その昔にあった、道路に落下していたカラスの子どもを、救出・保護しようとしたときの話でもしようと思います。
私がまだ子どものころ、道ばたに落ちているカラスのヒナ、というよりも、もう少し大きくなったカラスの子どもを保護しようとしたことがありました。
しかし、この行為というのはじつは手放しにほめられたものではなく、いろいろと危険なことでもあったのですが、そうとは知らない私はカラスを拾いあげ、しかるべきと思われる場所に連れていこうとしたのです……というときの話でもすることにします。
なお、先にお断りしておきたいのですが、この話はわりとどうでもいい話でありながら、お食事中の方や、これからお食事をする方にとってはやや危険な内容となっているので、閲覧にはどうぞご注意ください。
カラスの子どもが道路に落ちていた日
当時、まだ小学生の中学年くらいだった私は、学校の友人たちと少し寄り道なんかをしながら、いっしょに下校をしていました。
時刻はちょうど日が沈み始める夕暮れどき。当時の小学生といえば、もちろんハウスルールによっても異なりますが、外が暗くなる前に帰宅しなければ怒られたりもしたので、空が赤く染まり始める時間というのは、私たちにとって帰宅の合図となっていました。
近所の友人たちと帰路につき、まずは大きな公園がそばにあった私の家が見えてきます。しかし、ちょうど家の前の道路にさしかかったとき、私はなにか黒い物体が路上に落ちているのを発見したのです。
初めは、どこかの不届き者が、犬の糞などを黒いビニール袋の中に入れて捨てていったのではないかと思ったのですが、近づくにつれ、その物体が動いている生きものであることがわかり、手が届く距離までくると、それはカラスの子どもだということがわかりました。
頭上では、お母さんカラスやお父さんカラスが心配しているのか、というかそんな2羽どころじゃない数のカラスが、ぎゃあぎゃあとけたたましく泣き叫びながら旋回しています。
子どもガラスはけがをしているのか、体を少し動かすことができても、自力で立つことができません。私は、こいつを助けてあげなくちゃならないと思いました。
これが、飼育委員の実力だ
瀕死状態の子どもガラスを救出しなければならない、という意見が一致した私たちでしたが、友人たちはがんばれと私を鼓舞します。
というのも、当時の私は飼育委員として、学校で飼われていたウサギの世話などをしていたので、動物の扱いには私がいちばんたけていると思われたからです。
ところが、そんなことは上っ面の話であって、ようは全員さわるのが恐かっただけでした。その場にいた全員が、素手でさわると、なにかばい菌的なものがすごそうな気配を感じていたからです。
自宅からは至近距離、すぐに手も洗える、加えて飼育委員です。どう考えてもこの場での適任は私しかいません。
私は一度自宅に戻り、手ごろなダンボール箱を探して用意し、子どもガラスの横にセット。軍手などもいっしょに探せばいいものの、そこまでは頭がまわらず、素手で子どもガラスを救助しました。
そしてそのとき私は、子どもガラスのなかに、別の生命がうごめいているのを一瞬だけ見てしまったのです。
カラスを動物病院へ連れていった
子どもガラスを救助したものの、それからどうすればいいのかわからなかった私は、親に頼んで動物病院へ連れていってもらうことにしました。
そもそも動物病院へ連れていくことが正解なのかはあやしいところでしたが、いま思えば、このへんのことはおそらく、事前に私の親が連絡するべき場所に連絡し、指示を仰いでいたのだと思います。
それから私は、傷ついた子どもガラスを連れて動物病院へ。ダンボール箱ごとカラスを獣医師に差し出しました。

どれどれ、ほう、なるほど。でも、子どものカラスは危ないから、見つけてもさわっちゃダメだよ
獣医師いわく、子どものカラスの近くには親がいて、それを持っていってしまうと、親ガラスから子どもの誘拐者として認定されてしまい(顔を覚えられる)、その後はカラスに攻撃されるようになってしまう危険性があるとのことでした。
そして、獣医師はそんなことを言いながら棚からピンセットを取り出し、カラスの鼻の穴の中に突っ込みました。
いったいなにをする気なんだ、と私は固唾をのんでその様子を見つめていると、なんと獣医師は、カラスの鼻の中でうごめく生命体をピンセットでつまみ上げ、別の保護されていたらしき鳥に喰わせ始めたのです!
この、カラスの鼻の中にいたものとは、うじ虫でした。よく、戦争などでけがをした場所にうじ虫がたかるとかいう話は、私もなにかで見て知っていましたが、まさかカラスの鼻の中にまでいるとは思わず、ましてやそれを喰う鳥です。
あまりの衝撃にしばらく体が硬直してしまい、私はこの日、食物連鎖がなんたるかを知ったのです。
あの、うじ虫がカラスの鼻の穴でにょきにょきとうごめいていた光景というのは、いまだに脳裏に焼きついたままで、思い出すたびに鳥肌が立ちます。
カラスを拾うのであれば、いろいろと覚悟しなければならないということです。
今回のまとめ
・子どもガラスを拾うと親ガラスに攻撃される可能性がある
・カラスの鼻の穴をのぞき込んではいけない
さて、当時はおそらく私の親がしてくれていたと思うのですが、カラスのヒナが落ちていた場合や、傷ついたカラスを保護したい場合には、じつはいろいろと決まりがあるので、最後にそういった話を少ししたいと思います。
まず、カラスを含む野鳥というのは、「鳥獣保護(管理)法」という法律によって、基本的には捕獲や飼育が禁止されているため、ヒナや子どもが落ちているのを見つけても、安全なところに戻すなどして立ち去るのが最善とされています。
私も以前インコなどを飼っていたのでわかりますが、子どもの鳥というのは、初めはうまく飛べずに、よく地面に落下したりもします。そして、そうやって何度も失敗することで、鳥は自分だけの力で空を飛べるようになっていくため、いくら失敗していても、人間が手を貸すべきではないからです。
もっとも、それはけがをしていなければの話で、骨折などのけがをしている場合は、各都道府県の鳥獣保護係に連絡をすることで、救助などの指示を仰ぐことができます。が、やはりゴミを荒らしたりするカラスなので、けがをしていてもどうすることもできないと言われてしまう場合もあると思います。
そういったときは、自己責任で一時的に保護するか、残念ながらもうあきらめるか、この2択を迫られることになります。
自然界は非常に厳しいところです。すべての子どもが無事に育つほど甘い世界ではなく、運が悪ければ死に、運が悪くなくても多くが死んでいきます。そこに人間が介入する余地はない、というよりも、本来はそこに人間は介入してはいけないのかもしれません。放鳥後に自然界で生きていけるかといった問題もあるわけですから。
傷ついたカラスを見つけたとき、それは救えない命もある、そのくせ、生きものによっては命は救われ、結局のところ命は選別されている、という世の不条理を学ぶ機会なのかもしれません。
とはいえ、私のようにトラウマを抱える可能性もありますが、世の不条理にはあらがいたいと思うのが人のつねでしょう。この問題は非常にむずかしいですが、そういった選択を迫られながら、人は成長していくものなのかもしれません。
私の場合は、ただ運がよかっただけでした。あのとき、カラスを見殺しにすることにでもなっていたら、うじ虫どころの話ではないトラウマになっていたかもしれませんから。
やはり、救える命は救いたいものです。
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