私は約7年間、街のバーで、バーテンダーとして働いていました。
しかし働いていくうちに、自分のなかで明確な理由ができてしまって、最終的には仕事を辞めることにしました。
この記事では、私がバーテンダーをやめた理由をお話しします。働いていて思ったこととかも全部話します。
- 約7年勤めたバーをやめた理由
- バーテンダーはやめた方がいい? 当時の待遇とかあれこれ
- ブログを開設し、その後はブロガーとして活動しているワケ
結論からいうと、私がお店をやめたのは、以下の理由からです。
これ以上バーの仕事をつづけていても先が見えないと感じ、それを自力でどうにかしようと思ったから
そこには、私がまだ現役だったころに開設した当ブログも関係しているので、そのへんもお話ししていきます。
それから、当時の待遇とかですね
これからバーの仕事を……と考えているなら、この話は「バーテンダーはやめとけ」といった負のイメージで伝わってしまうかもしれません。
しかし、これはこれで事実なので、あくまでいち個人の場合ということで聞いていただければと思います。
もちろん、マイナスだけでおわらせる話でもありません。
「最後は独立・経営も視野に入れてバーの仕事を考えている」という場合でも役に立つ話もあるので、ぜひごらんください。
バーテンダーはやめとけ?過酷なアルバイト時代
ではお話ししていきます
私が働いていたのは商店街(住宅街)にあるような、個人経営のバーでした。
ポジションとしては店長で、営業は基本ひとりでおこない、店をまかせられていました。
でも店長なんてのは名ばかりで、都合のいいアルバイトです。
労働条件は以下のようにわるく、生活を維持する(バーテンダーの仕事をつづける)のは、ほんとうに過酷なものがありました。
- 給料は時給制で安い(月々10万円台前半、正社員登用はナシ)
- 開店&閉店作業など、一部は無給あつかいで支払われない(未払いでいったら100万円は超えてるかも)
- バーの仕事だけでは生計が立たない → 生活を維持するためにほかでも働く必要がある → でも店が開く夜は空けておけ → ほかで働くのは朝~日中になる
- そのため寝る時間がほとんどない → 日々の睡眠は30分~2時間ほどの短い仮眠を複数回(もちろん休みはあったので、休みの日は寝られる)
受け入れていたのは、すべては店のため、自分のためだと思っていたからです。
バーの仕事は、やりたいと思ったからこそ始めたものでしたが、バーテンダーとして生きていくには、多くを犠牲にしなければなりませんでした。
- 一部は無給
- シフトを勝手に決められる(夜はあけておかないといけない)
とかは、私がいた店がアレだっただけの話なのですが、生活を維持するために仕事を掛け持ちしているバーテンダーは多いです。下積みのアルバイト時代ならめずらしい話ではありません。
あと、会社でやっているお店とかなら正社員登用もありますが、やはり雇用はアルバイトのみのお店もあります。
当初は勉強のためとすべてを受け入れてきたものの、
- 多くを犠牲にしてでも仕事をつづける意味はあるのか?
- 自分はただ、経営者や店に対する情けで働いているだけなのでは?
このように、数年が経過したあとは、店にいる目的を見失っていたように思います。
バーテンダーの仕事には、つぎの流れで独立を目指す、王道のルートのようなものもあるのですが、
- バーテンダー協会に入る
- カクテルコンペに出るなどして腕をみがく
- 現場で経験を積み、経営に必要な知識(勝手に身に着く部分も多い)を得て独立する
私の場合、生活を維持するのがやっとで、そういったことにトライする時間も気力も確保できませんでした。
ある程度の年月が経過して知識や技術が身につくと、店にいても学ぶことがすくなくなっていく。
しかし店のことがある(まかされている&人手が足りない)ので移動するわけにもいかない。
年を追うごとに景気は悪化し、先行きはさらに不透明になっていき……。
それで、私は思ったわけです
これ、このままやってて、独立なんてできんのか? と。
正直いって独立できる気配はなかった
バーである程度働けば、おそらくだれもがいちどは独立を考えると思います。
しかし私の場合、7年以上やっていても、ハッキリいって独立できる気配なんてありませんでした。
お金はたまらないですし、借金をして店をつくる……なんてレベルではありません。
すでにあった借金(奨学金など)の返済もまともにできていない状況で、独立なんて夢のまた夢、現実味なんてまるでナシだったのです。
