【胸熱】かつて生き甲斐とまで感じたゲームをやめたきっかけとその結果

そろそろ私のゲーム遍歴についてお話しする時が来たような気がするので、勝手に語らせてもらいたい。

ゲーム面白いですよね。実は私もかつてはゲーマーだったわけですが、あるタイミングからゲームをやらないようになり、ある出来事から完全にゲームをやらなくなってしまいました。

その理由も大したことでもないのですが、近年はゲーム依存症(ゲーム障害)に悩む方も少なくないと聞くので、今回は私がゲームをやめることになったきっかけ、そしてその結果、なにがどう変わったのかなどをお話しします。

また、せっかくなので、私がハマったソフト、特に印象に残っているゲームソフトについてもハード別でいくつかご紹介したいと思います。

胸をアツくした歴代ゲームソフト

ゲームは確かに、面白い。1日に10時間以上余裕で遊んでいられますし、ストーリー性が高いゲームは本当に泣ける、鳥肌が立つようなものも多いです。

私の場合は特に学生時代(小~高)にゲームにハマっていたのですが、まずは本題に入る前に、かつては胸をアツくしたゲームからハード別でご紹介しよう!

ゲームボーイ編

私がゲームに本格的にハマり始めたのはゲームボーイあたりから。

初代ポケモン(赤・緑)から、メダロット、テリーのワンダーランドなどなど、GBは割と王道を攻めていましたが、そんな中でも特に印象に残っているのがこれ。

KONAMIから発売された悪魔城ドラキュラシリーズのGB1作目「ドラキュラ伝説」。

悪魔城ドラキュラは、幾度となく復活するドラキュラ伯爵と、ヴァンパイアハンターのベルモンド一族との戦いを描いた作品で、ベルモンドはムチを片手に魔物と壮絶な死闘を繰り広げます。

主人公は初代悪魔城ドラキュラなどに登場するシモン・ベルモンドの先祖、クリストファー・ベルモンドで、横スクロールのアクションゲーム。

悪魔崇拝・呪術・永遠の命など、全体的にダークな雰囲気が幼心をくすぐり、ドラキュラの根城にムチ一本だけで単身乗り込んでいくという「正義の男」、そして男のムチから繰り出される聖なる炎は、少年だった私の心にも火をつけました。

その後、私はヴァンパイアものにハマりだすのですが、きっかけはこれだったのかもしれません。

スーパーファミコン編

ハードがスーパーファミコンに変わると、世界は変わりました。大画面に映し出される美麗なドット絵は息をのむほどのもので、私のゲーム欲は肥大化していきます。

ロックマンXでは3で初めてゼロが使用できるようになったことに感動し、ロマサガ3では最後のステージでセーブしてしまったせいでダンジョンから出られなくなって詰み、超魔界村の2週目をクリアしようと何度もトライ。

あとは忘れてはいけないのがこれ。

SQUAREから発売された「バハムートラグーン」。

パッケージとタイトルが既にアツい! しかも、本作はドラゴンにエサをあげて育てるという、もうこれは少年の憧れのようなゲームだったのです。

途中シナリオで残念な展開があることでも知られていますが、正直言うと私はまだ子どもだったのでその辺はよくわからず、ドラゴンと一緒に戦った記憶しかない。

また、周りはFF・ドラクエをプレイする中、私はATLUSの「真・女神転生」にハマります。

真・女神転生は東京を舞台としたダークファンタジーで、悪魔を召喚し、従え、合体させるというシステムもさることながら、退廃的で無機質な世界観は当時の私に大きな衝撃を与えました。

子どものころは東京に住んではいなかったので、ゲームに出てくる東京の地名は全くわからなかったのですが、シブヤやイケブクロはヤバい街なんだろうなと感じたことを覚えています。

