
では、なぜ現在は「イブスター」なのか?
それは、私がはじめて飼ったハムスターにルーツがあります。
ハムスターのスピリット(魂)は、いまも脈々と受け継がれ、代々のペットに名を刻んでいる。
ハムスター → スター(継承) → イブ+スター
……だからこそのイブスターなのです!



「星を継ぐもの」です
(※ちなみにハムスターのスターは「ster」で星の意味ではありません)
当ブログでは重要な役職をあたえられたイブスター店長。
彼は今後も、いたるところで大活躍してくれることでしょう。
イブスター店長の活躍に、どうぞ、ご期待ください!!



応援よろしく!!