経営者は「店を売ってもいい」みたいなことを時々いってましたが、あれは口だけでしたね
(※ちなみに独立する手段として、経営者から店を買う・譲ってもらう方法はあります。これもメジャーといえばメジャーです)
また私はいちおう店長だったので、店がオープンしてからの売上も全部把握していました。
最盛期は3店舗まで増えたお店は、最終的には1店だけになっていて、売上はひたすら右肩下がりです。
理由はいろいろあったと思いますが、景気は大きく関係していると思われ、独立したとしても……という話でもありました。
たとえばリーマンショックとか、東日本大震災とか、大きな事件が起きると売上はガクッと下がってそのまま回復しないとかもありました。あとで話しますがコロナもそうです。
1日をとおしてお客さんがゼロとかもふつうにあって、そんな日はもちろんモロ赤字です。
マスター(経営者)はほかでも働いていて、そのお金で経営の補填をしたりもしていました。
知り合いのマスターにも、投資で経営資金を確保しているような人もいました。
ようは、独立後の経営も簡単なものではなく、ほかで運営資金を確保しているパターンもままあるわけです。
- このままやっていても独立はムリ
- 不可抗力的に経営が悪化することはよくある=独立できても安泰ではない
ある程度の下積み修行がおわったらおわったで、こんどはもっと深刻な問題が発生していたのです。
そこで私が考えたのが、
独立してバーを経営するなら、なにか副業でコンスタントにお金を稼いでおく必要がある
ということでした。
なんらかの不可抗力的な事態にそなえて、とくに街のバーのようなところなら、店一本でやっていくのはリスクが高すぎると。
で、それもあって、ブログを開設したわけだな?
そう、そういった副業としての考えもあって、私は当ブログを開設しました。
それで開店資金もためられれば……とも思っていたのですが、しかし、ここでも問題が起きたのですね。
ということで、つぎはブログ(副業)のことをちょっとお話しします。
バーの仕事と当ブログ(副業)の関係
当ブログは、私自身のためであったり、人のためであったりと、いろんな目的があって運営しています。
私がバーで本当にしたかったことや、話したかったことができる場所でもありました
ブログを運営するということは、いってしまえばバーで働くことと同意義でもあったわけです。
もちろん、発信をする目的には、
- バーのよさを多くの人に知ってもらいたい
- バーという文化を(僭越ながら)存続させたい
という思いも当然ありました。
けれども、現役当時は、バーのことはほとんどブログに書かない、というよりも、書きたくても書けない状態がつづいていたのです。
これもバーの仕事をやめるきっかけになったので、お話ししておきます。
私の場合はブログでしたが、「副業」で変換して考えてもらえれば、わかりやすいかと思います。
1. バーのことを書く時間がなかった
まず、ブログをはじめたはいいものの、書く(副業に取り組む)時間がありませんでした。
昼も夜もほとんど休まずだったので、ブログの更新作業をおこなう時間がとれません。
さらに当時は、サイトをいじるための勉強などもしていたので、記事を書く時間がそもそもありませんでした。
休日はもちろんありましたが、ほかにもやることがあるなど、そのまま運営作業にあてるのはむずかしい。
仕事が終わった深夜に、睡眠時間をさらにけずって時間をつくらなければ、ゆっくりと作業をすることもできませんでした。
ようするに、仕事仕事で、副業にまで時間を回せなかったということです
私は、やりたいことがある(副業をしたい)のにできない状況におちいっていたのです。
2. お店のお客さんに知られたくなった
これも大きな問題でした。
お客さんには、私が副業をしていることは(店にいるうちは)知られたくなかったので、書けませんでした。
客人として来られている方に、変な心配をしてほしくなかったからです。
たとえば、このようにバーのことを書いていると、
- 私は夜だけでなく朝からも働いている
- 店の経営状況があやしい(経営者も大変な思いをしている)
- 生活がくるしく、もはやバーだけではどうにもならない
とか、どうしてもそういったマイナスな話が出てきてしまいます。
それをなにかのきっかけで常連のお客さんが見てしまえば、やっぱり心配をかけさせてしまうというものです。
そんなだれのブログかもわからない話で、店や個人が特定されるものか?