後に、その考えは大体合っていたことを私は知ることになるのですが……

そしてSFCで一番アツかったのが発売元はSQUARE、開発は大宮ソフトの「FRONT MISSION GUN HAZARD」。

フロントミッションは元々ターン制のシミュレーションでしたが、今作は横スクロールのアクションゲーム。

装備を強化することで機体や武器が変化していく楽しさ、直感的な操作で戦場を駆け巡るヴァンツァー(機動兵器)。年を取るにつれてだんだんとロボットに乗りたくなってきた私の、願いを叶えてくれるゲームでした。

某ゲーム雑誌には、スクエアが大宮ソフトに開発を依頼したことで、シミュレーションではなくアクションゲームとなったことから、このゲームは「もしかしてやっちゃった?」のようなことが書かれていましたが、個人的にガンハザは名作。

プレイステーション編

プレイステーション。目覚ましい進化を遂げたハード。

ロボットで言えばアーマードコアなどの名作がここから生まれ、バイオハザードやマーブルVSストリートファイターなど、CAPCOMのゲームも勢いを増していた記憶があります。

特にカプコンの格ゲーと言えばこれ。

ジョジョの奇妙な冒険!

SFCでもジョジョのゲームはあり、そちらはよくわからなかったのですが、このPS版のジョジョはとにかく完成度が異常に高く感じられました。

キャラとボイスが絶妙にマッチしていて、原作ファンも納得の出来だったと思います。ギャラリーモードで聞けた承太郎とDIOの対決ボイスも素晴らしい!

それと初代サイレントヒル、これには度肝を抜かれました。

ハリー・メイソンは休暇のために訪れた「サイレントヒル」で娘のシェリルとはぐれてしまい、娘を探すために街を徘徊。ところが物語が進むにつれ、街に存在するカルト教団、司祭の娘が辿った悲劇的な運命、そして自分たちがサイレントヒルに導かれた理由を知ることになります。

途中、街はサイレントヒルの真骨頂である「裏世界」へと何度も変貌。その異様でグロテスクな光景と異常なまでに残虐的な世界は、もし自分が放り込まれたら即自害するだろうなと思わせるほどのおぞましさがありました。

一人だとできないほどの怖さがありましたが、練り込まれた世界観とストーリーは、サイレントヒルがただのホラーゲームではないことを証明しています。

また、PSのRPGでは「ヴァルキリープロファイル」は外せないところ。

戦乙女のヴァルキリー(レナス)は、天界の戦力増強のために人間界に降り、英雄の魂を集めて成長させる任務を淡々と遂行。しかし、瀕死の英雄たちにはそれぞれ死に至るまでのドラマがあり、その背景が1人ひとり丁寧に描写されていくのです。

それは全ての仲間に感情移入できるほどのもので、話を進めていくたびに、神の指令(仲間を天界に送る)に背きたくもなったものです。

戦闘システムもアクション性が高く、技もいちいちカッコイイ。北欧神話をモチーフにした世界観でもあることから、まさにヴァルキリープロファイルは神ゲーと言うことができます。

そしてPSの一番はやっぱりこれ、「悪魔城ドラキュラX 月下の夜想曲」。

月下の夜想曲では、ドラキュラと人間リサとの間に生まれたアルカードが主人公。白銀の長髪、中性的で美しい容姿ですが、年齢は推定400歳。

かつてアルカードの母リサは、魔女狩りによって磔にされ、人間たちの手で処刑されてしまいます。しかし、その際に残した「人間を怨んではいけない」といった最期の言葉を守るため、復活したドラキュラ、実の父を討伐しにいくのです。

今作はヴァンパイアがヴァンパイアを狩るという胸アツなストーリーもそうですが、アルカードの剣技、使い魔の使役、アルカード自身も狼などに変身するなどの魅力が満載。ドラキュラ城を探索してMAPを埋めていくのも楽しかった。

