ブログ運営者ミナトのプロフィール

ブログ運営者ミナトのプロフィール

こんにちは。プロフィールをごらんいただきありがとうございます。

当ブログ「ゲンエキバー(genekibar)」の運営者ミナト(@genekibar)です。

このプロフィールのページでは、私のこと(+飼っているうさぎのこと)をお話しします。

現在にいたるまでの半生<ダイジェスト版>です。

このページを見てもらえれば、

  • ミナトというのはどういう人間で、
  • このブログで何をしようとしているのか?

こういうことがわかるようになるので、どうぞお付き合いください。

ミナト

ゆるい感じで読んでもらえればと思います。ではごらんください!

ちなみにX(旧Twitter)のアカウントはあることはありますが、現在は放置していて再開の予定もありません。あくまでブログがメインの発信をしています。今後またSNSでの活動をするときがあれば、こちらのページでお知らせしたいと思っています。

ミナト

運営者ミナトのプロフィール

  • 元バーテンダーで元ギャンブル依存症
  • 兼業ブロガーとして日々まい進中
  • 夢は海外放浪の旅に出ること、自分のお店をつくること
目次

運営者ミナトの基本情報&半生

運営者ミナトの基本情報と半生
ミナト

それでは、私の基本的な生い立ちからお話しします

私は東京で、5人家族の次男として生まれました。

一般的に次男はガマン強いといわれます。

長男は最初に手がかかり、そのつぎに三男に手がかかるからですよね。

それでたしかに、子どものころは、ガマンするのが美徳だと思っていました。

  • わがままをガマンすれば親の負担は減るだろう
  • 食べたいものや欲しいものをガマンすれば、家計もラクになるだろう

小さいころはそんな感じで、自分を抑えることが多かったように思います。

  • ガマンすることで親をよろこばせたかった
  • そうすることで自分を評価してもらいたかった
ミナト

などなど、理由はいくつかあったと思います

しかしいま思うと、「自分はそうしないといけない」と、みずからに思い込ませようとしていた部分は強かったと感じます。

でもって、小学生になると父の転勤の関係で地方へ。

小中高は「第二の故郷」で過ごすことになり、大学進学と同時に東京にもどってくることになります。

そのあたりの話をザックリとまとめたのが以下のとおりで、

ミナトの半生
  • 小学生時代:人生のピーク感はあった
  • 中学生時代:赤面症が悪化、あとはよく勉強していた
  • 高校生時代:自由のない生活に不満、そしてパチンコ店へ
  • 大学生時代:ギャンブルにのめり込みはじめる
  • 社会人時代:バーテンダーとして働きはじめて現在へ

このプロフィールでは、そのときどきにあった話をくわしくお話ししていきます。

イブスター店長

まあ一部ちょっとアレな話もあるようだが(ちなみに飼われているウサギとはワタシです)、

そのへんは昔の話ということで聞いてもらえればと思います。

では、そんな感じで、小学生時代の話からごらんください!

小学生時代:リーダーシップを発揮していた

小学生時代

まず小学生時代ですが、人生のピーク感はありました。

  • 人と話すのが好きだった
  • クラスの人気者的なポジションに
  • 生徒会役員の仕事もする!

人を楽しませたいといつも思っていて、リーダーシップも発揮。

周囲からも評価され、先生とか大人からは「マジメなミナトくん」みたいにいわれていました。

ミナト

べつに威張ったりはしていませんでしたが、体も大きくボスみたいな感じです

自分でいうのもあれですが、成績もいいほうでした。

なんでもできる万能感みたいなのは正直あったんですよね。

ただ、当時は体が大きかったというか肥満体型で、それがコンプレックスに。

デブだなんだと兄に体型のことをいわれるのがイヤで、途中からダイエットをするようにもなりました。

イブスター店長

そういったこともあって、いまでも太ることには強い抵抗があるそうだ

太ってはいけない。食べたらカロリーを消費しないといけない……。

そんなふうに、自分を追い込んでしまう考え方も、子どものころからの性格だったように思います。

それもあって、以降はずっとやせ型なのですが、それはいいとして中学生編に進みましょう。

中学生時代:家庭環境とか赤面症とか

中学生時代

小学校を卒業したらそのまま中学生になるわけですが、私は中学受験をさせられました。

ミナト

だれにさせられたかというと、母にです

私の両親は、つぎのような感じで、

  • 父:男なら自由に生きればいいだろう、といった放任主義
  • 母:教育熱心(勉強しなさい、親の言うことを聞きなさい、自由に遊ぶのはまだ早い)