と思われるかもしれませんが、バーの業界は意外とせまいです。
ヘンなところで人・話がつながるなど、そういったことが起きても全然おかしくはありません。
この記事も見る人が見れば……という話です
せっかくお店に来てくれたお客さんに、私の個人的な事情で、つまらない心配をしてもらいたくはない。
生活苦とか、いってしまえば関係ないことを、バーに持ち込みたくはなかったのです。
それもあって、バーのことは書けない状況がつづいていました。
書きたいことが書けず、ここでも、やりたいことができなかったのです。
私が7年半勤めたバーをやめた理由
店にいる目的もわからなくなりつつあり、それに加えて、独立のためなどの副業もできない。
その状況に私は、しだいに「店をやめる選択肢もありなのではないか」と、考えはじめました。
私が雇われのバーテンダーとして働いていた後半あたり、お店にいた理由はつぎのようなもので、
- 自分がやめると人手不足で店が閉店する可能性があった(後任がいなかった)
- 店を移動する気もなく、やめてもすることが決まっていなかった
- 職歴がほぼバーテンダー(アルバイト)のみなので、一般企業への就職は考えられなかった
- お金に余裕がなく、生活が立ち行かなくなりそうだったので、ひとまず現状維持を選んでいた
お金のことがネックだと感じ、やめるにやめられない部分もありました。
でも、結局私は店をやめました。
さきのとおり、自分のやりたいことができないもどかしさもありましたが、じつをいうと、そのまえからも辞めたい理由はあったから。
そういったこともあって、やはりこのままズルズル仕事をつづけていても……と感じたからです。
その前々からの理由は、おもに4つあります
そこでここでは、本題でもある、「私がバーをやめた理由」についてお話しします。
1. 石の上にも三年と決めていた
「石の上にも三年」とよくいいますよね。
私がバーテンダーの仕事をはじめたときは、どんなにつらかったとしても、最低でも3年間は耐え抜こうと心に決めていました。
で、その3年はとっくの昔に過ぎていたので、ほんとうならいつやめても(移動しても)よかったのです。
バーの仕事の内容は、ハッキリいって最初はかなりきつかったです。
生活リズムがどうこうとかよりも、マスターとの関係ですね
正直パワハラとかもすごくて、何人かいた同僚は、1年ともたずに皆やめていきました。
私も「3年間を耐えたら即移動しよう」と、当初は考えていたものです。
ところが、いざその期間を超えてみれば、
ひとりだけ残った私がやめてしまうと、人手不足で店が閉店してしまうかもしれない
と、ここでもやめるにやめられない状況となってしまっていたのです。
店はひとりで営業していたので、いい勉強をさせてもらっているとは感じました。
しかし3年目以降は、ほとんど責任感で働いているなど、そのころから店をやめたいと思う気持ちは(私のなかに)ずっとあったのです。
2. 労働条件があまりにも悪すぎた
また最初のほうでも話しましたが、労働条件のわるさもやめた理由のひとつでした。
バーの仕事は、基本的に夜からはじまるので、深夜手当なしなどはけっこうフツーにあります。
なので、それはべつによかったのですが、
- 開店・閉店作業中は何時間かかっても無給
- 仕事の準備(仮眠を含む)のために必要な時間が長すぎた(多すぎた)
- 閉店後は交通機関が動いていないので、雨が降ろうが風が吹こうが通勤は自転車
とか、働いていて割に合わない感が半端ではありませんでした。
これに関しては、最初はそれでもよかったのです。
勉強させてもらえるだけでもじゅうぶんだ、場合によっては無給でもかまわない。
と思っていた時期もあり、事実、勉強のために無給で働いたり、閉店後も朝までのこってひとりで勉強したりもしていました。
ところが、主戦力となったあとも、労働条件がわるいまま変わることはありません。
そういったこともあって、ただ働きの時間や準備のために費やす時間などがもったいない、と感じるようになっていったのです。
3. 副業の放置状態が続いていた
これもさきほどお話ししたことで、ブログ(副業)の放置がつづいていたのも問題でした。
そもそもの話、なぜ私がバーテンダーをこころざしたかというと、つぎの理由からです。
バーという場所で心を救われた経験から、つぎは自分が困っている人を救う側になりたいと思ったから
当ブログを開設した理由にも、それと似た話で、「人助け」の範囲を広げたいという思いがありました。
でも、ブログを開設したはいいものの、ほとんどなにもできません。
書きたいことばかりがたまっていく状態が延々とつづき、人助けもなにもありません。
とにかく、なにをするにも時間が足りていませんでした。
う~ん、この状態はいったい、あと何年つづくんだろうか?
