ショットバーという呼び方が生まれた背景には、日本のバーの歴史が関わっています。
- ショットバーとは?普通のバーとは何が違うのかをくわしく解説
バーは大きく分けるとオーセンティックバーとカジュアルバーの2つに分けられますが、そこで疑問となるのが、よく耳にする「ショットバー」の存在です。
ショットバーとは、ふつうのバーとはどのように違い、「ショット」はなにをあらわしているのか?
この記事では、そんなショットバーについて、バーとの違い、どのバーに分類されるか、どのような意味・定義を持っているのかを紹介していきます。
なおこの話は、バーの歴史にも大きく関係があるので、「ショットバーを日本のバーの歴史からひも解いていく」という流れで話を進めていきます。
さきに結論をいうと、ショットバーとはワンショット(1杯)からお酒を飲めるバーを意味していて、「ボトルキープ時代に対しての」という意味で使われるようになった言葉です。

ミナト
元バーテンダー。現在は兼業ブロガーとして活動中。夢は海外放浪の旅にでること、自分のお店をつくること。ブログを通してひとりでも多くの方のお役に立ちたいと思っています。当ブログのコンセプトは「24時間営業の人生の休憩所」。>> プロフィール詳細はこちら
日本のバー(日本人向けのバー)の歴史

(カフェープランタンの店内/出典:Wikimedia Commons/Cafe Printemps Interior)
ショットバーとはなんなのか。この答えをさぐるため、まずは日本のバーの歴史からお話しします。
日本のバーの歴史は、1860年に横浜の外国人居留地にオープンした「ヨコハマ・ホテル」から始まり、それ以降は貿易の中心地となった港街を中心に、バーが発展していったとされています。
イブスター店長ヨコハマ・ホテルは、オランダ人の元船長C.J.フフナーゲルが開業したホテルだ
どちらかというと民宿に近かったそうですが、日本で初めてのホテルだったともいわれています。
ホテル内にはバー以外にも、ビリヤード室などがあったそうです。
しかしこれは、外国人居留地という場所からしてもそうですが、日本を訪れた外国人をおもな対象としたバーであって、日本人向けのバーではありませんでした。
イメージとしては、船の長旅を終えた外国人が、元船乗りが経営する酒場に向かい、「さぁ飲むぞ」と、つかつか入っていくようなバー、といったところでしょうか。
では、日本人を対象としたバーの誕生はいつだったのか?
それから遅れること約50年後の1911年、東京・京橋日吉町(現在の銀座8丁目)に生まれた「カフェー・プランタン」が最初だったといわれています。
「カフェー」では、洋酒やコーヒー、サンドイッチなどの洋食をあつかい、営業の内容は現在でいうところの「Cafe」に近いものがありました。
しかし、それらの料理を、女性が給仕することに特徴がありました。
この女性給仕人は「女給」や「女ボーイ」と呼ばれ、その後のバーの発展にもかかわっていくこととなります。
また、同年8月には尾張町(現在の銀座4丁目)に、バーテンダーのいる店として「カフェー・ライオン」や、同年11月には、著名人が数多く訪れたことでも知られる「カフェー・パウリスタ」もオープン。
こうして日本は、バー時代の黎明期、バーの夜明けを迎えることとなったのです。
風俗営業化したカフェー


(改修後のカフェータイガー/出典:Wikimedia Commons/Cafe Tiger)
1900年代初頭、いくつかの店舗がオープンしたことを皮切りに、その後もバー(カフェー)は続出していきます。
ところが、来たる1923年、東京は関東大震災に見舞われ、業界は壊滅的なダメージを受けることとなってしまいます。
神奈川県西部を震源とする推定マグニチュード7.9の大地震は、家屋の倒壊や津波などの甚大な被害をもたらしました。
とりわけ火災による被害がすさまじく、



帝都東京はこの震災によって、約半分が焼け野原となってしまったそうだ
職を失ったバーテンダーのなかには大阪などに移る者もあらわれます。
それが各地のバーの発展にひと役買った(※)という話もあるのですが、
それほどに(東京を去らなければならないほどに)、この震災のダメージは計り知れないものがあったのでしょう。



しかし、いち早く動いた当時の政府によって、帝都復興計画が推し進められると、です
震災翌年の1924年には焼けビルが改装され、「カフェー・ライオン」の斜め向かいには、「カフェー・タイガー」というお店がオープンします。
カフェー・ライオンが料理や酒、女給の品行方正を売りにしていたのに対し、カフェー・タイガーでは料理よりも女給の見た目やサービスを売りに。
すると、タイガーの「客について話をする」密着度の高いサービスが人気を博し、しだいに女給はウェイトレスではなく、ホステスのような役割をになうようになっていきました。
いきおいを増すタイガーはライオンから女給を引き抜き、カフェー・ライオンのライオン像は、ぐおーと吠えることがすくなくなっていきます(ビールが一定量売れるとライオン像が吠える仕掛けがあった)。
さらに、わけあって女給のサービス過激化はその後も止まらず。
大阪からより濃厚なサービスをおこなうカフェーの出店が相次ぐと、バー(カフェー)は現在でいうところのクラブやキャバクラのようなお店となります。
そしてその後は、特殊喫茶(風俗営業)として警察の管轄下に置かれることとなったのです。



