死にたいが口ぐせになってしまっている方は、一刻も早くこのくせを直したほうがいいですよ。手遅れになってしまう前に。
突然ですが、「死にたい」が口ぐせになってしまっているという方は、じつは多いのではないでしょうか?
私はいつの間にかこれが口ぐせになってしまい、一人で自宅にいるときなんかにボソボソと「死にたい」とか「あぁ、死にたい」とか、ふとした瞬間に口から出てくるのが日課となってしまっていた時期もありました。
じつをいうと定期的にこの口ぐせが復活することもいまだにあるのですが、これは今すぐにやめたほうがいいと私は思っているので、今回は、そんな「死にたい」の口ぐせをやめたほうがいい理由と、わりと簡単にやめられる方法を伝授します。
死にたいは幸せになりたいの略とする説
死にたいは幸せになりたいの略だ、なんて話は、誰しも一度は聞いたことがあるかもしれません。要するに「しあわせになりたい → しにたい」ということで、死にたいという言葉は幸せになりたいの裏返しであると。
一見すると、しょうもないギャグのようにしか聞こえないかもしれませんが、私は、この説はわりと的を射ていると思っています。
私もこれまで幾度となく「死にたい」と発してきたわけで、それしか考えれられなかったときはたしかにそう思い込んでいましたが、よくよく考えてみると、べつに本当に死にたいわけではなかったような気がするのです。
人生がうまくいっていない、借金が返せない、精神的につらい、すべてを投げ出したい、この世から逃げ去りたい。
そういった、ひとまとめにしていうと、苦しみから解放されたかったからこそ私は「死にたかった」のだと思うのですが、たとえば、そんな私の目の前に神が降臨したとして、このように言ったとします。
おまえの苦しみをすべて取り除いてやろう。そのあとで生きるか死ぬかを選べるとしたら、どうする?
これはなかなかむずかしい。苦しみがなければべつに死ぬ必要もなく、死にたい理由もなくなってしまうからです。
そうなると、神によって苦しみが取り除かれたあとで、さらに別の苦しみを抱えることが予想され、それによってまた死にたいと思うのが嫌だから「死」を選ぶ、という選択肢もあるとは思いますが、ひとまず目の前の死にたい理由がなくなったのであれば、すぐに死ぬ必要はなくなるので「生」を選ぶ、というのが一般的な考え方だと思います。
そこで、先ほど私は「苦しみから解放されたかった」といいましたが、当時の私からすれば、その願望が叶えられることは幸せなこと、すべての苦しみが取り除かれた状態は幸せな状態であったと思うのです。
つまり、苦しみのない状態とは幸せな状態であり、死にたいというのは、苦しみを取り除いてほしいという願望。要は「幸せになりたい」となるわけです。
無理やりすぎる? いえ、そんなことはありません。
人は、現状がその人にとって幸せではないから、もしくは、苦しみのほうが幸せを上回っているからこそ死にたくなるのです。基本的には。
人生とは壮大なクソゲーである
ある程度のあいだ生きていると、人生とは壮大なクソゲーであると気づいてしまう方も少なくはないかもしれません。なぜなら、1歩先に進んだり、少しうまくいっていたり、なにか良いことがあったりすると、それ以上に悪いことが起こり、その「妨げるもの」を乗り越えていかなければ、新たな1歩を踏み出すことができないからです。
しんどいイベントはやたらと多いくせに、楽しいイベントはほとんどないという、アメとムチのバランスが崩壊した鬼のような難易度のクソゲー。こんなものが発売されていたとしたら誰も買わないでしょう。まごうことなきクソゲーです。
ただ、忘れてはならないのが、どんなゲームにもクリアは用意されているということ。
そしてここでいうクリアとは、人生を終わらせるゲームセットの「死」ではありません。妨げるものをすべて乗り越えた先にあるステージに行くこと、「幸せ」の境地にたどり着くことだと私は思っています。
ところで、そもそもの話、私たちはなぜ生きなければならないのでしょうか?