とくに母がきびしかった。

子どもには将来いい仕事についてほしい、とか、そういうのがあったのかもしれません。

いずれにしても父は尻にしかれ、親というか母に逆らってもゆるされない(意見をしても通らない)家庭環境でした。

門限は5時6時とか外が暗くなるまえで、夜遅くまで遊ぶなんてありえなかったですね。

ミナト

それで私は、中学受験なんてしたくなかったわけです。みんなとおなじ中学に行きたかったので

ですからそのために勉強はせず、受けた中学もふつうに落ちたのでセーフに。

また中学に入るまえは、小学生のトップから中学生の下っ端になることに不安を感じていました。

イブスター店長

こわい上級生とかいたらやだなあ……

体はデカくても心は繊細だったので、新生活のワクワク感とかよりもビビっていました。

ミナト

ただ、私が行った中学校はかなり治安はいいほうで、そのへんも大丈夫だったんですよね

逆に問題になったのは、じつは小学5年生くらいのときから起きていた個人的な悩みでした。

……赤面症です。

赤面症に悩まされはじめる

赤面症に悩まされはじめる
イブスター店長

赤面症っていうのは、一種の「不安障害」で、やたらと顔が赤くなるやつだな

思春期によくみられるもので、私は小学校高学年からあったのですが、中学生になるとこれが悪化。

  • 女の子と話すと赤面する
  • 知らない人と話すと赤面
  • 食事中の沈黙で赤面、おどろいて赤面、水を飲んでむせて赤面

ほんとうになんでもありで、これのせいで、女の子と話すのが苦手になりました。

基本的には「対女性」でしたが、気まずいとか焦ったりしたときとか、あらゆる状況で顔が赤くなるようになってしまったのです。

回復する気配もなく、赤面現象は、何度でもくりかえされます。

「顔が赤くなりそう」と感じた予感・予測が顔をほてらせ、あせればあせるだけレッドでホットになっていきました。

当時はほんとうに打つ手なしで、どうすることもできないのがしんどかったですね。

ちなみにこの赤面症は以降も長いことつづきました。いまではかなりマシになりましたが、それでもふつうの人よりは顔が赤くなりやすいと思います。

そんなわけでこのころはよく勉強していた

このころはよく勉強していた
ミナト

それから、私が育った「第二の故郷」なんですが、女の子と話していると周りから冷やかされる風潮がありました

チャラチャラしてる、女たらしだ!

