【書物】とある事情によって封印してきた読書を再開するに至った経緯

このたび、長年休止状態にあった趣味としての読書が無事復活を遂げました。やっぱり、本を読むのはいいですね。

私はもともと本を読むことが好きで、子どものころはよく本を借りたりして読んでいたのですが、成長するにつれてしだいに本を読む機会が減っていき、とある事情によって必要最低限以外はまったく本を読まなくなってしまいました。

しかし、長い休止期間を経て、趣味としての読書は無事復活。現在は失われた機会を取り戻すべく、再び書物をあさったりしています。

そこで、その過程での話なのですが、じつは人生におけるかなり大事なことに気づかされたような気がするので、今回はそんなことも踏まえながら、書物について少しお話ししたいと思います。

読書にハマった少年時代

一番最初に読んだ本がなんだったのかはもう覚えていませんが、私が読書にハマりだしたのは小学生のころでした。

かわいい女の子がいつも図書館にいて……とか、そういったドラマがあったわけではなく、なにかがきっかけで学校の図書館に通うようになった私は、せっかくだからと試しに本を借りてみることにしたのです。

本の貸出は専用のカードが用意されていて、借りたい本と貸出カード(入会無料)をカウンターに持っていくと、図書委員の子どもが貸出のスタンプをカードに押してくれる。そして本を返却すると、また子どもが返却済みのスタンプを押す。

これを繰り返しているうちに、私はおもしろいシステムに気がつきました。一定数の本を借りると、図書カードの色が「青 黄  緑  赤」のように、段階的に変わっていくのです。

なんというか、このレベルアップしている感じ。小学生だった私の心は、おそらく先生方が子どもに本を読ませるために考案したであろう、この仕組みに見事にやられてしまいました。これは最強レベルのカードを手にしなければならないと。

それから私は、以前にも増して図書館に通うようになり、動物関係の本(お気に入りはファーブルやシートン)を中心に、世界の童話や、あとは子どもたちの間ではやっていた児童文学など、わりといろいろ読んでいたように思います。

そして結局、最強レベルのカードまでいったのかどうかも忘れてしまいましたが、私の書物あさりは次なるステージへ。

外国人作家の本にシフト

図書館にあった本をすべて制覇したわけではなく、途中からゲームにハマりだしたことが主な理由で図書館に通う頻度は明らかに減るも、読む本に困ることはありませんでした。父の趣味が読書だったので、本のストックは家に大量にあったからです。

割合的にはゲームのほうが上でしたが、ゲームをしつつも本は読む、という生活は続いていきます。

ただ、家にあった本は、よく古本屋で100円とかで売っているような、聞いたこともない外国人作家の本が多く、ティーンエイジャーの私にとっては少々刺激が強いものもちらほら。

そんなときに出会ったのが『ダレン・シャン』でした。

米国では発売後すぐに児童書ベストテン入り。日本では累計400万部を記録した『ダレン・シャン』は、英国産ベストセラーのダークファンタジー小説。

第1巻のサブタイトルにもある「奇怪なサーカス」を見に行った主人公ダレンは、サーカスから盗んできた毒グモに噛まれてしまった親友、スティーブを助けるために、バンパイアと取引をします。

ところが、それを知ったスティーブは、親友に裏切られたと激しい憎悪を抱き、ダレンとダレンに取引を持ち掛けたバンパイアに復讐するため、バンパイアハンターとなるのです。

当時、ヴァンパイアものにハマっていた私はこの作品にもドハマりし、次はまだか、次はいつ出るんだ、と新刊の発売を心待ちにしていたことを覚えています。

これまではすでに出版された本を読んでいたので当然といえば当然ですが、新刊が待ち遠しいと感じた本はこれが初めて。なんだか思い出したら、もう一度最初から読み直したくなってきました。

読書を封印することになった出来事

それから時は流れ、大学受験シーズンになると、私は生きがいとまで感じたゲームを捨て、それと同時に本も読まなくなり、勉強をするでもなくパチンコ・パチスロ機の研究に没頭するようになります。

ただ、大学受験が目前になると、高校を卒業したあとですぐに就職する気もなかった私は、卒業したあとはどうするのか、ということを考え始めました。

さすがに働きもせずにパチンコ屋に入り浸るなんて選択肢は「このときは」まだないですから、なにかしらの進路は決めておかなければなりません。

しかし、考えてもとくになにも浮かばなかったので、私は周りに流されるようにして自分も進学する方向でいくことに。学部はもともと本が好きだったことから文学部を受験することにし、創作の講義には興味があったので、そういったものがある大学を受験することにしました。

そして受かったので、私は大学生活へと進んだのです。

進学先のこれじゃない感

晴れて学生となった私は、初めこそ授業も比較的真面目に出ていたのですが、だんだんと大学に行くのがしんどいと感じるようになっていきました。

なんというか、思っていたものと違ったからです。

大学の講義は、古事記・日本書紀をはじめとした古典関係が多く、漢文や発音・方言、日本語の文法や歴史、和歌、文献を研究するための実践的な方法など、なんというか、これじゃない感がすごかった。私が求めていたものは、こういうのじゃないんだよと。

