祖母が亡くなったとき、死とは眠りであり、完全な消滅ではないと感じた

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祖母が他界したとき、牧師は言いました。死別とは永遠の別れではなく、再開までのしばしの別れであると。

2020年の初めのころ、祖母が他界しました。96歳でしたが元気があり、まだまだこれからも長生きしてくれるだろうと思っていた矢先の出来事でした。

祖母の死について書くこと。これまで私は、たとえ親族であったとしても、自分ではなくひとの死に触れるということは、なにかよくないような気がしていたため、この手の話題は避けてきました。

しかし、順当にいくにしろいかないにしろ、自分の番はかならず訪れるものであり、さらにはこの出来事を書き残しておかなければならない理由ができたので、今回は私の祖母の話をさせていただきたいと思います。

目次

祖母の晩年

父方の祖母は会った記憶がないほど早く、その後は母方の祖父、父方の祖父と倒れていき、最後に残ってくれていたのは母方の祖母だけでした。

祖母は、90代前半までは、自身の家で母といっしょに生活していたのですが、途中からは公的な施設(老人ホーム)に入居することになり、その施設で晩年を過ごしました。

当初は、本人も母も、家を出るのはまだ早いと思っていたようなのですが、公的施設の場合、出るのはいつでも可能でも、入るのはそのタイミングだけ、つまり、何年も前から入居の申し込みをし、順番がまわってきた際にそれを蹴ってしまうと、順番待ちがまた最初からになってしまうというシステムになっていたらしく、とりあえず入るだけ入ってみようということになったようです。

そして、いざ施設に入ってみると、寝食の時間が決まっていることなどから意外と生活は快適だったようで、嫌になったら家に戻ろうと決め、それから母は毎日、朝夕の2回はほとんどかならず祖母を見舞いに行っていました。

施設に入居してからも祖母の意識ははっきりとしていて、私や、私の家族も定期的にお見舞いに行きました。よく、昔の人の誕生日は1月1日が多いといいますが(昔は数え年が主流だったので、元旦に年をとっていたという説があります)、例によって祖母も元旦が誕生日だったので、正月はかならず私たち家族で誕生日を祝いに行きました。

しかし、93、94と、このあたりから1年を刻むごとに、脳梗塞や認知症といった大きな病気を患うようになります。いっときは、ほとんどしゃべることもできなくなってしまったのですが、母が献身的に身の回りを世話するにつれて祖母の容態も回復していき、言葉や表情もふたたび豊かになっていきました。

もしかすると、このころ祖母は、私のことが誰なのかあまりよくわかっていなかったかもしれません。ただ、お見舞いに行くと、いつも笑顔で答えてくれたので、私はそれだけで十分でした。祖母の記憶から私が消えていても、私が祖母のことを覚えているから問題はなかったのです。

96歳の祖母の誕生日、これからも長生きしてくれるだろうな、と私は漠然と考えていました。

施設内でのインフルエンザ感染

祖母が96歳を迎えてから少ししたころ、施設の一部でインフルエンザが流行し、祖母もこれに感染。別の病院に入院することになると、これがきっかけとなったのか祖母の体調は一気に悪化し、入退院を繰り返すこととなってしまいました。

母の「そろそろ覚悟しないといけないかも」という言葉を聞き、私は入院中の祖母に会いに行きます。すると、ほんの数週間前に会ったときとはまるで別人のように、驚くほどに祖母は痩せこけていたのです。

私が呼びかけると、向けてくれる笑顔だけは変わりませんでしたが、それもどこか力ない。聞けば、入退院を繰り返すようになってからは、食べられないのか食べたくないのか、食事をまったく取らなくなってしまったらしく、点滴を打つことでなんとか栄養を補給している状態だったそうです。

しかし残念なことに、点滴を打つ場所もないほどに痩せてしまった祖母には、これ以上点滴を打ち続けることもむずかしいという話でした。

水分も満足に取れなくなってしまった祖母は、しゃべるというよりも、短い単語を発することしかできません。それでも、はっきりと、私は病室で「大好き」という、母に向けられた言葉を聞きました。

それが、私が最後に聞いた、祖母の言葉となりました。

2つの選択肢があった

私たちは、2つの選択を強いられていました。これ以上ほとんどなにもすることができない病院に入院させ続けるか、治療を受けることはできない施設(老人ホーム)に戻らせるか。

しかも、このへんの事情はよくわからないのですが、決められた期日までに施設に戻らないという選択をした場合、祖母が施設に戻る権利はその時点で失われてしまうというのです。

私はなにか、命の選択を迫られているように感じました。

祖母が自分の意思でどうしたいかはもう決めらないところまできていたので、最期になるかもしれない場所は、残される側が決めなければならないのです。

この選択に、答えはありません。おそらくどっちを選んでも少なからず後悔が残る。とくに母にとっては、実の親のことなので、自分一人では絶対に選べないような選択肢だと思われました。