PS2編

私がゲームにハマった全盛期はここで終了となるプレイステーション2。

デビルメイクライや鬼武者などもここから始まり、これまで遊んできたタイトルのシリーズも大体やりましたが、PS2で特にアツかったのがこれ。

ATLUSから発売された「DIGITAL DEVIL SAGA アバタールチューナー(DDSAT)」。

本作は女神転生シリーズの完全新作で、悪魔を使役したり合体させるのではなく、プレイヤーキャラ自らが悪魔に変身するのが特徴。

感情を失い、抗争に明け暮れる主人公サーフ率いる一行は、ある日悪魔になる力を手に入れるのですが、敵を喰わなければ飢え、理性を失い、生きていくことができないという業を背負うことになります。しかし、喰うことによって彼らは感情を取り戻していくのです。

新・女神転生シリーズが比較的無機質であるのとは対照的に、DDSATは「感情」という1つのテーマがあるため、非常にエモーショナル。1と2に分かれていることもあってか評判はそれほどだったようですが、個人的にはかなりアツかった。

DDSATはノベライズ化もされているので、気になる方は小説版を読んでみても面白いかもしれません。

そして、かつてはゲームをすることが生き甲斐だと感じさせ、胸をアツくしたゲームを締めくくる作品がこれだ!

Z.O.E(ZONE OF THE ENDERS)!

舞台は22世紀の太陽系。木星の衛星で発見された鉱石「メタトロン」によって技術に革命が起こり、高速機動力と圧倒的な攻撃力を誇る戦闘用機動兵器「オービタルフレーム(OF)」が誕生。そして偶然にも「ジェフティ」という名のOFに乗り込んでしまった少年、レオ・ステンバックの成長が本作では描かれています。

この作品のなにがアツかったのかと言うと、とにかくジェフティの動きがすごかった! ソラをハイスピードで縦横無尽に駆け巡るその姿は、ロボットもついにここまで来たかと、ただただ、ジェフティを動かしているだけで楽しかった。

ただし、キャラクターのグラフィックやストーリー、ボリュームはイマイチな部分もあったのですが、これは続編で全てが覆されます。

そう、ANUBIS(Z.O.E)です!

訳あって前作の主人公レオ・ステンバックによって隠されたジェフティ。しかし偶然にもそれを発見してしまい、操縦者(フレームランナー)となった元軍人の採掘作業員、ディンゴ・イーグリットが今作の主人公。

ANUBISではなにが変わったのかというと、ジェフティの動きがさらに美しくなり、キャラクターのデザインがアニメ調になったことでよりいっそう魅力が増し、ストーリーも格段にアツくなったなど、全ての面で前作を上回っていました。

いや、ANUBISは素晴らしい作品でした。

ゲームをやめたきっかけと理由

さて、前置きが非常に長くなってしまいましたが、私がゲームにハマっていたことはなんとなくお分かりいただけたと思います。それでは、ここからが今回の本題となるので、もう少しお付き合いください。

1つ目のきっかけ

ここまで見ると私はただのゲームBOYのように思われてしまいそうですが、「文戯両道」とでも言いましょうか、実は私も若いころは勉学に励んでいた時期もあり、高校は進学を前提としたところに通っていました。

しかし、私は途中で勉学に励む理由を見失ってしまい、進学する気などさらさらなくなってしまったのです。

受験シーズンになると、周りは鬼のように勉強に打ち込み始めます。そんな中でも私はゲームを続ける。ところが、そんなことを続けているうちに、「自分はなにかやってはいけないことをしている」と感じるようになってきたのです。

そこで私は自主的に受験シーズンはゲームはやめようと思い立ち、最低でも半年間はゲームから離れていました。

では、その間なにをしていたのか? というと、勉強をするでもなく、私はアレの研究に没頭し始めたのです。そう、パチンコ・パチスロ機です。

どう考えても、こっちのほうがゲームよりもダメなような気がしますが、私はもうギャンブル依存症になるべくしてなったのだ、と思います。ゲームセンターなんかで目押しの練習とかよくやっていましたね……

2つ目のきっかけ

その後、なんだかんだ言って結局進学することにした私は大学生に。しかし、このころは年齢制限もなくなったことから完全にパチンコ漬けとなってしまい、ゲームでは満足できない体となってしまっていました。