男性よりも女性のほうが元気がある、というのは、他県の人からもかなりいわれていました。

じっさい、男の子は引っ込み思案な人も多かったと感じます。

だから女の子と話しているヤツがいると、嫉妬とかそういうのもあって冷やかしたくなっていたのでしょう。

冷やかしをくらうことでも私は赤面していたので、まあこれはマジでやめてほしかった。

ミナト

……で、そういうこともあってか、中学生時代は学業にはげんでいました

家がきびしいので遊べないですし、べつに勉強することはきらいではありませんでした。

途中からは行きたい高校もでき、テストの点数で競い合う友人もいたので、後半は勉強ばかりしていました。

それで志望校は余裕の突破となり、私は高校生へ。

ところがどっこい、これが(真の)悪夢のはじまりだったというわけです。

高校生時代:完全に道を踏みはずした感がある

高校生時代

晴れて高校生になった私は、まず最速で燃え尽きました。

ミナト

あれだけ勉強して入ったのに……

「なんかそこまで勉強するほどでもなかったんじゃ?」

と最初に感じたのが原因だったのかもしれません。

高校に入ってからすぐ、勉強への興味は失せ、私は友人と遊んだりして日々を過ごすようになります。

  • あしたは何を話そうか
  • こんな話をしたらみんな面白がってくれるんじゃないか

小学生のころからつづく「人を楽しませたい」にはみがきがかかり、ふだんはそんなことばかり考えていました。

イブスター店長

ただ、家が厳しくて遊べないのは、このときもまだそうだったんだ

端的にいうと「自由がない」わけです。

友人と遊ぶといっても、かぎられた時間を学校で、とか、おたがいの家でゲームをして、とかそんな感じです。

街で遊んだりとか、そういうのは全然なかったですね。

それで、そうなると問題になるのが「ふだんはやることがない」でした。

勉強をする気にもなれず、といっても自由がないので遊べず、毎日がおもしろくない・つまらない。

ミナト

家のきびしさとか、抑圧された生活には、ほんとうに嫌気がさしていました

そこで私は、ゲームに楽しさを見いだすようになるわけです。

ゲームが生きがいの時代&受験シーズン

ゲームが生きがいの時代と受験シーズン

ゲームの世界は、自由と冒険にあふれていました。

喉から手が出るほど欲しかった「自由」はそこにあり、きっとそういうことがしたかった「冒険」ができる。

私の願望はゲームのなかにあって、だからゲームにハマっていきました。

ゲームボーイからスーパーファミコン、プレステ1、ニンテンドー64、プレステ2……など、ほかにもいろいろやってきました。

ゲームへののめり込みが加速すると、サボりグセがついていきます。

学校をサボってひとりでゲームをする時間は極上です。

進級でとくに仲のよかった友人たちとはぐれてしまうと、学校に行かない日はさらに増えていきました。

ミナト

そしてことが起きたのが……

「受験シーズン」でした。

私がかよっていたのは進学校だったので、シーズンになると、ほぼ全員が受験勉強に取り組むように。

でも、そのときの私には、つぎのように進学する気はなかったんですよね。

  • 大学に行ってなにをするのか?
  • したい勉強なんてないし、行く理由がない

それになんだか、つぎの流れに嫌悪感のようなモノもいだいていて、

勉強 → 大学 → 就職 → 結婚

「こんなレール人生のなにがおもしろいんだ?」と、反骨心というか、社会に反発していました。

おれはまわりの人間とはちがうんだぞ、と。

まあでも、それでやっていたのがパチンコ・スロットだったんですから、まったく笑えないわけですよ。

運営者ミナト、パチンコ店へ行く

運営者ミナト、パチンコ店へ行く

もうこれ、いっても問題はないと思うのでいいますが、私は高校生からパチンコに行っていました。

どうしてパチンコに行っていたかというと、ひと言でいえば、それしかやることがなかったからです。

ミナト

受験シーズン中にゲームをするのもなあ……

勉強はしないのに、ゲームをするのはよくない気がして、そのころゲームは自主的にやめていました。

しかしそうなると、ほんとうにやることがなくなるわけです。

  • アルバイトは諸事情があって禁止されていて、できなかった
  • いまのように「スマホでなんでも無料で……」という時代でもなかった

「じゃあなにをすればいいんだ?」

という話になったときにあがったのが、ゲーセンでときどき遊んでいたパチンコだったのです。