選択の期限だけが迫るなか、施設のかたがたは、戻ってきてください、みんなで最期を看取ってあげましょうと。私は、脳梗塞から回復したように、食事を食べてくれるかもしれない可能性がわずかでもあるのなら、施設に戻ったほうがいいのではないかと言いました(病院では喉を詰まらせるかもしれないと、点滴以外は認められなかった)。

祖母は、私の母が来るといつも喜んでいたので、母は苦渋の決断という言葉では片づけることができないほどの心境だったと思うのですが、晩年を暮らした施設に祖母を戻すことを決めました。

しかし、これはどういった選択をしても、結果は変わらなかったのかもしれません。祖母はそれから体調が良くなるということはなく、施設の一室で、静かに息を引き取ったのです。

葬儀と一連の流れ

祖母が亡くなったという連絡を受け、すぐに施設に向かうと、祖母は目を閉じてベッドに横たわっていました。声をかければ目を覚まし、あらよく来たわね、と答えてくれそうにも見えましたが、魂はもうそこにはありません。

それからほどなくして、葬儀の話が進められていきます。

葬儀までの遺体の安置、使用する会場や、火葬など、業者と話し合いながら今後の段取りを決めていき、生前に祖母が家族葬を希望していたことから、葬儀は身内や近しい者だけで行うことになりました。

また祖母は生前、敬虔なクリスチャンであったため、葬儀はキリスト教式で行われることになり、葬儀の前日にも会場へ。このとき、ほんとうに何年ぶりかわかりませんが、私はいとこなどの親戚と顔を合わせました。

葬儀当日

葬儀の当日、祖母が通っていた教会の牧師に来ていただき、祈祷、故人の略歴、賛美歌の斉唱など、式は粛々と進められていきました。

そしてそのなかで、牧師はこのようにおっしゃっていました。

牧師
牧師

聖書には死後のことについてはあまり触れられておらず、「眠る」と繰り返し述べられています。魂と肉体の眠り。死別とは、永遠の別れではなく、再開までのしばしの別れとも考えられます

牧師
牧師

さて、古代ギリシャの哲学者ソクラテスは、肉体は魂の牢獄であり、死は魂を牢獄から解放することだと考え、死を恐れずに毒の杯をあおりました

牧師
牧師

一方イエスキリストは、ゴルゴタの丘で磔にされ、最後まで死を恐れ、絶望のなかで死を迎えました

牧師
牧師

私たちにとって死とは恐ろしいことだと考えます。しかしその恐怖は、復活したイエスキリストによって背負われ、故人は安らかに眠りにつくことができたのです

たしかに、祖母は日に日に弱っていくなかでも、死を恐れていたようには見えませんでした。それは認知症もあったとは思いますが、これこそが神の御業だったのかもしれません。

その後、祖母の遺体が納められた棺には、あふれんばかりの花々と、晩年の趣味であった絵画、生前祖母が愛した犬の写真などが納められ、私たち参列者によって霊柩車に運び込まれました。

大の男が両側から何人も手で支えることで、ようやく持ち上がるものでしたが、その棺は、なぜかとても軽く感じられました。

祖母の死と向き合って感じたこと

火葬され、骨と灰になった祖母を見て、死とは完全な消滅のようにも思えましたが、魂が抜けたすぐあとの祖母を見たときは、牧師のいうように、死とは眠りなのではないかとも感じさせられました。

これまで祖父母の死をこの目で見てきましたが、私の年齢のこともあり、なにが起きているのかを理解することはできていなかったように思います。

しかし、私もみずからの死を意識するようにもなり、物事をシンプルに考えられるようになったからこそ、こう思ったのです。祖母は疲れたから眠っただけなのかもしれない。現世を生き抜き、また目が覚めて、もう疲れることがない世界へ行っただけなのかもしれないと。

祖母を失った苦しみは計り知れないものがありましたが、またお墓に行けば会うことができるとも思いますし、肉体はすでになかったとしても、魂は残された者のなかで生き続けていると思うので、そう考えるとやはり、死とは完全な消滅などではないような気もします。

そして私はこれまで、死はすべての終わりであり、生とは後悔のない死を迎えるための準備期間のようにも考えていましたが、祖母の最期を見ていて、眠りについた魂というか「記憶」を受け継いでいくことが生なのではないかとも考えさせられました。

苦しみのなかでみずから選んだ死ではなく、祖母は眠りとともに天に召された。それは、他界したときの安らかな顔を見れば明らかでした。きっと、天国に教会があれば、そこで神に祈りを捧げていることと思います。

最後まで私に多くのことを教えてくれた祖母に、感謝しかありません。

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