物は壊れるまで使う、壊れてから買う、という考え方に固執してはいけない

物は古くなっても、壊れるまで新しいものは買わない、という考え方自体がそもそも古かった、ということでしょうか。

鉛筆は持てなくなるまで削りなさい。靴は履けなくなるまで履きつぶし、家具・家電は壊れるまで使うのが礼儀。物は大切にし、使えなくなってから、新しいものを買うようにしましょう……

物を大切に使うということは、少なくとも私は、ある種の美徳のように教えられてきたもので、基本的にこれまでは、「壊れるまで使う、壊れてから買う」の精神で生きてきました。まだ使えるのに捨てるのはもったいない、というか使えるのなら、壊れるまで新しいものを買う必要はない、と考えてきました。

しかし最近になって、この考え方自体がそもそも古いのではないか、思考を停止させる考え方は、同じく古いモノといっしょに捨ててしまい、新しいものと入れ替えたほうがいいのではないか、と思わせられる出来事に遭遇。

これを機に少しずつ考え方を変えていくことにしたので、今回は古いものを使い続けることによって生じるデメリットと、新しいものを使うことによって受けられるメリットについて、少し考えてみたいと思います。

大切に使い続けた物には魂が宿る

長い年月を経て使ってきた道具や物には魂が宿り、物を粗末に扱ったり、物に対する感謝を忘れてしまえば、「付喪神(九十九神:つくもがみ)」という神や聖霊となったモノは、人をたぶらかしてしまう。

日本では古来、このような「付喪神信仰」があったことからも、物を大切にするという文化は昔からあったのだと思います。そしてそれは、数百年が経過した現代にも、脈々と受け継がれているものなのかもしれません。

私も、物は大切にしなさいと教わってきたものです。

物を雑に扱うことはせずに大切にし、物自体と物の作り手に感謝しながら、壊れてしまう最後まで使わせてもらう。それが、礼を重んじる和の心であって、ふだんの生活でも、仕事でも、あらゆる場面でそうするのが美徳なのだと。

私の家には、古くてもまだ使えるものがたくさんあります。

家電製品でいえば、冷蔵庫や洗濯機などは、初めて購入したものをいまでも使用していますし、炊飯器なんかもたしかそう。最近になって、長年使い続けてきた電気シェーバーを買い替えましたが、これは壊れていたと思ったら壊れていなかったので、まだ古いものを使い続けています。

もしかすると、奇跡の復活をとげた例の電気シェーバーには、すでになにかが宿っていたのかもしれませんが、それはさておき、こういった生活用品のなかには、以前から問題視しているものもじつはありました。

それが、この「使えるなら最後まで使え神話」に疑問符をつけた、「フライパン」だったのです。

じつはもう壊れていたフライパン問題

私の家には、加工(コーティング)が完全にはげ落ちたフライパンが、いくつかあります。

どれくらいはげ落ちているのかというと、なんでも食材が張りつくレベルで、卵を焼けばバリバリに張りつき、目玉焼きをはがそうとすれば肝心の目玉が破れ、餃子なんてものを焼こうものなら、餃子の下の皮が全部張りつき、いちばん大切な部分を根こそぎ奪い去っていくほどのはがれっぷり。

けれど、食材を焼くという本来の機能は、それでも果たすことはできる。これが、私の頭を悩ませる大きな問題でした。

正直いうと、捨てるのが面倒くさかったとか、引っ越したときに全部買い替えたいとか考えていたのもありましたが、加工がはげたフライパンでも、使おうと思えば使うことはできるのです。

油をひく量を増やし、火力を弱め、張りつきやすいものはあまり焼かない。これでなんとかなってしまうからこそ、そのような状態でも使い続けることができていたわけですが、冷静に考えてみると、これは健康的にもあまりよろしくありません。

たとえば、1日に1回フライパンを使うとして、毎回油をひく量が大さじ1多ければ、摂取カロリーが126kcal(14gで計算)増えます。1か月(30日)に換算すると、油だけで3780kcalとなりますが、成人男性の必要摂取カロリーは、1日に2000~3000kcalらしいので(農林水産省より)、フライパンを変えれば、それだけで、月に1~2日断食したのと同じようなことになるようにも思われるのです。

