バーテンダーを略した「バーテン」という言葉がよくないとする話は、もしかすると比較的最近のことなのかもしれません。
バーテンという言葉は、バーテンダーという正式名称をただ単に短くした略称ではなく、差別用語としての意味合いがある言葉なので禁句。
そういった話は前々からあり、以前私も、そのような話をしたことがあるのですが、もしかすると、以前した話には若干ちがう部分があるのではないか、と考える機会がありました。
というのも、言葉というものは、時代によって認識が異なるため、当時は差別意識もなくふつうに使われていたものでも、現代では差別用語として認識されるようになっている、ということもすくなくはないからです。
そして、この「バーテン」という言葉は、まさにそれに該当する言葉なのではないかとも考えられるので、今回は、以前した話のつづきといいますか、この「バーテン=失礼」とする説のべつの可能性について言及しておきたいと思います。
バーテンの言葉が生まれた歴史的背景はこちら
→【失礼】バーテンとバーテンダーの違いや意味をバーの歴史的背景から解説
ひと昔前の差別用語への認識
ことの発端は、ミステリ界の巨匠といわれるエラリー・クイーンの代表作『Yの悲劇』をネット通販で(中古で)購入したところ、初版発行は昭和36年(西暦でいうと1961年、届いたものは昭和53年発行)、定価は360円(安い)、ページは銅のように茶色くなっているものが送られてきたことでした。
田村隆一訳で赤いカバーの『Yの悲劇』は、発行されたのがひと昔まえということもあってか、文字もかなり小さくて読みにくい。これは、購入するまえにもっとよく確認しておくべきだったかな……と思いながら内容を読み進めていくと、私は気になる箇所を発見しました。
乱酔のあげく、異常な血がたぎってくると、おとなしいバーテンにむかってハッター特有の怒りをまきちらしたことは数えきれないくらいだ。『Yの悲劇』田村隆一訳 p.27
まず、私には過去の作品(それも名作と名高い)の表現をあげつらって非難する、いわゆる「言葉狩り」のようなことをする気はいっさいないことをおことわりしておきますが、じつはひと昔まえに発行された本には、現在は使用が不適切とされる表現が使われていることはけっこう多いです。
たとえば、心身の障がいに関係した表現はよく見かけますし、そういったものは改訂版でも、作者の表現が尊重されてそのまま表記されていることも多いような気もします。このバーテンという言葉が登場する作品も、実際はかなりたくさんあります。
それに関連した話では、これは書籍に関するものではありませんが、以前私がバーで勤務していたとき、飼っているうさぎの話を自分よりも世代が上のお客さんにしていたところ、「ウサ〇〇ですねぇ」と、いまでは放送禁止用語となっているもの(あることに異常に熱中していることをあらわす表現)がふつうに使用されていたといったこともありました。
ようするに、なにがいいたいのかというと、現代では差別用語・不適切用語とされているものでも、人権意識がうすかったともいわれるひと昔まえの時代では、まったくそんな意識もなく使われていた言葉が多数あり、それらを使用していた当時の人からすれば、「べつに差別をしているわけではなくふつうに使っているだけ」という認識が一般的だったものも多かったのではないかと。
そして、そんな言葉のひとつに、この「バーテン」という言葉があるのではないかと私は考えはじめたわけです。
バーテンが禁句になったのは比較的最近なのかも
冒頭でもふれた以前の話で、私は、日本人向けのバーはもともとクラブやキャバクラのようなお店が一般的であって、さまざまな要因が重なることで、日本人向けのバーの多くは性風俗店のような場所になっていき、そのような無秩序なところで脇役として働いていたバーテンダーは、いつしかさげすみをふくんだ略称で呼ばれるようになったのではないか、といいました。
この説は、当時はバーテンダーという職業が見下されていた感が否めないので、これはこれで、あながちまちがってはいないような気はします。
しかし、さきのとおりで、時代による言葉の使い方から考えるに、言葉の生まれに関しては、そもそも当時は差別意識がうすかったとも考えられるので、じつはそういった意識はとくになく(逆にいえば、ナチュラルな部分があったともいえる)、単なる略称として「バーテン」が誕生。
その後は、「バーテン」はただの略称として広まっていき、現代に入ってから、人権や職業差別などへの意識が高まったことで、当時の劣悪な環境で生まれたこの略称は、その職業を見下しているように感じられると認識されるようになり、使用するのは不適切となったのではないかと。
ようするに、「バーテン」という略称は、言葉の生まれと普及の段階ではまだ差別用語としての認識はなく、そのように意識されるようになったのは、比較的最近の、現代に入ってからなのかもしれないという話です。
そしてこの話は、結局のところ、時代による認識のちがいなのではないかとも考えられるのではないでしょうか?
そうすると、以前私がいった「いつしかさげすみをふくんだ略称で呼ばれるようになったのではないか」とする説は、「(現代の視点からみると)いつしかさげすみをふくんだ略称で呼ばれるようになったのではないか(と認識できる)」としたほうが事実に近いのかもしれません。
いずれにせよ、使わないほうがいいということには変わりはありませんが、以前した話とはべつの、より真実に近いのではないかという説が浮かんできたので、今回はそれをお話ししました。
今回のまとめ
・バーテンは当時はただの略称だった可能性も高い
・問題視されるようになったのは現代に入ってからなのではないか
この「バーテン」という言葉に関しての問題は(過剰な言葉狩りには気をつけないといけないという意味でも)ひじょうにデリケートな問題のように思うので、以前した話とはべつの可能性があるのであれば、ただちにしておかなければならないと思い、取り急ぎお話しいたしました。
過去の文献を読みあさればさらに答えに近づけそうな気はしますが、言葉の生まれた時代(1900年代前半)と、その後の使われ方、時代の変化による差別用語・不適切用語の意識などから考えるに、もしかすると、今回の話のほうが正解に近いのかもしれません。
今後、さらにべつの可能性や、追加しておいたほうがいい情報を入手したときは、また補足していくことにしたいと思いますが、今回の情報は以上となるので、これで終了としたいと思います。『Yの悲劇』はまだ読んでいる途中なので、ネタバレはご勘弁いただければと思います。
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コメント一覧 (1件)
もうすぐ、俺はアラ還だけど、バーテンってワードは憧れだった時代もある。
新宿でも横浜でも。
バーテンダーなんて呼び方は、「ぼっちゃん」みたいな慇懃無礼な言い方だったね。
本人たちもまだバーテン始めて1年ですとか、バーテン歴5年とか言っていたね。
年上のカッコいいバーテンはバーテンさん、年下の腕の良いバーテンは、バーテン
ただし、若造の見習いはバーテンとは呼ばない。
スタッフだよ。