子どものころに家族でゲームセンターに行って、メダルゲームで遊ぶことはよくありました。

父が若いころからパチンコをやっていたので、母的に「みんなでゲーセンならOK」みたいなのもあったのだと思います。

とにかくパチンコの打ち方・当て方はすでに知っていたので、ためしにパチンコ店に行ってみることにしたのです。

「このへんでいっちょう本番といこうじゃないか……!」

5000円を握りしめて行ったはじめてのパチンコ。

私はそこで……10万円勝ちの圧倒的勝利をおさめました。

アルバイトもしたことがない(つまりお金を得る手段はお小遣いだけで、しかも月3000円くらいだった気がする)の状況でこれです。

私の金銭感覚は、この強すぎたインパクトによって完全に狂ってしまいました。

そうしてこのお金を元手に、私はパチンコ店に通うようになっていったのです。

パチンコからパチスロも打つように

パチンコからパチスロも打つように
ミナト

私がパチンコ店に行きはじめたのは、時期でいうとまだスロット4号機があった時代です

いまなら軍資金10万円なんて即なくなりますが、当時は私のようなド素人でもまだ勝てる時代でした。

途中からはスロットも打つようになり、その面白さに魅了されていきます。

イブスター店長

とはいえ、いずれは軍資金も尽きるわけだ

そうなると、また私はやることがなくなるわけで……。

こんどは、パチスロ攻略雑誌の最後のページにのっていた出会い系サイトに登録。

ミナト

もはやなんでもありですが、当時は高校生でも出会い系サイトに登録できたんですよね

ところが、その出会い系サイトはサクラしかいない詐欺サイトで……私は騙されてお金を払わされることになってしまいます。

お金を用意するために、家にあった親のお金や弟のお金にまで手をつけました。

勝手に使ったお金を(バレないうちに)早く補填しないと、と、さらに騙され、新たな問題も発生していきました。

思えば、ギャンブルが原因による問題は、このときからはじまったように感じます。

大学生時代:パチンコ店に入り浸りつづけた

大学生時代

さて、レールに乗った人生なんてクソくらえだ、とかいっていた私は、その後進学しました。

土壇場(願書の締切)になって、高校卒業後のビジョンがなにもないことに気づき、

「これはマズい! 緊急回避でどこかに行っておこう!」

ともくろんだのです。

いくつか一般入試で試験を受け、運よく引っかかったところに入り、こうして大学生活は幕を開けました。

イブスター店長

ところがどうだろう!

目的のない大学生活に意味を見いだせなかった私は、ここでサボりグセを覚醒させます。

そしてつぎの条件が重なったことで、

  • アルバイトでお金を稼げる
  • 行きたいときに自由にパチンコに行ける
  • お金がなくなれば借金だってできる!

もののみごとに、生活はギャンブル一色となっていきました。

大学にある程度は行っていたのは最初の1年目だけで、以降はほぼ行かず。

学生ローンからはじまり消費者金融……と、借金をしてまでパチンコ・スロットをするようになります。

ふつうのバイトではお金が足りないので、時給のいいパチンコ店で働くようにもなりました。

昼はパチンコ店でバイト、夜はバイト仲間と麻雀、休みは朝からパチンコ・スロット

親元から離れられて、ようやく手に入れた自由にタガがはずれた感もありました。

あとはそんな生活をしていて、とにかく「いまが楽しければそれでいい」と思っていたのです。

いつもガマンしていて、マジメなミナトくんで通っていた私は、いったいどこに行ったのでしょう!?

ミナト

まあ……このときの生活はひどかったですね

ギャンブルに依存症状が出はじめる

ギャンブルに依存症状が出はじめる

最初は、そんな自堕落な生活にも楽しさはあったので、それはそれでいいと思っていました。

でも、見ないようにしていた「現実」は、やっぱり見えてきてしまうわけです。

「こんなこと続けていてもなあ……」

しだいに私は、ふさぎ込んでいくようになりました。

以下の状況がループし、それをどうにもすることができなかったからです。

  • 大学をサボっても学費は必要 → 奨学金から借りてたれ流し(月8万/年間96万円の借金)
  • もう大学は中退したい → 入試や入学時の費用を負担してくれた親が反対していて、やめるにやめられない
  • それならマジメに大学に → 授業開始1~2週間しか続かず、あとはあきらめる(それのくりかえしで卒業できる気配なし)