そう思ったとき、ズルズルとこのまま働きつづけるのは、やめにしたほうがいいのではないかと感じました。
すでに目標(3年以上はつづける)は達成した店のほうをやめ、まだなにも達成できていない、副業のほうをやり抜いたほうがいいのではないかと。
4. 将来のことを真剣に考えようと思った
そして最後に、自分の将来のことを真剣に考えようと思ったので、私はバーをやめました。
ここまでの理由がありながらも、店をやめる決断をなかなか下せなかったワケ。
それは結局のところ、私は本気で将来のことや、自分の未来のことを考えようとしていなかったからです。
- ひとまずはなんとか生活できている現状に甘んじ、妥協し、それでいいと思い込むようにしていた
そうやって、自分を納得させていただけだったのかもしれません。
何年後、何十年後になるかはまったくわかりませんが、最終的に私は、自分の店をつくりたいと思っています。
そう、べつにバーのことがキライになってやめたとか、そういうわけではないのです。
そして私は、そこでバーテンダーをこころざした目的、当ブログを運営する目的でもある「人助け」をしたいと思っています。
当然ながら、そのためには、どうしてもお金が必要になります。
残念なことに、世の中はキレイごとだけではどうにもなりません
なにをするにもお金がかかります。
独立する前だからこそやっておきたいことも山ほどあって、そこでもお金が必要になります。
しかし私は、そのお金を、本気でつくろうとはしていませんでした。
店をつくるというのも、結局はなんとなくそう思っていただけで、じっさいに計画を立てることも、行動を起こすこともしませんでした。
店に対して愛着がある。労働環境は悪かったとはいえ、これまでお世話になった恩がある。自分がやめたあとが心配だ……。
私は、そのようなもっともらしい言い訳をつくることで、逆に店にしがみついていたのかもしれません。
- やめたくてもやめられない「口実」をつくることで、自分の人生を、自分の力で切りひらこうとしないのを正当化していた?
- もし店をつくるという夢が破れれば、それを「あの人のせいだ、店のせいだ」と、言い逃れができる保険をかけていた?
自分への言い訳をしていたに過ぎなかった……のかもしれないな
だから、私は店をやめました。
その言い訳に気づき、自分の将来のことを真剣に考え、自分の力で未来を切りひらいていこうと本気で思ったからこそ店をやめました。
いってしまえば、いいようにこき使われていたような状態です。
店に居つづけたとしても、現状維持が延々とつづくだけで、このままでは自分の目的がさきに進むことは一生ないかもしれないとも思われました。
ならば、情に流されている場合でもなければ、言い訳をしている場合でもないのでは?
そのような理由があって、私は、長年お世話になったお店をやめることにしたのです。
バーをやめたあと&今後の目標
私が長年働いてきたバーをやめた理由は、だいたいこのようなところです。
まとめると、以下のようにいうことができるでしょう。
- ほんとうにやりたいことができなかったから
- 自分の夢や目標がまったくさきに進まなかったから
バーはたしかにやめましたが、バーテンダーを完全に引退したわけではありません。
ですから、個人的には、無期限で「休業」することにしたということにしています。
また、バーをやめたあとの生活もお話ししておきます
やはりお金の問題もあるので、当初はフリーに近い形で、現場にはたずさわっていようと思っていました。
さいわい、知り合いのお店などからも声がかかっていたので、そういったところですこし働かせてもらおうかと思っていたのです。
ところが、2020年から本格化した新型コロナによって、そのような話は立ち消えに。
以前の職場は閉店、知り合いのマスターも引退するなど、残念な報告があいつぎ、私も完全な休業となりました。
新型コロナは給付金がありましたが、なければバーは壊滅的な被害を受けていたと思います。そしてそういう危機的な事態は定期的に起きています。これがリスク分散は考えたほうがいいとする理由です。
ただ、そのように生活が変化するなかで、お金はないならないでなんとかなることも判明。
意外にも年収は200万円以下でもふつうに生きていけることがわかり、そのままバーの仕事は休業がつづいています。
いまは兼業ブロガーだな
今後の目標は、当ブログを成長させるなどして、堅実に、そして自力でお金をかせいでいくこと。
開店資金の調達とか、山ほどをあるやりたいことをひとつずつ達成していけるよう、がんばっていこうと思っています。
当初は不可能に思われましたが、ブログから発生するお金が、バーでの給料を超えるのも時間の問題だと感じるまでになりました。
やはり人生は、なるようになるということです
私の場合は遅かれ早かれ、店をやめることになっていたと思いますし、いまはそれでよかったと思っています。
これからバーテンダーの仕事をこころざす方へ
