日本のバーの歴史から紐解く、ショットバーの定義と普通のバーとの違い

ショットバーという呼び方が生まれた背景には、日本のバーの歴史が関わっているので、まずはそこからご紹介します。

バーは大きく分けるとオーセンティックバーとカジュアルバーの2つに分けることができますが、そこで疑問となるのが、よく耳にする「ショットバー」というものの存在でしょう。

ショットバーとは、ふつうのバーとはなにが違うのでしょうか。ショットバーのショットとは、いったいなにをあらわしているのでしょうか?

このような質問は、じつはけっこう多かったように思うので、今回はそんなショットバーについて、ふつうのバーとはなにが違い、どのバーに分類され、そしてどんな意味を持っているのか(定義があるのか)についてもご紹介したいと思います。

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日本のバー(日本人向けのバー)の歴史

ショットバーとはなんなのか。この答えを探るためには、先に日本のバーの歴史を知る必要があるので、まずはそこからお話しします。

日本のバーの歴史は、1860年に横浜の外国人居留地にオープンした「ヨコハマ・ホテル」から始まり、それ以降は貿易の中心地となった港街を中心に、バーが発展していったとされています。

ヨコハマ・ホテルは、オランダ人の元船長C.J.フフナーゲルが開業したホテルで、どちらかというと民宿に近かったようではあるものの、日本で初めてのホテルだったともいわれています。ホテル内にはバー以外にも、ビリヤード室などがあったそうです。

しかしこれは、場所からしてもそうですが、日本を訪れた外国人をおもな対象としたバーであって、日本人向けのバーではありませんでした。イメージとしては、船の長旅を終えた外国人が、元船乗りが経営する酒場に向かい、「さぁ飲むぞ」と、つかつか入っていくようなバー、といったところでしょうか。

では、日本人を対象としたバーの誕生はいつだったのかというと、それから遅れること約50年後の1911年、東京・京橋日吉町(現在の銀座8丁目)に生まれた「カフェー・プランタン」が最初だったといわれています。

「カフェー」では、洋酒やコーヒー、サンドイッチなどの洋食を扱い、営業の内容は現在でいうところの「Cafe」に近いものがありましたが、それらの料理を女性が給仕することに特徴があり、この女性給仕人は「女給」や「女ボーイ」と呼ばれ、その後のバーの発展にも関わっていくこととなります。

また、同年8月には尾張町(現在の銀座4丁目)に、バーテンダーのいる店として「カフェー・ライオン」や、同年11月には著名人が数多く訪れたことでも知られる「カフェー・パウリスタ」もオープン。

こうして日本は、バー時代の黎明期、バーの夜明けを迎えることとなったのです。

風俗営業化したカフェー

1900年代初頭、いくつかの店舗がオープンしたことを皮切りに、その後もバー(カフェー)は続出していくのですが、来たる1923年、東京は関東大震災に見舞われ、業界は壊滅的なダメージを受けることとなってしまいます。

神奈川県西部を震源とする推定マグニチュード7.9の大地震は、家屋の倒壊や津波などの甚大な被害をもたらしましたが、とりわけ火災による被害がすさまじく、帝都東京はこの震災によって、約半分が焼け野原となってしまったそうです。

職を失ったバーテンダーのなかには大阪などに移る者も現れ、各地のバーの発展にひと役買ったという話もありますが(ちなみに、大阪での最初のバーは、1911年にミナミの道頓堀で開業した「旗のバー」、別名「キャバレ・ド・パノン」だったといわれています)、それほどに、東京を去らなければならないほどに、この震災のダメージは計り知れないものがあったのでしょう。

しかし、いち早く動いた当時の政府によって、帝都復興計画が推し進められると、震災翌年の1924年には焼けビルを改装し、「カフェー・ライオン」の斜め向かいに、「カフェー・タイガー」というお店がオープンします。

カフェー・ライオンが料理や酒、女給の品行方正を売りにしていたのに対し、カフェー・タイガーでは料理よりも女給の見た目やサービスを売りとし、とくにタイガーの客について話をする密着度の高いサービスが人気を博すと、しだいに女給はウェイトレスではなく、ホステスのような役割を担うようになっていきました。