私はイヤな現実から目をそらすためにも、パチンコ店に「逃げ込む」ようになりました。

大学をサボっているうしろめたさや、どうにもならない現実など、それらを忘れさせてくれたからです。

毎日のように負けて、パチンコ店を出るときは、財布の中身はいつもカラッポ。

  • やっぱり行かなければよかった
  • この借金どうすればいいんだよ……

それでも、どれだけ後悔しても、ただ家にいてなにもしない苦痛からは逃れたくて、時間があればパチンコ店に行ってしまっていました。

最初は趣味で楽しいだけだったパチンコ・スロット。

それらは、いつしか「やめたくてもやめられないもの」になっていました。

ミナト

このとき自覚はありませんでしたが、まちがいなくギャンブルに依存症状はあったと思います

そんな感じで私は、その後長年つづくことになる、ギャンブル依存症問題をかかえることになってしまったのです。

そんなときバーと出会った

そんなときバーと出会った

それからしばらく、現実逃避をする日々がつづきました。

ミナト

このあたりは、けっこう鬱っぽかったですね

大学には当然行かず、友人とも話せなくなり、ついにはバイトも行けなくなってバックレてクビです。

バイト先から電話がかかってきたときは、冗談抜きで、ふとんをかぶってブルブルふるえていました。

心配してくれる人ですら全員敵に見えてしまう。

自分のことを理解してくれる人はだれもいない。自分の居場所はこの世にない。

それなら、そんな世界で生きている意味はあるのだろうか……?

しかしそんなときでした。

イブスター店長

明かりにつられる羽虫のように……、

ようは吸い込まれるようにして、私は人生初のバーにたどりつきます。

そして、このバーとの出会いで人生が動きました。

いろいろあって、このくさった肩書だけの学生生活には、終止符が打たることになったのです。

社会人時代:飲食からはじまって兼業ブロガーへ

社会人時代

暗闇のなかで明かりを見つけると近寄りたくなるのは、動物的な本能なのかもしれません。

いずれにせよバーという場所は、私にとって革命的なところでした。

  • 年齢も職業も関係なく、しかも初対面でも人と話せる
  • だれかしら話や悩みを聞いてくれる人がそこにいる
  • お互いが一定の距離感を持っている(そこまで突っ込んでこない)

自分はひとりじゃないんだ。こんな自分でも、居てもいい場所はあるんだ。

とくに信頼できるマスターと出会えたのは大きく、私はバーにハマり、いろんなお店にも行ってみるようになりました。

ミナト

それで自宅近くのバーで、飲食店の経営者と出会います

その人とはウマがあって、仲良くなっていくと、彼はこんなことをいいました。

飲食店の社長

うちで正社員で働けば? べつに大学生だからって正社員になれないルールはないんだしさ

「やろうと思えば、大学に行きながら正社員でも働けるし、そうやって卒業した人もなかにはいるよ」

なるほど、私は考えます。

「借金をたれながすだけのムダな学生生活をおわらせるのは、いまなんじゃないか?」

正社員で働けるなら、生活もしていけるだろうし、それならもう中退したっていいだろう……。

このとき、すでに大学4年生になっていて、留年するとなれば奨学金はストップすると思われました。もちろんその後の学費に都合はつきません。つまりやめるタイミングとしては、ここしかなかったのです。

渡りに船とはまさにこのこと。私はその経営者のもとで飲食店に就職する決断をします。

このとき、私生活が乱れていたので私は親元にもどされていたのですが、

「大学は辞めて就職します。この家からも出ていきます」

と親にはいい、関係がここでおわってしまうのも覚悟で家を飛び出しました。

私にも「この生活をおわりにしたい、自分の人生を変えたい」という思いはあって、それをするにはこれしかないと思ったからです。

……が、その社長の正体は超絶パワハラ男で、入社したとたんに態度は豹変。

1日12時間を超える長時間労働だけならまだしも、

  • 毎日のように殴られる蹴られる(とくにこれがひどかった)

など、暴力行為がすさまじく、私はズタズタのボロ雑巾のようになってしまったのです。

しかも営業とはべつの仕事を朝からさせられたりと、ほとんど寝る時間ゼロの日もしばしばありました。

ミナト

まあ、1年で限界でしたね

正直命の危険も感じたこともあって、なんとか私は、この職場からの脱出を成功させます。

そしていよいよ、バーテンダー時代に突入することになるのです。

運営者ミナト、バーテンダーになる

運営者ミナト、バーテンダーになる

さきほどバー通いをしていたとお話ししましたが、いちばんよく行くお店がありました。

そこのお店のマスターは、格好よくて、やさしくて、ほんとうにいい人で……。とにかく私のあこがれでした。

それでじつは、前の職場に就職するまえに、私はつぎのように考えていたのです。

マスターは、作法もなにも知らない私を、仲間としてあたたかく迎え入れてくれた。

つぎは自分の番だ。

かつての自分のように、居場所もなく、ひとりで悩みをかかえて苦しんでいる人を、こんどは私が救う側になりたい。

イブスター店長

じゃあなんでバーで働かなかったんだ?

