私がバーテンダーを目指した理由というのを一度お話ししておこうと思います。モテたかったからではないですよ。
現在は諸事情により「元」バーテンダー化している私ですが、現役当時は、どうしてバーテンダーになろうと思ったんですか? バーテンダーを目指したきっかけはなんですか? といった質問はよくされてきました。
この答えは1つしかありません。ただ、店で同じような話をしすぎたせいで、これまではブログにまで書く気にはなれなかったのですが、じつはこの話は、当ブログの目指すところにも関わってくる話でもあるので、この機会に一度お話ししておこうと思います。
カッコイイから、モテたいから、といったガツガツした理由ではないことは、先にお断りしておきます。
バーテンダーになろうと思ったきっかけ
この話は、私が初めてバーの扉を開き、行きつけとなったバーを見つけるまでがワンセットになっているので、まずはそこからお話しします。
当時、学生だった私は、講義をサボってパチンコ店に入り浸り、ギャンブルに明け暮れるような生活をしていました。多額の借金をこさえてもやめられず、いつしか私は依存症となり、お金をすり続けました。絶望という暗闇のなか、夜の外灯に吸い寄せられる羽虫のように、私はぎらついたパチンコ店へと行き続けたのです。
当時の私にとってこれは文字通り「死活問題」で、ほんとうに生きるか死ぬかの問題、というか、死ぬことしか考えられないほどに追い詰められていたのですが、そんなある日、私の目に飛び込んできたのがバーでした。
薄暗い店内からでもわかる、温かみのある木を基調としたつくり。店内から漏れ出した、暖色系のやわらかい明かり。それはまさに、羽のもげた私にとっては「やさしい止まり木」ともいえるものに見えました。
このとき、私はバーなんてものは行ったことがありませんから、入ろうかどうしようかと悩みます。しかし、なにかにすがりつかなければ、もう立っていることさえできないほどに追い詰められていたのかもしれません。
私は、生まれて初めてバーの扉を開いたのです。
1軒目のバーは競馬好きが集まるお店
店内は、一枚板が目を引くカウンター4~5席とテーブルが2席の、小さいながらもまとまり感のあるお店で、カウンターに先客が1名でした。
ちなみにこのとき、私はバーに置かれているお酒はタンカレー(ジンの銘柄の1つ)しか知らなかったので、タンカレーのロック(ライムなし)という微妙に通っぽい注文をし、店内を眺めながら、まだ苦いとしか思えないお酒を飲んでいました。
お店のマスターはどうやら競馬好きらしく、お客さんと競馬の予想などをして盛り上がっています。私はその話をなんとなく横で聞いていたのですが、「競馬は好きですか?」と、マスターが話を振ってくれました。
当時の私の専門はパチンコと麻雀だったので、このときはまだ競馬には手を出しておらず、競馬のことはよくわかりません。ところが、全然話がわからない私にも、マスターと先客のお客さんは、なんとなく競馬のルールなどを教えてくれたのです。
私はなにか、仲間ができたような気分になりました。
お互い出会ったばかりでなにも知らない関係ですが、1つの話題を共有し、かといって、それ以上深くは踏み込まない。
この絶妙な距離感に、私は自分の居場所を感じ始めていたような気がします。私のバー巡りは、この日から始まったのです。
2軒目のバーは秘密基地
競馬好きマスターのお店に何度か通ううちに、違うお店も見てみたいと思った私は、教えてもらった2軒目のバーを訪ねてみることにしました。
2軒目のバーは、飲食店を経営するオーナーが、空いていたスペースを魔改造してつくり上げたバーで、人ひとりがギリギリ通れる路地裏が入り口になっているなど、秘密基地をほうふつとさせるバーでした。
私はここのオーナーと仲良くなったことがきっかけで、後にオーナーが経営する飲食店で働くことになるのですが、それはさておき、このバーでたまたま同席したお客さんが、さらに別の店舗のマスターであることを知った私は、そちらのお店にも行ってみることにしたのです。
3軒目のバーはホームグラウンド
私のバー巡りは3軒目に突入し、その日は2軒目で出会ったマスターが経営するバーにやってきました。
しかし、これは運が悪かったというべきか、その日は従業員のバーステーイベントなるものが行われていて、私は完全にアウェーな状態となってしまったのです!