純粋に珈琲を売りにする「純喫茶」は、この女性のサービスがある「特殊喫茶」に対しての呼び方だそうだぞ
戦前と第二次世界大戦後


(東京大空襲後の両国駅付近/出典:Wikimedia Commons/After Bombing of Tokyo on March 1945)
震災後の銀座では、その後も語り継がれるような名店、たとえば、
- 1927年開店の「ボルドー」
- 太宰治も愛したという1928年開店の「ルパン」
- 1929年開店の「サン・スーシー」
といったバーが生まれるなど、東京は活気を取りもどしつつありました。
また、さきほどの話のつづきでは、
1933年にカフェーが「特殊喫茶」として警察の管轄下に置かれると、特殊喫茶とふつうの喫茶店、いうなればカフェー(バー)とカフェ(コーヒー)の分化が進んでいく
ことになります。
特殊喫茶のほうが店舗数は多いようではあったものの、喫茶店やコーヒーといったものも世間に浸透しはじめていたのです。
ところが、1937年から始まった日中戦争によって、コーヒーなどのぜいたく品に輸入制限がかけられると、2年後の1939年には第二次世界大戦が勃発。
国民の戦意を高めるため、「欲しがりません、勝つまでは」「ぜいたくは敵だ」といった標語がかかげられ、バー(カフェー)や喫茶店はまたしても閉鎖に追い込まれてしまいます。
そして来たる1945年、第二次世界大戦は終結。空襲などによってふたたび東京は(東京以外も)焼け野原となってしまっていました。
しかし戦後の復興が進むと、1947年ごろには喫茶店が復活しはじめ、1949年にはついに、戦後のバー元年を迎えます。



当初は国産洋酒の種類もすくなく、ほそぼそと輸入品にたよって営業する状態だったようです
それでも、1949年の7月に酒類の販売が自由化されると、スタンド・バー(立ち飲み)が全国の都市に生まれだします。
その後はサントリーが1946年から販売していたトリス・ウイスキーが大々的に売り出され、トリス・バーの時代が開幕。
国産洋酒のラインナップも増えていき、カクテルブームの走りが見えはじめました。
1960年代になると、トリス・バーは大型化してコンパの時代を迎え、さらに1970年代にかけては、スナック・カラオケへとバーは展開。
ウイスキーのボトルキープと、ウイスキーの水割り全盛時代へと移っていきます。
その後は、
70年代後半にはトロピカルカクテル・ブームが巻き起こり、80年代前半にはレストランでのアペリティフ(食前酒)として白ワインベースのカクテルが人気となる
など、カクテルブームが到来。そういった人々を取り込むようにして、カフェ・バーが登場するようになりました。
そしてついに、1990年代に入ると、カフェ・バーの展開から酒をメインとした本格バーと、それに次ぐ「ショットバー」の時代に突入。
でもって、現在のバーの状況にいたるというわけです。
ショットバーとは?何を意味しているか
これまでのとおりで、バーはカフェーから始まり、現在の形に変化してきました。
そして、この変遷(移り変わり)のなかで生まれた言葉こそが、「ショットバー」です。
ショットバー(shot bar)とは、ワン・ショット、つまり1杯からお酒を飲めるバーのことを指します。
なにに対してのショットなのかというと、
かつてボトルキープが主流だったころのバーに対して
で、そういった意味合いで使われるようになった和製英語です。



なので、海外で「ショットバー」といっても通じません
ショットバーとは、あくまで日本国内で使われる言葉です。
くり返すと、ショットバーとは1杯から飲めるバーを意味し、ボトルキープが主流だったころのバーに対して使われるようになった言葉です。
いつごろのバーに対しての「ショット」か?
さて、ショットバーとはなんなのかという話だけなら、日本のバーの歴史を見ていく必要もありませんでした。



では、なぜそれを話したのかというとだな、
ショットバーのショットは、いつごろのバーに対しての「ショット」なのか? という話にもなってくるからです。
ちなみに、これに関しては、営業のスタイルからして、女給がつくカフェー時代のバーか、ボトルキープ全盛期のスナック・バー時代のどちらかになると思われます。
そのように考える根拠として、ここでいちど、カフェーであつかわれていた酒などについて、すこしくわしく見てみることにしましょう。
- カフェー・ライオンではビールの販売量によってライオン像が吠える
- カフェー・タイガーではビールを飲んでお気に入りの女給に投票するという「アイドル応援システム」なるものがある
など、カフェーでは大量のビールが消費されていました。
「ビール党」という言葉が生まれたのも震災前のことだったようです。
それと同時に、カフェーではウイスキーなどの洋酒もあつかわれていました。
たとえば1927年開店の銀座「ボルドー」では、1杯の金額はかなり高額だったものの(大衆食堂で提供される定食の値段の8倍~など)、ジョニーウォーカー黒、オールドパー、ホワイトホースなどの、輸入もののウイスキーも提供されていました。



