時代の移り変わりなどから、現在苦境に立たされているバーとバーテンダーは、これからどうなっていくのでしょうか。
戦後、バー業界は数々の苦難を乗り越え、ついには本格バー・ショットバーの時代が幕を開けることとなりましたが、幻想となったバブル景気の崩壊を皮切りに、時代背景などの影響もあって、しだいに業界は衰退。現在は、またしても苦境に立たされているように思われます。
そこで気になるのは、バーとバーテンダーは今後どうなっていくのか、ということでしょう。
これは、私が自分の目と耳で見聞きしたものや、ほかのバーでの話、集計されたデータ等から見て総合的に判断したものであるため、かならずしもすべてが正しいという保証はなく、まして現場から一時的にしりぞいている私がいうことでもないのかもしれません。
しかし、いかに絶望的な状況であったとしても、明けぬ夜などないと私は信じているので、今回は、バー業界の近況から見たバーが現在置かれている状況と、今後どうなっていくのかという将来について考えたいと思います。
バー業界の全盛期とバブル景気
スナック・カラオケ、カフェバー、そして本格バー・ショットバーと、バー業界は、時代の潮流に乗ってそのスタイルを変化させてきました。
そんななか、バー業界が全盛期を迎えることとなったのは、やはり日本中が沸いたとされる「バブル景気」の時期、もしくは、それに次ぐ好景気、「いざなみ景気」と呼ばれる時期だったと思われます。
私はバブル景気を知らない世代なので、先人から聞いた話でしか、当時のことを知るすべがありません。しかし、1986年から1991年までつづいたバブル経済期は、日本中が沸いていたらしく、いろんな方から聞いた話をまとめるに、おおむね以下のような感じだったといいます。
- 飲み代から遊び代まで、とにかく会社の経費でなんでも落ちる
- 毎晩のように朝まで遊んで酒を飲み、寝ないで仕事に行くのはあたりまえ
- 好きなだけお金を使っても余るが、もしなくなったら借金してでも遊ぶ
- 近年の中国人さながらの爆買いを敢行し、海外の観光地を荒らす
- タクシーが止まってくれないので、万札をチップとしてちらつかせて止める
- ワンレン(ワンレングスの髪型)、ボディコン(ボディラインを強調した服)、ジュリ扇(羽つきの派手な扇子)
もちろん、バブル景気の影響をまったく受けずに、現在とほとんど生活は変わらなかったという人もいたそうですが、いずれにせよ、バブル景気の時代は、現在からは想像もつかないような、ある種の「クレイジー」な時代であったと。
そしてバー業界も、この時代の恩恵を、おおいに受けることができたそうです。
レストランに行く前の待ち合わせや夕食後はもちろんのこと、投資などのマネーゲームに興じる大人、キャバクラ・クラブの女性を連れてくる男性客に加え、ディスコにかよう若者や、プールバー(ビリヤードができるバー)の大流行など、当時からお店を経営している方のなかには、現在と比べてじつに10倍以上の売上があった、という人もいました。
また、バブル崩壊後の日本において、2002年から2008年まで続き、かつては戦後最長の好景気となった第14循環、通称「いざなみ景気(国生みという国土創生神話に登場した日本神話の女神「イザナミノミコト」が名前の由来)」でも、バー業界は大きな盛り上がりを見せたといいます。
このころも外食・お酒にお金を使う人が多く、バーにもかかわらずオープン待ちをする人や、金額はいとわないという人、やはり深夜まで飲み続ける人など、連日多くのお客でバーはにぎわい、この時期にお店を経営していた方に聞いた話では、比較的容易に店舗を拡大していくこともできたそうです。
ところが、全盛期ないしバブル崩壊後の復活期を迎えていたバー業界は、私が思うに、このあとに起こるできごと、そして時代の変化によって、衰退が始まっていったのです。