そして、そんなことを考えていた折、私は近所のスーパーで、たまたまフライパンが安く売られているのを発見しました。

そのお値段、なんと、たったの1000円。

スロットなんかでいえば、下手すれば1~2分で消える額です。無駄な油を使わないことで、買い足す頻度が減る油(本体)の値段を考えれば、余裕で元が取れる金額でしょう。

もういいのではないか。それとも、そのまま99年間使い続けて、フライパンにも神を宿すのか? というか、加工が完全にはがれている時点で、もうそれは「壊れている」のでは……

後日私は、そのフライパンを買いに近所のスーパーへ。ところが、なんとも間が悪いもので、私がフライパンを買い替える決断を下したときにはすでに特売は終了し、それらは店から姿を消していたのです。

フライパンは、ネットで購入しました。

新しい物は、新しい刺激を与えてくれる

私たち人間は、新発売のものや新品のものなど、新しい物に惹かれることが多いと思うのですが、それは、新しい物が、私たちの好奇心を、強く刺激するからだと思います。

私の経験上、好奇心を失った人生は、見える景色のすべてをグレーに変えます。

毎日同じことの繰り返しで、とくに楽しいこともなく、まるで先も見えません。しかし時間の経過の体感速度だけは異常に加速していき、ただやらなければならないことを、ただやり続けるだけのルーティンがそこにあるだけ。

ところがどうでしょう、好奇心が刺激されると、その景色にカラフルな色がつき、すべてが一変するのです。

同じ景色を見続けるルーティンから脱却し、新たな景色へと続く扉が開かれます。あれもやりたい、これもやりたい、と好奇心の連鎖が起こり、時間の経過が早く感じられたとしても、その濃度は、灰色のころとはあきらかに違う。

だからこそ、人は新しい物に興味を持つのではないかと。

たしかに、物を大切に使い続けることは大事なことだと思いますし、それはいまでも私はそう思っています。ぞんざいに扱われている物を見ると心が痛みますし、そのようなことをする人も、あまり見たくはありません。

ただ、すでに壊れているものであったり、性能が著しく低下しているものを使い続けるのは、物を大切にするのとは、少しわけが違うのではないでしょうか? それに、そういったことをしていると、そこで新たな可能性を、すべて途切れてさせてしまうことにもなるのではないか、とも思うわけです。

フライパンでいえば、作れる料理の種類が大幅に限定されることによって、新しい発見や挑戦の機会が失われていきます。必然的に栄養も偏るので、身体だけでなく、思考能力、精神状態にも影響を与える可能性だってあるでしょう。

道具や物というのは、使い手の幸せを願って作られているものだと思いますが、そう考えると、役目を終えたものを無理に使い続けることは、作り手や物自体が望んでいることではないのではないか? とも思えてくるものです。

大切にし、感謝し、役目を終えたら、新しいものと交換する。

物と同時に、私たちの感覚も最新版にアップデートされるので、物が変わることで、人生も豊かになっていくというわけです。

今回のまとめ

アドキッチンのコージークックセラミックフライパン

・長い時間使い込んだ物には魂が宿る
・壊れた物を使い続けることによるデメリットは「刺激の途切れ」
・必要に応じて新しいものを使うことで、人生も豊かになること間違いなし

家の中をいろいろと探してみると、フライパンだけでなく、もうこれは新しいものに変えたほうがいいのではないかと思われるものがたくさん出てきました。

当初のもくろみでは、引っ越しの際に古いものは全部捨てて……と考えていたのですが、結局のところ、先のことを考えていてもしかたがないので、できる範囲から物を買い替えていこうと思っています。

ちなみに、今回購入したフライパンは、アドキッチンというメーカーが販売している「コージークック・セラミックフライパン」。

全面セラミックコーティングで、白と赤の色合いもスタイリッシュ。持ち手に「あど吉」という、擬人化されたふ菓子みたいなやつがついているのも評価できます。

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