勢いを増すタイガーはライオンから女給を引き抜き、カフェー・ライオンのライオン像は、ぐおーと吠えることが少なくなっていきます(ビールが一定量売れるとライオン像が吠える仕掛けがあった)。

さらに、この女給のサービスの過激化は止まらず、大阪からより濃厚なサービスをおこなうカフェーの出店が相次ぐと、バー(カフェー)は現在でいうところのクラブやキャバクラのようなお店となり、特殊喫茶(風俗営業)として警察の管轄下に置かれることとなったのです。

イブスター店長
イブスター店長

純粋に珈琲を売りにする「純喫茶」は、この女性のサービスがある「特殊喫茶」に対しての呼び方なんだ

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戦前と第二次世界大戦後

震災後の銀座では、その後も語り継がれるような名店、たとえば1927年開店の「ボルドー」や、太宰治も愛したという1928年開店の「ルパン」、1929年開店の「サン・スーシー」といったバー(ボルドーやルパンはもともとカフェーのスタイルだったと聞きます)が生まれるなど、東京は活気を取り戻しつつありました。

また、先ほどの話の続きでは、1933年にカフェーが「特殊喫茶」として警察の管轄下に置かれると、特殊喫茶とふつうの喫茶店、いうなればカフェー(バー)とカフェ(コーヒー)の分化が進んでいくことになります。

特殊喫茶のほうが店舗数は多いようではあったものの、喫茶店やコーヒーといったものも世間に浸透し始めていたのです。

ところが、1937年から始まった日中戦争によって、コーヒーなどのぜいたく品に輸入制限がかけられると、2年後の1939年には第二次世界大戦が勃発。国民の戦意を高めるため、「欲しがりません、勝つまでは」「ぜいたくは敵だ」といった標語が掲げられ、バー(カフェー)や喫茶店はまたしても閉鎖に追い込まれてしまいます。

そして来たる1945年、第二次世界大戦が終結すると、空襲などによってふたたび東京は(東京以外も)焼け野原となってしまいました。が、戦後の復興が進むと、1947年ごろには喫茶店が復活し始め、1949年にはついに、戦後のバー元年を迎えます。

当初は国産洋酒の種類も少なく、ほそぼそと輸入品にたよって営業する状態だったようですが、1949年の7月に酒類の販売が自由化されると、スタンド・バー(立ち飲み)が全国の都市に生まれだしたのです。

その後はサントリーが1946年から販売していたトリス・ウイスキーが大々的に売り出され、トリス・バーの時代が開幕。国産洋酒のラインナップも増えていき、カクテルブームの走りが見え始めました。

1960年代になると、トリス・バーは大型化してコンパの時代を迎え、さらに1970年代にかけては、スナック・カラオケへとバーは展開。ウイスキーのボトルキープと、ウイスキーの水割り全盛時代へと移っていきます。

70年代後半にはトロピカルカクテル・ブームが巻き起こり、80年代前半にはレストランでのアペリティフ(食前酒)として白ワインベースのカクテルが人気となるなど、カクテルブームが到来。そういった人々を取り込むようにして、カフェ・バーが登場するようになりました。

そしてついに、1990年代に入ると、カフェ・バーの展開から酒をメインとした本格バーと、それに次ぐショットバーの時代に突入し、現在のバーの状況にいたるというわけです。

ショットバーのショットは何を意味しているのか

このように、バーはカフェーから始まり、現在のようにさまざまなスタイルをとるにいたっていますが、この変遷(移り変わり)のなかで生まれた言葉こそが「ショットバー」です。

ショットバー(shot bar)とは、ワン・ショット、つまり1杯からお酒を飲むことができるバーのことを指し、なにに対してのショットなのかというと、かつてボトルキープが主流だったころのバーに対して、という意味合いで使われるようになった和製英語です。

イブスター店長
イブスター店長

海外でショットバーと言っても通じないから注意してくれ

そこで気になるのが、いつごろのバーに対しての「ショット」なのか? という話でしょう。

これに関しては、営業のスタイルからして、女給がつくカフェー時代のバーか、ボトルキープ全盛期のスナック・バー時代のいずれかになると思われますが、ここで一度、カフェーで扱われていた酒などについて少し見てみましょう。