バー業界の衰退、大打撃となったリーマンショック
これは、そもそもバー業界にかぎった話でもないのですが、かつては戦後最大といわれたいざなみ景気は、突如として終焉を迎えることとなります。
それは、アメリカの大手証券会社「リーマン・ブラザーズ」が経営破綻し、世界的な金融危機を引き起こした「リーマンショック」に端を発したものでした。このころから、バーの繁栄には、ふたたびかげりが見えはじめたといいます。
そしてその後、さらなる追い打ちをかけるようにして起きた「東日本大震災」によって、バー業界のみならず、飲食業界は大きく揺れることとなっていくのですが、ここでは、ある集計データを見てみましょう。
(「飲食店」の倒産、休廃業・解散動向調査 2018年度 をもとに作成)
こちらは、帝国データバンクによって調査された、2000年以降の飲食店の倒産・休廃業・解散件数をまとめたものです。
グラフは目安となっていますが、2008年のリーマンショックでは1113件、2011年の東日本大震災では、1134件もの飲食店が倒産・休廃業・解散に追いやられました。同じく帝国データバンクの別の調査によれば、バーの倒産件数は、この年(2008年)が2020年までのあいだで過去最多となっています。
実際に私が勤めていたバーも、リーマンショックからガクッと客足が途絶えはじめたといい、東日本大震災以降は、被害の甚大さ、酒の自粛ムードもあいまって、10年、15年とつづいてきたバーが次々と閉店。店舗を拡大していたバーも、規模の縮小を余儀なくされるなど、このあたりから、浮いた話を聞くことはほとんどなくなっていきました。
また、このデータのポイントは、かつて戦後最長といわれたいざなみ景気を超える好景気がおとずれているとはいわれていたものの、飲食店の倒産・休廃業・解散の件数は、2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災があった年を抑えて、そういわれていた2018年が最も多いというところにもあります。
2018年の倒産・休廃業・解散の件数は1140件で、そのうち、最も多かった業態が「酒場・ビヤホール」で18.1%。ちなみに、「バー・キャバレー」は6.7%と、酒を主とした業態は、全体の24.8%、約4分の1を占めています。
この、いっていることと起きていることが矛盾したようなデータの理由は、いったいなんなのでしょうか。これに関しては私は、やはり時代の変化なのではないかと思っています。
酒離れや、将来の貯蓄、漠然とした不安、健康志向、そして酒場やバーに行くお金がないなど、人それぞれの理由があるとは思いますが、そういったものをすべてひっくるめてひと言でいうと、ほんとうに必要なものにしかお金を使わない、もしくは使えない、という方が増えてきているからだと思います。
そういう私も、その1人です。お金がある、景気はいい、などといっても、それはしょせん一部だけの話で、結局は全体にまで行き届くような話ではなかった、ということなのかもしれません。
バーとバーテンダーの今後はどうなるか
バブルの崩壊、景気の悪化、自然災害、時代の移り変わりなど、バー業界が全盛期からは衰退してきているというのは、ほぼまちがいないことでしょう。さらには、2020年ごろから始まった「新型コロナウイルス」の流行によって、バー業界はさらなる打撃を受けています。
繰り返し発令される緊急事態宣言等と、それにともなう営業時間の短縮要請では、これから開けるという時間に閉めなければならないということが起き、お客さんも外出自粛要請によって、行きたくてもバーには行けないという、真に危機的な状況がおとずれているのです。
それでは、まるで先が不透明なこれからの時代、バー業界は、いったいどうなっていくのでしょうか?
