「バーテン」の略称が生まれた歴史と差別的な意味を持つとされる理由

バーテンという言葉が良しとされない理由、それはその言葉が生まれた背景とバーテンダーの暗黒時代にありました。

バーテンダーに対して「バーテンよ、酒をくれないか」といったようなセリフはどこかで聞いたことがある方も多いと思うのですが、この「バーテン」というバーテンダーの略称は侮蔑的な意味合いを持つ蔑称であるとも言われ、使用するのはあまりよくないとされています。

それではこの略称はなぜタブーの如く扱われたりするのでしょうか。それにはまたしてもバー(バーテンダー)の歴史が関わっていたのです。

バーテンという言葉が生まれた背景

1860年、日本では初となるバーが横浜に誕生すると、貿易の中心となった港街を中心に主に外国人を対象としてバーは発展していき、そこでバーテンダーはめきめきと腕を磨いていたのですが、その一方で、日本人向けのバー(カフェー)は「女給」によるサービスのある店として発展を遂げていきました。

カフェーとは元々洋酒、珈琲、洋食を揃えた喫茶店のような所で、当初はウェイトレスの役割を担っていた女給(女性給仕人)の若さや美しさを売りにする程度に留まっていたのですが、その営業スタイルは1923年の関東大震災後に一変、「エロ」の要素を持ち始めるようになったのです。

このカフェーの「エロ化」を招いたのは、第一に、競合店の続出が関わっていました。

震災後、銀座にオープンした「カフェー・タイガー」が女給のエロを匂わせるホステスとしてのサービスで人気を博すと、時を同じくして同業者、女給の数は急激に増加していき、カフェー同士の競争を生み出しました。

この時既にカフェーは現在で言うところのキャバクラと化していたのですが、エロを匂わせるサービスが当たっている競合店を出し抜くには、さらにそのサービスを濃くすればいいと考えるのは当然のことで、このカフェー間の競争は女給のサービスの過激化、つまりエロ化を加速させていくこととなったのです。

そして第二に、女給の給料制度にも問題がありました。

当時、女給の給料は基本的に店側から一定の金額が支払われるということはなく、客からのチップが主な収入源となっていました。よってチップを貰えなければ女給は生活していくことができず、さらに言えばチップを貰えなければ働く意味がなかったのです。

また急激に増えていくライバルに勝ってチップを得るためには、やはりこちらもサービスを濃くすることが一番手っ取り早い方法であったことは言うまでもなく、女給同士の競争は女給個人のサービスの過激化を招きました。

そしてそれは、女給のサービスをよりダイレクトな方向へと向かわせることとなっていったのです。

イブスター店長
イブスター店長

夜の街で働く女性を「夜の蝶」と呼ぶのは、元々女給の服装が和服に白エプロン、ひもを後ろで蝶結びという格好で、後ろから見ると蝶が舞っているように見えたからと言われているぞ

大阪の進出と世界恐慌

このようにカフェーは時代の流れと共にサービスがエロ化・過激化していったのですが、その流れに拍車をかけたのが大阪カフェーの東京進出でした。

大阪のカフェーは元々東京よりもエロ色が強く、それは言うなれば「エロ・グロ」。カフェーのサービスが激化していく潮流に乗った大阪勢の東京出店により、瞬く間に銀座は大阪のカフェーに占拠されてしまったのです。

もちろん東京のカフェーもそこで指をくわえて見ていただけではないでしょう。大阪勢に対抗するべく、ここでもサービスの過熱は必至となりました。

さらにこの混沌とした状況に追い打ちをかけたのが、1929年にアメリカで起きた「世界恐慌」です。

ウォール街にあるニューヨーク株式市場の大暴落を皮切りに始まった世界恐慌は、「暗黒の木曜日」として知られる史上最大規模の恐慌で、世界中を巻き込み、深刻で長期的な不況を各国にもたらしました。

もちろんその影響は日本にも及び、日本では1930年から「昭和恐慌」が起こり、日本経済は危機的な状況に陥ったのです。

そしてこの不況がカフェーに何をもたらしたのかと言うと、客から渡される女給へのチップが減ったのです。

チップが減ること、すなわちそれは女給にとって死活問題なので、遂に女給のサービスは一線を越えます。不況以前からも行われてはいたようですが、店外で、あるいは店内で、「エロ」ではなく「モロ」なサービスがカフェーでは行われるようになったのです。