私たちは生まれながらにして、生きる使命を負っているようにも感じられます。それはまるで、初期装備としてもらったアクセサリーが、じつは一度つけたら二度と外すことができない呪いの装備で、そこには「生きろ」と刻まれていた、といったふうに。
これに関しては、人はたとえ難しいゲームであろうとも、基本的にはクリアすることを諦めたくはないからだと私は思っています。
人によって見切りが早い、諦めが悪いに差はありますが、諦めざるをえない理由があったからこそなにかを放棄するわけで、べつにその理由がなければ、そのままクリアまで突き進んでいくのが大多数なのではないでしょうか。
そして、その「諦めざるをえない理由」がゲームの難易度であったとしたら、難易度は上がれば上がるほどクリアしたときの達成感はひとしお強いものとなるでしょう。
要するに、人生という名の超難易度のゲームは、クリアしたときに得られる幸せの報酬も桁違いだということです。
死にたいという口ぐせをやめる方法
私たちはこの世に生を受けた時点で、超難易度のゲームに強制参加となったわけですが、どうせなら幸せの報酬をゲットしてからゲームのスイッチを切りたいですよね。
そこで、ここからは、今回の本題でもある、「死にたい」という口ぐせをやめる方法について伝授していきます。
これは非常に簡単です。だいたい以下のような手順で口から出てくるのを封じることができます。
- 死にたいと言わないように意識する
- 口から出てきたら途中で言葉を切る
- 幸せになりたいに強制変換する
少し補足しておきます。
1. 死にたいと言わないように意識する
まず、普段から「死にたい」という単語を発さないように意識しておくことから始めます。
口ぐせというものは、とくに意識していなかったとしても勝手に口から出てきてしまうものなので、普段から(とくに自宅で一人の時間など)こいつが口から飛び出してこないよう、あのワードは言ってはいけないという暗示を自分にかけるのです。
ただ、それでもぽろっと出てきてしまうことはあるので、それはそれで仕方がない。とにかく、意識だけはしておくこと。これが基本の心構えです。
2. 口から出てきたら途中で言葉を切る
次に、「死にたい」という言葉が口から出てきてしまったときは、途中で、全力で言葉を切るようにします。
たとえば、「死にた……!」とか、「死に……!」とか。このへんで言葉を切るように努力する。「し……!」までいけるようになれば上出来です。
これですべての準備は整うのですから。
3. 幸せになりたいに強制変換する
そして、「死にたい」を「し!」で止められるようになったら、あとはこれを「幸せになりたい」に強制変換してしまいましょう。
「し!……あわせになりたい!」
といったふうにです!
はたから見れば非常に滑稽な姿に映ると思いますが、べつに自宅で一人であれば恥ずかしいこともないでしょう。どんどん言ってやればいいのです。幸せになりたいと。
また、物事には例外がつきものなので、「死にたい」と最後まで口から出てしまってもじつは大丈夫。
「死にたい……いや、やっぱり、幸せになりたい!」と、この方法を使うことで強制的にリカバーできてしまうのです!
もうなんでもありですが、ゲームを攻略するには、時には裏技も必要だということです。
死にたいと言わないほうがいい理由
言葉の持つ力というのは非常に大きい。その力は、人の能力を伸ばしてぐんぐん成長させることもできれば、直接手を下すことなく、人を死に追いやることだってできるほどのものです。
そんな強力な力を持った言葉を、しかも「死にたい」という負のエネルギーにあふれた言葉を、毎日のように発していればどうなってしまうでしょうか? 私たちの思考のベクトルは必然的に「死ぬこと」に向き、しだいにそれしか考えられなくなってしまいます。
一方で、「幸せになりたい」という正のエネルギーに満ちあふれた言葉を発し続けた場合、私たちの思考はいつしか「幸せになること」に向き始め、どうすれば幸せになれるのか、幸せになるためにはどうすればいいのか、といった、具体的な思考や行動に変換されていくことになるのです。
このへんのことは、先行する刺激(言葉)が脳に影響を与え、その後の考え方や行動に影響を及ぼすという、心理学でいうところの「プライミング効果」というものが当てはまると思うので、あながち間違ったことを言っているわけではないと思います。
マイナス思考の発言を繰り返していれば、人は知らぬ間にマイナス方面へ。反対に、プラス思考の発言を繰り返していれば、人はプラス方面へと気づけば向かっているのです。
そう考えると、「死にたい」という口ぐせがそもそもなかったとしても、「幸せになりたい」と叫び続けることで、その境地に早くたどり着くことができるようになるのかもしれません。
今回のまとめ
・人生もやりようによっては、壮大な名作へと変わるかもしれない
・幸せになりたいと叫べ!
人は、さまざまな苦しみを乗り越えながら生きていかなければなりません。目の前に神が降臨し、すべてを取り除いてくれるなんてことは現実的に起こりえないので、妨げるものを1つずつクリアしながら前に進むしかないのです。
そんななか、ふとした瞬間に抑え込んでいた「死にたい」という言葉がせきを切って出てくることがありますが、こんなものは「幸せになりたい」という呪文で封じ込んでしまいましょう。
幸せになりたい。あぁ、幸せになりたい。皆さんもいっしょに叫びましょう。私たちは幸せになるんだ。
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