というと、パワハラ社長はバーも経営していて、飲食店のあとでそっちにも行けるだろうと思っていたからです。

そんなわけで、バーテンダーになりたいのは前々からあったので、ついに私はバーの扉を叩きます。

働くことにしたバーは、自宅から離れた知らないところにしました。

名ばかりでしたがいちおう店長にもなれ、以降は7年半ほどバーテンダー時代がつづきました。

寝る時間がほとんどないなど、やはり体力的なしんどさはここでもありました。

ミナト

しかし慣れてしまえば、なんとかなるものでもあります

でも、やっぱりここでも、「このままでいいのか?」といったモンモンはあったんですよね。

突破口を開け!ブログとの出会い

突破口を開け!ブログとの出会い

バーテンダーとして働くなかで、私は、大きな壁にぶちあたっていました。

つぎの問題です。

  • バーの稼ぎだけでは生活していけない(将来やりたいことをするためのお金を貯めるのもムリだった)
  • 小さなお店の中ではできることにも限界がある(お客さんがだれも来ない日もあり、なんのために働いているのかわからないこともよくあった)
  • 未来が見えない(店の経営はずっと綱渡り状態。安い給料しかもらえず時間だけが過ぎ、そのさきのビジョンは見えなかった)

基本的にバーテンダーの仕事は、もうかるものではありません。

ミナト

これ1本で食っていくのは(私の場合は)ムリでしたね

小さなお店の中では「困っている人を救う」にも限界がありましたし、そもそもいうほど困っている人は来ませんでした。

そしてなによりも……

7年以上もやってこの状態では、これ以上つづけていても、どうにもならないのでは?

私がいたのは個人経営のバーで、マスターの「やりたいこと」が全面的に押し出されてもいました。

意見は聞き入れてもらえないことも多く、正直、私の犠牲の上に成り立っていた部分も多々ありました。

現状維持がつづくだけで、道が開ける感はなし……。

イブスター店長

またこのときも、ギャンブル依存問題はつづいていたんだ

  • バーの仕事がルーティンになって、生活がマンネリ化していく

そうなると、パチンコ・スロットをしていたほうが「人生で勝負をしている」と感じられてきます。

以前は現実逃避だったギャンブルは、こんどは日常的なスリル・興奮を求めるものへ。

仕事はやることだけやって、それ以上の努力・挑戦はやめてしまい、ギャンブルができればそれでいいやとなっていました。

ミナト

夢や目標を追うとかはいっさいなくて、まさに「その場しのぎの人生」になってしまっていたんですよね

でも、そんなモヤモヤも、突破口への可能性が見いだされたことで消え去ります。

そう、このあたりで私は「ブログ」と出会ったのです。

私がブログでやりたいことと「今後の夢」

私がブログでやりたいことと今後の夢

私はつぎのような理由でバーテンダーを志したわけですが、

  • 人助け(以前の私とおなじ問題で悩んでいる人を助けたい)
  • 恩返し(マスターがしてくれたことを、こんどは自分がほかの人にしてあげたい)

バーでできることは、どうしてもその場所に限定されてしまいます。

でも、ブログを活用すれば、自分の声を全国に届けることができました。

ミナト

これなら、お店まで来られない人の助けにもなれると思いました

また、ブログには副業としての側面もあります。

ブログを収益化していければ、いまよりも自分の目標に近づけるかもしれない。

そしてそのノウハウを共有できれば、

私とおなじように(うだつの上がらない)生活から抜け出したいと思っている人に、「具体的な道」をしめすこともできるのでは?

