隣人をのぞくとき、隣人もまたこちらをのぞいているのか……? ドアスコープをのぞくときは、覚悟が必要となるのです。
私は諸事情から同じマンションに長年住み続けているのですが、ここ最近になって、とんでもない可能性に気がついてしまいました。
それは、ドアに取り付けられたのぞき穴「ドアスコープ」の反対側、つまり外側からでも、内側(部屋の中)を見ることができるのではないか、という恐ろしい可能性についてです。
ドアスコープは部屋の中から外を見るためのものですから、そんなことはあるはずがない。しかし、そもそもの話、その認識自体が間違っていたのではないか? そう思わせられる出来事があったので、お話ししたいと思います。
ドアスコープ越しになぜか目が合った
お酒を飲んで気持ち良くなったまま寝てしまい、夜なかに喉が渇いて起きる、なんてことは、お酒が好きな方であれば誰もが経験したことがあるかもしれません。
そんなとき私は、水やお茶といったものではなく、スポーツドリンクなどの味がついたものを一気に飲み干したいという欲望に駆られます。この「体が求める最高の液体で渇きを癒やす」という行為は、私にとって神聖な儀式に近いものがあり、それを水などで妥協するということは許されません。
そのため、寝起きに飲みたいと強く感じた飲み物が自宅になければ、近くの自販機まで買いに行ったりするわけですが、渇きを感じて起きたその日も、「生命の水」を求め、私は自販機まで行こうとしていたのです。
しかし、私が外に出た瞬間、同じマンションに住む誰かがオートロックを開ける音が聞こえました。
私はひとまず部屋の中に戻り、帰ってきた住民がいなくなるのを待ちます。神聖な儀式の邪魔をされるわけにはいかない、いや、ただ寝起きの姿を、住民に見られたくなかったからです。
階段をのぼってくる誰かが部屋に戻るまでのあいだ、私はドアの前で待機します。ところが、どうも手持ちぶさたになってしまい、私はふだんまったく使うことがないドアスコープを、なんとなくのぞいてみることにしたのです。
誰かが部屋に入るまでドアスコープをのぞきながら、私は息をひそめて玄関ドアに張り付く。すると、ドアスコープの端っこに人影が映りました。どうやら帰ってきたのは、よく話したりする隣(通路的には奥)の住民だったようです。
私は、変に動いて気配を察知されてしまうと「帰宅する入居者をいつも監視しているヤバい奴」と思われる危険性があると感じ、住民が私の前を通り過ぎるのを、そのままの体勢で待ちました。
隣の住民は、私の部屋の少し手前で、一度こちらを見ました。そして、それからコンマ数秒後、視線を前に戻しかけた住民は、私の部屋の目の前まで来たとき、なぜかもう一度こちらを見たのです。
ドアスコープ越しに、目が合った瞬間でした。
いや、おかしいだろうと。なぜ隣の住民は二度見したのかと。その二度目には、いったいなにがあったというのかと……!? 私は、これまで考えたこともなかった「ある可能性」に気がついてしまいました。
ドアスコープの外側から内側をのぞいてみた結果
まさかそんなことが、そんなばかなことがあるはずがない。そう思いながらも私は自分の部屋を飛び出し、外側からドアスコープを見てみました。
すると、外が暗い、部屋の明かりがついている、という条件が重なったことで、ドアスコープからは一筋の光が漏れ出していたのです。
おそらく隣の住民はこの光を見て、私が部屋の中にいるのか、まだ起きているのかを確認したに違いない。そう思いながら私は、ドアスコープの外側から部屋の中をのぞき込んでみました。
しかし、これは見えない。ドアスコープのレンズは内側が大きく、外側は小さくなっていることから、部屋の様子までは見ることができません。それに、外からのぞいてみても、モザイクがかかったようにしか見えないため、少なくともそのままでは部屋の中を外からのぞくことはできませんでした。
内側から見ていた私の目玉がレンズに映り、外側から目玉が見えていて、それにビビった住民が二度見した、なんて恐ろしいことが起こらなくてよかった。ひとまずは胸をなでおろす私でしたが、それでもまだ、あの二度見はなんだったのか? という疑問は解けません。
そこで私は次に、内側のレンズ部分にティッシュを詰め込んでみました。すると今度は、ドアスコープは真っ暗になり、漏れ出ていた光は完全に遮断されます。この状態では二度見はありえない。なぜなら、なにも見えないのですから。
すでに「神聖な儀式」なるものは思いっきり邪魔されているわけですが、この疑問が解かれなければ儀式どころではないので、私は外からドアスコープを撮影してみたり、内側を別のものでふさいでみたりと、いろいろ試してみます。
そしてその結果、外側から見る角度によって、ドアスコープの光の漏れ出し方が異なることに気がつき、おそらく隣の住民は、手前で見たときの光の具合が、部屋の目の前まで来たときに変化したために二度見をした、という結論に達したのです。
そう考えると、光と影の変化によって、私がドアスコープの前に張り付いていたのはバレてしまい、隣の住民には「帰宅する入居者をいつも監視しているヤバい奴」と思われてしまったかもしれません。まぁ、それはいいでしょう。
無対策では「何か」が見られる危険性がある
比較的新しい物件では、あらかじめドアスコープに対策が打たれている場合もあるようですが、なにも対策がされていないふつうのドアスコープの場合、悪意のある部外者などによって「何か」が見られてしまう危険性があります。
たとえば、部屋の光がドアスコープから漏れていた場合であれば、入居者はいつの時間に部屋にいて、いつはいないのか、といった、空き巣などが喜びそうな情報が。
また、ドアスコープの外側から中をのぞくための特殊なスコープもある(ちなみにこれは、不審者によって侵入された場合を想定しての、防犯対策グッズとして販売されている)ようですし、
ドアスコープが何者かによって取り外されてしまい、もう完全な筒抜け状態となってしまったという被害報告も珍しくはありません。
悪意を持った者は、外から見えるはずがないという思い込みの裏を、まさかの盲点を突いてくる危険性があります。男性の一人暮らしであればまだ大丈夫かもしれませんが、女性の一人暮らしであれば、なにかがあってからでは遅いでしょう。
ドアの外から見られたくない「何か」がある。そんなときは、事前に対策を打っておいたほうがいいかもしれません。外側からのぞかれてしまう前に。
今回のまとめ
・光の影の関係で、中から見ていることはバレる可能性
・なにかしらの対策は打っておいたほうがいいかもしれない
今回の件で、ドアスコープが無対策のままというのは、じつはちょっと危ないのではないかと思えてきました。気になる方は、夜になったら部屋の電気をつけた状態で外から見てみてください。場合によっては、けっこうはっきりと光が漏れていると思いますよ。
また、私のように誰かが帰ってきたからとドアスコープをのぞいていると、タイミングによっては外に漏れていた光が突然暗くなる、またはその逆が起こり、中の人がドアスコープを通してこちらをのぞいている、と認識されてしまうかもしれません。
要するに、人を「見る」というのは、「見られる」ということでもあるわけです。見ていいのは、見られる覚悟がある奴だけだ、ということですね。当然のことながら、それは外から見てくる側にもいえることですが。
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