XBOX360を途中で購入し、外人とチャットしながらHALOや、レインボーシックスなどのFPSもやっていたのですが、それらはギャンブルから得られるスリルや興奮には遠く及びません。

そして訪れたRROD(レッドリングオブデス)。恐らくXBOX360ユーザーであれば少なくはない方が体験したであろう、死の赤いリングです。

1発目は修理に出しましたが、2発目で私はもう諦めました。ここに、私のゲーム人生は終わりを告げたのです。

ゲームをやめた結果

据え置き型のゲームはXBOX360で完全に終了。その後スマホゲーもいくつかやりましたが、それも全てやめました。なぜなら、スマホゲーは時間指定のイベントなどで夜中、早朝、仕事中でも気になってしまい、生活に悪影響を及ぼし始めたからです。

現在はついにギャンブルもやめることに成功。そこで、ゲームもパチンコも全てやめた結果どうなったのかと言うと、自由な時間がものすごく増えました。

その時間を私は、今こうして書いているようにブログの運営作業に充てたり、本を読んだりと、有意義な時間・趣味の時間に充てています。

またゲームをしたいか? と聞かれれば、その答えは「今はNO」です。

趣味というものは大体がそうかもしれませんが、ゲームはやっていても何も、いや全くの何もということもないですが、基本的に得るものがないと長年やっていた結果答えが出たので、無駄に時間を消費するわけにはいかない今は、やる気にはなれないからです。

ゲームはもう老後でもいいかなと思っています。できればの話ですが。

ゲームをやっていて良かったこと

そして最後に、ゲームをやっていて良かったことですが、これは特にありません。こうして思い出話ができることくらいでしょうか。

いや、ひとつあるとすれば、ゲームにハマった経験から、ゲームとギャンブルには似通った部分があり、依存症になってしまった場合の抜け出し方にも共通性を見いだすことができる、ゲーム依存症で困っている方の力になれる可能性がある、ということくらいです。

それはそれで大きいことなので、良かったこともあったのかもしれません。ただ、それ以外は、やっぱり何もないです。

今回のまとめ

・ゲームは確かに面白かった
・しかし得たものは基本的になく、今もやりたくはならない
・というか、ギャンブル依存症になる土台となったような気がする

趣味の話なので、ゲームはやめたほうがいいとは言う気はありませんが、やめたくてもやめられないとか、生活に悪影響を及ぼし始めているといった事態に直面することがあれば、それはやめたほうがいいと思います。

私の経験上、ギャンブルもそうでしたが、しばらく距離を置くと熱が冷めます。そしてハードがなければ(基本的には)もうできません。

怒ってコントローラーを投げたりするくらいであれば、ハードをハンマーなどでぶっ叩いて破壊してしまったほうがいい……のかもしれません。

それと、ゲームからパチンコなどのギャンブルに移行すると、私の経験上、依存症になる確率が飛躍的に上がるような気がするので、ギャンブルには手を出さないことをお勧めします。

スポンサーリンク
この記事をシェアする

Comment

  1. ゲーム依存者

    初めまして。果たして本当に、ゲームで得られるものは無かったのですか?
    私は最近、ゲームをやめるかどうかの葛藤に悩まされています。ホモルーデンス「人類は遊びによって進化した」という人間観はご存知でしょうか?

    人生のそのものは各個人の潜在的なゲーム「遊び」で成り立っていると私は思います。戦争や美術、エロスまでもが遊び概念で説明できます。
    ゲームをやる事自体、自分が夢中になれる文化的理由があったもしくは、人類進化の権化がそこにあったのではないでしょうか?