話は以上ですが、この記事は、バーテンダーの仕事を考えている人からのアクセスが多い気がします。
なので最後に、未経験者へのアドバイス的な話もしておきます
バーテンダーの仕事は、正直いってラクなものではありません。
- 覚えることは多い(酒の知識・カクテルの種類など)
- お客さんとの距離が近い(幅広い年齢層と話せるスキル・情報収集力が必要)
- 夜型の生活になる、給料によっては掛け持ちでバイトをする必要も
格式高いところから、かなりラフなところまでありますが、どこにも独特のルールや作法はあって勉強は必要です。
お客さんとの距離が近いぶん、最初は怒られたり……ということもよくあります。
しかも勉強した知識・技術は、バー以外で役に立つことはあまりないので、つぶしもききにくいといえるかもしれません。
でも、やっているうちに仕事は慣れますし、経験したことはだいたいどこかで生きます。
すべての経験は完全にムダにはならない、ってやつだな
ですから、この仕事が気になっているなら、まずはトライしてみることをオススメします。
ある程度きちんとしたところなら、それなりの修行期間は必要になります。
(※最低でも1~2年は必要になると思います)
しかしそういったところで勉強すれば、つぎのように、その後の(移転などの)選択肢は確実に増えるので、
- 実務経験をもとに会社でやっているバーやホテルバーなど好待遇の店に移る
- ソムリエなどのバー以外でも使える資格取得に励む(試験にワイン以外のテイスティングもあるので酒が多い店だと勉強しやすい)
- それこそトム・クルーズの『カクテル』のように海外のリゾート地や観光地で働く(これも好待遇に期待、映画は必見)
むしろきびしいくらいがちょうどいいのではないか、と私は思いますよ。
私も当時はあえて厳しそうなところを選びました
ただ、気をつけておきたいのが、ある程度仕事に慣れてきたときの「停滞」です。
慣れてきたときこそ次のステップに進もう
店をやめた理由の最後で、私は「自分への言い訳」がどうこういいました。
しかしバーという場所は、思った以上に人間くさい場所で、
- 店に愛着がわく
- 会いにきてくれるファンのお客さんがいる
とか、おなじ店に長くいると、そこにずっと居たいという思いもやっぱりでてきます。
とはいえ、です
自分がやめても店は回りますし、ファンのお客さんともプライベートで会うことはできます。
そこでチンタラしていると、私のように、ただ時間だけが過ぎていってしまうことにもなりかねません。
ですから、最初に考えることではないですが、慣れたときこそ「つぎ」を考えて動くのが大事だと思いますよ。
それから、独立・経営を考える場合だな
バーのランニングコストは、小さいお店なら40万~50万円程度(※)でもやっていけます。
(※立地条件などに左右されますが、これくらいまたはそれ以下で抑えることも可能です)
ただしバーは、基本的に「最後(飲食後)に行く場所」なので、景気の悪化などの影響をモロに受けやすい。
ですから、個人的には、早い段階からリスクを分散させることを考えておいたほうがいい、と思っています。
私のオススメはブログです
パソコン1台でお金を稼げれば、たとえば暇な時間は、自分の店でPCをいじっているとかもできますからね。
これは事実だと思うのでいいますが、バーは「なにかあったときに消えてしまいやすい」です。
そうなるのをふせぐためにも、早いうちからべつの収入源を確保しておくのが大切だ、と私は思いますよ。
バーの仕事探しはこちら
今回のまとめ
- バーテンダーの仕事はラクではない
- なんとなくダラダラ続けていると時間だけが過ぎていく
- 独立・経営を目指すならリスク分散もありだと思う
当時の生活をふりかえると、よく生き延びたなと思わざるをえないのですが、いまではそれもいい思い出です。
現在は将来のために日々まえに進めていると感じるので、決断は正しかったと思っています。
当初は収入が半減することになるので、ほとんど貯蓄がなかった私は、数か月もすれば生活が立ち行かなくなると思っていました。
しかも残りすくない生活資金をカジノで増やそうとして失敗するなど、大ピンチもあったのですが、人生とは意外となんとかなるものです。
お金はなければないでなんとかなる。
仕事をやめられないと思っていても、それは自分が勝手にそう思っているだけ。
ようは「ふたをあけてみれば、なんとかなる」ということです
ですから、バーテンダーの仕事を考えているなら、まずはトライしてみるのがおすすめです。
バーの仕事も副業も、ちがうと思ったらやめればいいだけです。
「ちがったらやめよう!」でもいいので、とにかく突っ込んでいければ、道は開けると思いますよ。
そして慣れてきたら、その先を考えて動くこと。
ほとんどなにも得られずに引退……というのをふせぐには、とにかく動きつづけるのが大事だと思います。
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