しかも、頼みの綱であった創作の講義は、受講に学年制限が設けられていて、さらにはものすごい人気があったため、4年生から優先する、人数を絞るため、講義を受けたければ熱い想いを作文にして書いてこい、というおまけつき。

私はもうすべてが面倒くさくなってしまい、静かにその場を去りました。そして、しだいに講義をサボるようになり、ギャンブルへとのめり込んでいったのです。

怒りの矛先はあらぬ方向へ

大学をサボっている間はとくにやることもなかったので、私はパチンコ店に入り浸るようになり、ギャンブルから得られるスリルや興奮をむさぼり喰うようになっていきました。

資金が尽きれば借金をしてでも調達し、ギャンブルに使う金のためにパチンコ店で働き始める。生活の全てはギャンブル一色と言えるほどのものでした。

そして、完全に脳が焼かれてしまい、ギャンブル依存症となった私は、自分の人生を呪いました。

なにがいけなかったのか。どうしてこうなってしまったのか。大学はやめたくてもやめられない理由があったため、高額な授業料を垂れ流すことしかできず、返しても増えていく一方の借金には、頭を抱えることしかできません。

現実から目を背けるためにパチンコ店へ行く私の目は、いつからか死んでいました。

さらに、その怒りの矛先は、あらぬ方向へと向きます。

こんなことなら文学部になんて入らなければよかった、本となんて出会わなればよかったと。絶望感に苛まれるなかで生まれた負の感情は、大学と書物に向けられ、私は好きだった本が嫌いになってしまったのです。

これが私が本を読まなくなった事情ですが、いま思えば、私は『ダレン・シャン』のスティーブになっていたのだと思います。

いくつか希望するなかでそこだけが受かったため、進学先が不合格であれば、私は間違いなく路頭に迷うことになっていました。試験を受けた結果なので、別に救われたわけではないのですが、結果的に私は大学に救われていたのです。

しかし、救われていたとは知らずに、こんなはずじゃなかったと逆恨みし、好きだったものを嫌いになるとは、なんと皮肉な話でしょうか。

結局、私は大学を卒業することなく、奨学金という名の借金だけを抱えて途中でリタイアすることとなってしまったのです。

読書が復活するまでの経緯

ギャンブル依存症になると、大半の興味はギャンブルにしか向かなくなるため、長い間本を読まない生活は続きましたが、私は血のにじむような努力によって依存症を克服することに成功します。

しかし、それでもしばらくの間は本を読む気にはなれませんでした。

ギャンブル依存によって生まれた負のオーラは浄化されていたため、書物に対する偏った感情なんてものはすでに消え去っていましたが、遠ざかっていた長すぎる期間が私にこうささやいていたのです。

もう遅い。いまさら読み始めても手遅れだ、と。

書物はそれこそ何百年、何千年と前から存在し、日本だけでなく世界でも書かれているわけですから、一生かかってもすべてを読み切ることなんてことはできるはずがありません。

そう考えると、本を手に取ろうとする動きにストップがかかってしまい、私はいつも諦めてしまっていたのです。

ところが、転機は訪れます。

いまこうして書いているブログの運営作業を始め、あるタイミングで日本語表記のルールが気になり始め、一から勉強し直そうと思い立ったところ、日本人作家はどのように表記を使い分け、どのような技を使っているのかが気になってきたのです。

そして、私は封印していた書物を再び手に取りました。

ページをめくるたびに頭の中にダイレクトに浮かんでくる景色。このあとの展開はどうなるんだ? とページをめくる手が止まらない疾走感。

それは、私が子どものころに感じていた本を読む楽しさそのものでした。

私が読書を再開するに至ったことで気づかされたこと、それは、なにかを始めるのに遅いもなにもない。やりたいと思ったときこそが、それを始めるタイミングなのだということです。

さて、次はなんの本を読もうかな。

今回のまとめ

・物事を始めるのに遅いもなにもない
・いまであれば大学の講義もおもしろく感じるとは思う
・書物を再びあさる時は来た

年を取るにつれて、新しいことに挑戦するのはおっくうに感じるようにもなってくるものだと思いますが、別に始めることで損をすることはないと思うので、どんどんやっていったらいいという話です。考えていたり、ためらっている時間のほうがもったいないですからね。

また、どの時代の作家も、それ以前の人が書いた文章を読んでいるはずなので、日本語表記が気になるのであれば、日本古来の文学を学ぶ必要性もたしかにあったとは思います。しかし、これもタイミングの話で、当時は興味がなかったのだから仕方がない。まぁこれはこれで良かったかなと、いまでは思っています。

そして、このたび新設した「読書」のカテゴリーでは、私が読みたかった本、読んだ本などをばんばん上げていこうと思っています。乞うご期待!

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