10年以上つづいていたギャンブル依存症問題を解決できたのも、ちょうどこのあたりのことでした。

取り返しのつかないものを失ってしまう → ギャンブルへの依存症状をようやく自覚する → 人の助けも借りるしかないと問題を認めて動いていく

ものすごく簡潔にまとめると、そのようにしてパチンコ・パチスロをやめることもできました。

ギャンブル問題に関しては、くわしくは姉妹サイトの「パチヤメ」を見てもらえればと思います。

ブログに可能性を見いだした。ギャンブル依存症問題も解決できた。

夢や目標をふたたび追っていける状態がついにととのって、それで私は“元”バーテンダーとなりました。

ミナト

ただ、ひとついっておきたいのが、

私はバーテンダーを「引退したわけではない」ということ。

たしかにブログは、全国に声を届けられるので、より多くの人の力になれると思っています。

でも、やっぱり、おたがいが向き合って話さないと伝わらないこともあるわけです。

それに私は、くだらない話も好きなので、しょうもない話をしながらいっしょに笑ったりもしたい。

だから私は、最終的には自分のお店をつくって、そこでこのブログのつづきをやりたいと思っています。

ミナト

その前に、海外放浪の旅に出るのもひとつの目標です!

人と話すのが好きな私は、異文化コミュニケーションも好きで、いろんな国の人とも話したいわけです。

そして、かつての願望だった「自由と冒険」を、リアルの世界でしてきたい。

ということで!!

私にとっての人生という旅は、まだはじまったばかりです。

より多くの人のお役に立てるよう、それから自分の夢を叶えられるよう、今後もまい進していきます。

いつの日か機会があれば、いっしょに悩んだり、いっしょにくだらない話でも(私のお店で)しましょう!

もちろん、コメントでのやりとりはいつでも大歓迎なので、相談でもなんでも、お気軽に話しかけてくださいね。

うさぎのイブスター店長の紹介

うさぎのイブスター店長の紹介(プロフィール)
イブスター店長

なるほど、なかなか壮絶な半生だったわけだが……

「んなこた、どうだっていいから、早くオレのことを紹介しな!」

ということで、つづいては、当ブログで活躍するイブスター店長を紹介します。

こちらもあわせてごらんください!

パソコンをいじるイブスター店長

運営者ミナトが飼っているうさぎ

  • ミニレッキスのイブスター店長
  • 2016年11月生まれのオス(現在7歳)
  • 趣味は食事・散歩・昼寝

イブスター店長がミナト家に来るまで

イブスター店長がミナト家に来るまで

イブスター店長は、ミニレッキスという種類のうさぎです。

なんで店長なのかというと、私はブログをお店のようなものだと考えているので、それで店長なのです。

ミナト

それでイブスター店長には、もともとべつに飼い主がいました

早い話が以前つきあっていた子で、私の反対を押し切って、その子はうさぎをお迎えしました。

ところが、そのもとの飼い主は、その後「上京 → 実家へ帰省」することに。

当初は責任をもって自分で飼うといっていたのに、最後はもう飼えないという話になってしまったのです。

ただ、別れたのは私にも大きな問題があったので、そこはほんとうに申し訳ないことをしてしまったと思っています。

イブスター店長

このままでは野垂れ死んでしまう……

そこで、私が里親として引き取ることにし、彼は正式にミナト家の一員となりました。

当初の名前は「イブ」。

「クリスマスイブにお迎えした」というのが名前の由来だったそう。

では、なぜ現在は「イブスター」なのか?

それは、私がはじめて飼ったハムスターにルーツがあります。

ハムスターのスピリット(魂)は、いまも脈々と受け継がれ、代々のペットに名を刻んでいる。

ハムスター → スター(継承) → イブ+スター

……だからこそのイブスターなのです!

イブスター店長

「星を継ぐもの」です

(※ちなみにハムスターのスターは「ster」で星の意味ではありません)

当ブログでは重要な役職をあたえられたイブスター店長。

彼は今後も、いたるところで大活躍してくれることでしょう。

イブスター店長の活躍に、どうぞ、ご期待ください!!

イブスター店長

応援よろしく!!

イブスター店長は「うさぎ小屋」のカテゴリーを縄張りとしています。こちらも要チェック!

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