さすがにこれは失敗したと思い、私は早めに切り上げて出直そうとしたのですが、以前会ったことがあることを話すとマスターもよくしてくれ、従業員のバーテンダーも年が近かったことから親近感がわき、イベントも落ち着いてきたこともあってか、気づけばアウェーと感じた居心地は、ホームに変わりつつありました。
私は、自分もこのお店の仲間に入れてほしい、そう強く感じたことをいまでも覚えています。
それからというもの、私はこのバーに通うようになり、ほかのお客さんと話したり、変なあだ名をつけられて呼ばれるようになったり、お店の人とも仲良くなったりと、いつしか、このお店に行けば誰か知っている人がいて、私は独りではないんだ、と思えるようになっていきました。
ギャンブル依存によって、賭場にしか居場所がなかった私に、初めて居場所ができたのです。
そして、このバーに通うにつれて、「バーという場所が自分に居場所を提供してくれたように、次は自分が居場所を提供する側になりたい。かつての私のように居場所を失ってしまった人たちに、居てもいい場所があるんだと伝えたい」と、私は思うようになったのです。
これが、私がバーテンダーになりたいと思った最初の理由であり、現在も変わることはない、私の活動の根幹をなしている思いです。
バーテンダーを目指した理由
その後、先ほど触れたように、私は2軒目のバーで知り合ったオーナーの飲食店で働くことになるのですが、この飲食店の労働環境は想像を絶するほどの過酷さで、社長の度が過ぎたスパルタ教育もあり、限界を迎えた私は1年弱でこの仕事を退職。
そして、たまりにたまったフラストレーションが爆発するかのように、退職後はギャンブル依存が加速していき、それに伴って、私がバーを見つける前のころ、羽をもがれた虫のころ以上に、精神状態は悪化していきました。
思えば、過去最悪のレベルで私は精神を病んでおり、それを知った行きつけのバー(3軒目)のマスターは、仕事を紹介してくれるなどして、私に手を差し伸べてくれました。
しかし、私はこれを裏切りました。
私に居場所を与えてくれ、いつも相談に乗ってくれていた恩人。その人の好意を私はむげにし、恩人の顔に泥を塗るようなまねをしてしまったのです。
私は、バーテンダーになる夢を一度は諦めました。裏切者に夢を追う資格などないと。それでも、行きつけのバーのマスターは、私のことを心配し、許し、「またおいで」と言ってくれたのです。
もう二度と、人も、自分の思いも裏切りたくない、裏切ってはいけない。マスターの寛大さに触れ、そう強く思った私は、それからしばらくしたのち、バーの門を叩きました。今度は、自分がカウンターのなかに立つ側として。
私がバーテンダーを目指した理由は、自分の思いや夢を、諦めたくなかったからだと思います。
今回のまとめ
・目指した理由は諦めたくないとの思いから
・やさしい止まり木(=bar tender)
もともとは、人に居場所を提供する側になりたいと思って始めた仕事ですが、私がギャンブル依存症を始めとした精神的な病を克服していくなかで、その目的は少しずつ変化し、「かつての自分のように苦しんでいる人を救いたい、力になりたい」と思うようにもなっていきました。
なぜなら、そういった精神的なつらさや苦しみというものは、味わった人間にしかわからない、いや、味わった人間でさえもわからないこともあるほどだからです。
私のこれからの目標は、思いのすべてを叶えること、つまり、人に居場所を提供できる場をつくり、苦しんでいる人を救い、それをしようとする自分の夢を諦めないことです。当ブログも、そういった思いの一環で運営しています。
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