こうなってしまってはもう滅茶苦茶。バー(カフェー)を取り巻く環境は混沌を極め、完全な無法地帯と化してしまいます。

そして兼ねてから問題視していた警察も動き出し、1933年にカフェーは特殊喫茶(風俗営業)として警察の管轄下に置かれることとなったのです。

一方その頃バーテンダーは

戦前(第二次世界大戦前)のバーといえばこのカフェーが日本人向けのバーに当たるわけですが、その頃バーテンダーは何をしていたのかと言うと、カフェーで働いていたりもしました。

ご覧の通り、戦前のバー(カフェー)は無秩序な所も多く、そのカオスな空間で働くバーテンダーは脇役として働いていたのです。さらに、営業の内容も内容ですから、知識や技術もさほど必要はなく、やろうと思えば誰でもできた仕事でもあったのかもしれません。

そのため、当時の街場のバーテンダーの社会的な立場は低く、社会的に見下されていた部分もあったことは想像に難くありません。

また、そのような社会的な立場、見通しが立たないという境遇も影響していたものと思われますが、バーテンダーの中には店を転々とし、自堕落で不真面目な生活を送っていた者も少なくはなかったとも聞きます。

よって、ここからは私の推測も入りますが、このようなバーテンダーの社会的な立場、そしてバーテンダーの素行の悪さもあり、いつしかバーテンダーは蔑みを含んだ略称で呼ばれることとなり、「バーテン」という言葉が生まれたのでしょう。

また、バーテンダーにとっての暗黒時代は戦後も暫く尾を引き、実際にいつの間にか店から消えていたりといったことも多かったそうで、定まった仕事に就かずにぶらぶらと生活している人を意味する瘋癲(フーテン)とかけた言葉であるとする説もあります。

いつからバーテンと言われ始めたのか

「バーテン」という略称が使われ始めたのは、街場のバーテンダーの歴史や背景からして戦前のカフェー時代から使われていたのではないかと思われます。

1930年出版の『モダン用語辞典』には(実物はまだ確認できていないのですが)バーテンダーを略した「バーテン」という項目があるようで、この時期はまさにカフェーが混迷を極めた時代と一致しています。

また、フーテンとかけた言葉であるという説に関しては、「フーテンの寅さん」で知られる『男はつらいよ』が1960年代後半から放送されていることや、同時期に「フーテン族」なる若者達が出現していたことからも、それ以前からフーテンという言葉は割とメジャーな言葉であったことがうかがえます。

フーテンとかけた意味合いで「バーテン」という略称が使われ始めたとする説が正しければ、それは少なくとも1960年代以前のことでしょう。

それではバーテンダーは何と呼べばいいのか

「バーテン」という言葉はかつて存在したバーテンダー不遇の時代に、差別的な意味合いを持つ言葉として生まれました。

それではバーテンダーのことは何て呼べばいいのかと思いますよね。「バーテンダーさん」というはちょっと長いと感じる方も多いと思いますから。

これに関しては店にバーテンダーが1人しかいなければ、とりあえず「マスター」と言っておけば間違いはないです。バーテンダーが本来の意味であるマスター(店主)ではなかったとしても、その日はそのバーテンダーが酒場の責任者ですからね。

また、バーテンダーが2人以上いる場合や、何て呼べばいいかわからない場合は何と呼べばいいかをバーテンダーに尋ねれば、よほどのことがない限り名前くらいは教えてくれると思うので、わからないことは基本的にバーテンダーに聞けば大丈夫です。

ちなみにこういった背景を知らずに「バーテンさん」と呼ばれていた方も少なくはないと思うのですが、悪意がなければそれはこちらもわかりますので、今まで失礼だったな、なんて変に気にする必要はありません。それは大丈夫です。

これくらいで重箱の隅をつつくようにあれこれ騒ぎ立てるようなバーテンダーは基本的にはいないですからね。

ただし、やはり言葉の生い立ち上使用は控えるに越したことはないので、今までそのような呼び方をされていた場合は、別の呼び方に変えてみるといいと思いますよ。

今回のまとめ

・日本のバー(カフェー)には暗黒時代があった
・「バーテン」という言葉は差別的な意味合いがあった
・とりあえずマスターと言っておけばOK

かつてはイメージが悪かった時期もあったバー業界も、先人達がバーテンダーの地位の向上や、負のイメージの払拭などを目指し、血の滲むような努力をしてきたからこそ本格バーの時代が幕を開け、現在に至っています。

また、今回の内容は言わばバーテンダーの闇の部分にのみ焦点を当てているため、全てのバーテンダーがそうだったということは決してなく、ホテルバーからの流れで本格派のバーテンダーも数多く存在したことも確かです。

よって、これが日本のバーテンダーの歴史の全てだと勘違いはされないよう、ご注意頂ければと思います。

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