これに関しては、希望的観測ということではなく、私はバーも、バーテンダーという仕事も、残りつづけるだろうと信じています。
ここまで暗い話ばかりを取り上げてきましたが、バーの危機なんてものは、それこそいまに始まった話ではありません。
戦後の日本では、禁止されているなかでも、シャッターをおろしてひっそりと営業していた時期もあったといい、アメリカでも、禁酒法が発令されていた当時は、無許可で営業していたバーがたくさんあったといいます。スコットランドでは、これはバーそのものの話ではないものの、100年にもわたる密造酒時代もありました。
しかし、いずれの問題も、終息の時を迎えてきました。いつだってバー業界は、長い夜を耐えしのび、まぶしい朝日をその身に浴びてきたのです。
そして、バー業界がこの世から消え去ることはないというのは、もう1つ、そういいきれるだけの理由があります。
バーテンダーという言葉の意味と、旅人の世話をする人
ところで、バーの語源や、バーというものは、そもそもなんなのでしょうか? この話をすると長くなってしまうので、今回は少しだけ、「バーとバーテンダーとはなんぞや?」という話をしましょう。
呼ばれていた名称は時代によって異なるものの、かねてから存在していた「酒場」がバーと呼ばれるようになったのは、1800年代の「アメリカ西部開拓時代」にあったとされています。
アメリカでは当時、領土拡大のため、人びとは西部の未開拓地域(フロンティア、新天地)を目指し、馬に乗って移動をしていました。
フロンティアとは、先住民のインディアン掃討の最前線を意味するものでもあり、西部劇(ウェスタン)のように、カウボーイが活躍するだけの、ただ格好いい時代ではなかったのですが、いずれにせよ、彼らは拳銃などを持って武装し、次々とフロンティアを開拓していったのです。
そんななか、旅の疲れをいやすため、そして喉の渇きをいやすため、人びとは旅の途中、よく酒場(のちにバーと呼ばれるようになるもの)に立ち寄っていたのですが、そこでは酒場の責任者は、旅人の疲れをいたわってくれました。
そういった背景から、酒場でお客の世話をする人を意味する、「バー(bar:酒場)テンダー(tender:世話をする人)」という言葉が生まれたとされているのですが、私はバーテンダーという言葉を意訳すると、「旅人の世話をする人」と訳することができるのではないかと思っています。
西部開拓時代から続くバーの本質的な部分は、酒場に来た人と酒場の責任者というよりも、旅人と旅人の世話をする人であり、そしてその関係は、いまもなんら変わりはないと思うからです。
1800年代では、西を目指した旅人がいましたが、現代では、明確な目的地が見えないことがありながらも、私たちは人生という長い旅をしています。旅をする人がいるのであれば、世話をする人も当然、必要になってきますよね。
そこで、おせっかい焼きな人たちは、みずから旅人の世話を買ってでるのです。バーという休憩所を開き、旅の疲れをいたわるバーテンダーとして。
人生という旅を続ける人がいるかぎり、そして旅人の世話をしたいと思う人がいるかぎり、バーとバーテンダーが消えることはないでしょう。とりわけ、旅人をいたわるスピリットを持っている人が、世の中に1人でもいればです。
これから先、どんなに時代が変わろうとも、それは変わることはないと私は信じています。
今回のまとめ
・好景気の波は末端にまで行き届くことはないのかもしれない
・バーとバーテンダーはこれからも残るであろう
ここしばらくのあいだ、バー業界が苦境に立たされているというのは、現場で働いていた経験からも、まわりで聞く話からも、おそらくまちがいはないことでしょう。
ただ、ものすごく単純な話、やりたいと思う人が1人でもいれば、バーは残ると思いますし、バーの文化を残したいと思う人が1人でもいれば、この文化は残りつづけると思います。
AIによるロボットバーテンダーもいずれ登場するかもしれませんが、そういうものがつくられていたり、つくられようとしていたりすること自体、人は酒場という人生の休憩所を求めていることになるのではないかと思うのです。
私もこのすばらしい文化を今後残していけるよう、現在は活動休止中ですが、努力していきたいと思っています。旅人の世話を、直接その場でできるように。
バーの歴史についてはこちら
→ ショットバーは普通のバーとは何が違うのかを日本のバーの歴史から紐解く
スコットランドの夜明けと密造酒時代
→【密造酒時代】スコッチウイスキーが100年間に渡る密造を強いられた理由
コメント(確認後に反映/少々お時間をいただきます)