  2. 投稿作成者

    コメントをどうもありがとうございます。
    ホモルーデンスは勉強不足で存じ上げておりませんでした。近々本を読んでみたいと思います、ありがとうございます。

    さて、じつは現在、いたらない部分が多いため、すべての記事を最初から書き直している最中であり、見返してみると当記事も後半が雑になっていると感じられ、そこでコメントをくださったと思うのですが、ゲーム(とくに記事前半でご紹介しているものなど)からは得たものはあったと思います。

    当時のゲームは映画のように感動的で、人間関係や、生き方に対する考え方など、私の生き方に影響を与えている部分は少なからずあり、当サイトでも好きだったゲームの台詞を引用している部分もあるなど、現在でもゲームは想い出として好きなものではあります。

    ただ、現在はゲームをする気はないというのは記事のとおりです。

    私にとってのゲームはやはり娯楽であり、私は現在、自身に残された時間を強く意識するようになったため、ゲームにその時間を費やすほどの余裕がないと感じるようになったからです。

    とはいえ、おっしゃるとおりで、人間は遊びなくしては生きていくことはできないと思うのですが、結局のところ私がゲームに熱中していたのは、当時はまだ自立していない子どもであって、家から遠くへ行くことができなかったからこそゲームの世界に夢中になっていたのではないかと思っています。

    冒険がしたかったのです。それを叶えてくれるのがゲームでした。

    しかし現在は、行こうと思えば見知らぬ土地、国、世界へ行くことが私はできるようになったので、バーチャルの世界ではなく、リアルの世界で冒険がしたいと思っているからこそ、ゲームを娯楽として選択しなくなったのだと思います。

    ゲームから得られたものはありました。が、今後は、私は現実の世界をこの目で見て、その土地をこの足で踏み、そこからなにかを得たいと思っているのだと思います。

  3. y

    はじめまして。
    自分は35歳を過ぎてからゲームにハマってしまいました。
    それまでスーパーマリオとかソニックくらいしか知らなかったのですがグランドセフトオートVというゲームを数年前に知って今のゲームの臨場感に衝撃を受け、次にスカイリムをプレイしてその世界観に圧倒され完全に落ちました。

    ゲームには生産性が無いことも自覚しているので定期的にソフトを処分しているのですがどうしてもダメで、本体も3回手放してまたやりたくなって買い戻すという愚行をしております。
    次世代機は絶対に買わないつもりですが、旧世代機で感動や衝撃を受けたゲーム作品は手元に置いていつでも遊べると自分に言い聞かせて毒抜きをしていくつもりです。出来るかわかりませんが。

  4. 投稿作成者

    はじめまして、コメントをありがとうございます。
    私もグランドセフトオートはPS2版の3をプレイしまして、あの自由度は当時にしてはかなり衝撃的だったことを覚えています。スカイリムはプレイしたことがないのですが、開発のベセスダのゲームはフォールアウト3をプレイしました。あれの世界観には引き込まれるものがありました。

    さて、本体を手放しては買い戻されているとのことですが、私も10年以上ギャンブルをやめようと思ってはパチンコ店に行き、やめようと思ってはまたパチンコ、というのを延々と繰り返してきたので、その「やめようと思っているのにまたやってしまう」といったお気持ちは理解できる部分があります。

    これに対抗する方法はあるのでしょうか。私は長年にわたってそれを模索し続けた結果、新しい趣味を見つけるか、日々目指し続けられる人生の目標を持つか、あるいはその両方か、くらいしかないのではないかといった結論にたどり着きつつあります。

    ゲームは新しいものが次々と出てくるので、情報を完全にシャットアウトでもしない限り、これを我慢しようというのはむずかしい話だと思います。しかし、それよりもおもしろい趣味であったり、目指すべき目標があったりすると、そんなことをしている時間はない、と我慢できるようになる、というよりも、やる気にならない、興味がなくなる、といったものに近い心境にいたるようになるのかもしれません。

    大事なのは「変化」なのではないかと私は思います。人間は変化しなければ同じことを繰り返すような気がします。内面が変化するからこそ、行動も変化していくのではないかと思うのです。

コメントを残す

日本語が含まれない投稿は反映されませんのでご注意ください。なお、コメントは承認制となっているため、反映までにお時間をいただく場合などがございます。