また、その後はどうだったのかはさだかではないのですが、
ちょうどカフェーの出現から震災後あたりまでつづいた大正時代以前では、
- ハイボールや水割りなどの注文が入ると、客が自分でボトルからウイスキーをグラスに入れ、それをソーダで割るなどして提供する
といった仕事をバーテンダーはしていたとも聞きます(カフェー・ライオンで勤務もしていた浜田昌吾氏談)。
で、こういったお酒の飲まれ方などから考えるに、カフェー時代は、1杯売りがメインだったと考えられるのではないか? と思うわけです。
もちろん、カフェー時代からボトルキープがおこなわれていた可能性もゼロではないとは思います。が、
- ビールの消費量の多さ
- 洋酒は1杯の値段が高額だったこと
- 当時のメニュー表などの資料でも1杯の価格表記となっている
などに加え、客が好きなだけ酒をグラスにそそげる時期もあったのであれば、わざわざボトルを入れる必要もありません。
すくなくともボトルキープがメインではなかったと考えることができると思います。
そしてこれに関しては、ボトルキープの全盛期は1970年代に訪れること、ショットバーという言葉も比較的新しいものであることが、なによりの根拠になっているのではないかと思います。
したがって、いつごろに対してのショットなのかという疑問については、
ボトルキープ・ウイスキー水割り全盛期の、スナック・バー時代に対しての「ショットバー」
ということになると私は思います。
いずれにせよ、ショットバーの意味するところは、ボトルキープが主流だったころに対しての「ショットバー」であることはほぼまちがいありません。
ショットバーとバーの違い:現在はほぼ意味は同じ
また最後に、ショットバーとふつうのバーの違いについても解説しておきます。
ショットバーとはボトルキープが主流のバーに対して使われるようになった言葉です。
その定義は、「1杯からお酒を飲めるバー」のことを指します。
そのため、じつは以下のようなバーも、すべてはショットバーにあてはまります。
- ホテルバー
- オーセンティックバー
- カジュアルバー



ホテルバーも、しっかりしたバーも、どこも1杯からお酒を飲めるスタイルになっているからだな
現在、いわゆるバーは、ほとんどすべてがショットバーにあてはまります。
したがって、ショットバーもふつうのバーもたいして意味は変わらない、ということになるのです。
ただし、ショットバーという言葉が生まれた背景には、
本格バー(オーセンティックバー)につづいて誕生した、本格バーをすこしカジュアルにしたバー
という認識もあります。
そのため、一般的にショットバーというと、カジュアルなバーを指すことが多くなっているように思います。
オーセンティックバーやホテルバーを、ショットバーとは呼ばないことには、そういったことが関係しているのでしょう。



なお、ホテルにあるバーは「ホテルバー」、本格バーは「オーセンティックバー」、ほかではビリヤードがあるバーは「プールバー」、と呼ぶのが一般的です
が、それらもショットバーのカテゴリーに含まれはします。
ただ、呼称はそのバーが持つ最もな属性でカテゴリー分けされる(例:ジャズをかけるバーならジャズバー)のが一般的となっています。
ショットバーとひと言でいっても、奥が深いです。
しかし考えすぎてもアレなので、ショットバーとは、「街にあるふつうのバー」くらいの認識が、いちばんわかりやすいかもしれません。
今回のまとめ
- 日本人向けのバーの歴史はカフェーから始まった
- ショットバーはボトルキープに対してのワンショットの意味
- 一般的にショットバーというとカジュアルなイメージ
ショットバーとは「1杯からお酒を飲めるバーのこと」をいいます。
なにに対してのショットなのかというと、かつてボトルキープが主流だったころのバーに対して、です。
そのような意味合いで使われるようになった和製英語です。



ちなみに、銀座はカフェの聖地と呼ばれています
喫茶店がたくさんあり、高級クラブが立ちならんでいて、バーも老舗や名店が多いです。
それらは、今回見てきたような時代背景も関係しています。
カフェー・ライオンは銀座ライオン(ビアホール)の前身です。
ブラジルコーヒーを広めたカフェーパウリスタも現役で、文学ファンは気になるであろうルパンも同じく営業しています。
銀座に行くと、当時のおもかげを見ることもできます。



歴史を肌で感じてみたいときは、銀座の喫茶店とかバーに行ってみると楽しいぞ
コーヒーやお酒を飲みながら、時代の流れを感じてみるのもありです。


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