カフェー・ライオンではビールの販売量によってライオン像が吠え、カフェー・タイガーではビールを飲んでお気に入りの女給に投票するという「アイドル応援システム」なるものがあるなど、カフェーでは大量のビールが消費されていました。「ビール党」という言葉が生まれたのも震災前のことだったようです。

それと同時に、カフェーではウイスキーなどの洋酒も扱われ、たとえば1927年開店の銀座「ボルドー」では、1杯の金額はかなり高額だったものの(大衆食堂で提供される定食の値段の8倍~など)、ジョニーウォーカー黒、オールドパー、ホワイトホースなどの、輸入もののウイスキーも提供されていました。

また、その後はどうだったのかはさだかではありませんが、ちょうどカフェーの出現から震災後あたりまで続いた大正時代以前では、ハイボールや水割りなどの注文が入ると、客が自分でボトルからウイスキーをグラスに入れ、それをソーダで割るなどして提供する、といった仕事をバーテンダーはしていたとも聞きます。(カフェー・ライオンで勤務もしていた浜田昌吾氏談)

こういった酒の飲まれ方などから考えるに、カフェー時代は1杯売りがメインだったと考えることができるのではないでしょうか。

もちろん、カフェー時代からボトルキープがおこなわれていた可能性もゼロではないとは思いますが、ビールの消費量の多さや、洋酒は1杯の値段が高額だったこと、当時のメニュー表などの資料でも1杯の価格表記となっていて、もし客が好きなだけグラスに注げるのであれば、わざわざボトルを入れる必要もないことなどから、少なくともボトルキープがメインではなかったと考えることができます。

それに、ボトルキープの全盛期は1970年代に訪れること、ショットバーという言葉も比較的新しいものであることが、なによりの根拠になるのではないかと思います。

したがって、いつのころに対してのショットなのかという疑問については、ボトルキープ・ウイスキー水割り全盛期の、スナック・バー時代に対しての「ショットバー」ということになると私は思います。

いずれにせよ、ショットバーの意味するところは、ボトルキープが主流だったころに対しての「ショットバー」であることはほぼ間違いありません。

ショットバーとバーの違い

ショットバーはボトルキープが主流のバーに対して使われる言葉であって、その定義は「1杯からお酒を飲めるバー」のことを指します。

そのため、ホテルにあるバーも、オーセンティックバーも、カジュアルバーも、いわゆるバーはほとんどすべてがショットバーにあてはまり、現在はふつうのバーもショットバーも、とくに変わりはないということができるのかもしれません。

ようするに、ショットバーもふつうのバーも、たいして意味は変わらない、ということです。

ただし、ショットバーという言葉が生まれた背景には、本格バー(オーセンティックバー)に続いて誕生した、本格バーを少しカジュアルにしたバーという認識もあるため、一般的にショットバーというと、カジュアルなバーを指すことが多くなっているように思います。

オーセンティックバーやホテルバーを、ショットバーとは呼ばないことには、そういったことが関係しているのでしょう。

なお、ホテルにあるバーは「ホテルバー」、本格バーは「オーセンティックバー」、ビリヤードがあるバーは「プールバー」など、それらもショットバーのカテゴリーに含まれはしますが、呼称はそのバーが持つ最もな属性でカテゴリー分けされるのが一般的となっています。

ショットバーとは、「街にあるふつうのバー」くらいの認識が、いちばんわかりやすいかもしれません。

今回のまとめ

・日本人向けのバーの歴史はカフェーから始まった
・ショットバーはボトルキープに対してのワンショットの意味
・一般的にショットバーというとカジュアルなイメージ

銀座がカフェの聖地と呼ばれ、喫茶店がたくさんあることや、高級クラブが立ちならんでいること、そしてバーも老舗や名店が多いのは、今回見てきたような時代背景も関係しています。

カフェー・ライオンは銀座ライオン(ビアホール)の前身で、ブラジルコーヒーを広めたカフェーパウリスタも現役、文学ファンは気になるであろうルパンも同じく営業しているなど、当時のおもかげを見ることもできます。

歴史を肌で感じてみたい方は、銀座の喫茶店あるいはバーで、コーヒーやお酒を飲みながら、時代の流れを感じてみても楽しいと思いますよ。

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