約1週間あった夏休みは、ほとんど無駄な時間を過ごして終わりました。予定はあったといえばあったのですが……。
2020年の夏休み、というか、9月だったので秋休みといったほうが正しいのかもしれませんが、そんなことはどうだってよく、年に一度の長期休暇は、ほとんどなにもすることもなく終わってしまいました。
ブログの更新を中断してなにをしていたのか、と聞かれれば、ほんとうになにもしていなかった、としか答えようがありません。
しかし、連日連夜、心を無に瞑想し続けていたわけでもなく、報告しておきたいこともあるといえばあるので、ここに私が過ごした夏休み2020という、他愛もない話を残しておこうと思います。
予定のない夏休み in コロナ禍
もちろん業種にもよりますが、一昔前であれば、有給休暇なんてものはあってないようなものだったようにも思います。
しかし、2019年から有給休暇の取得が義務化されてからは、労働者は最低でも年間に5日間(年10日以上付与の場合)はこれを取得しなければならないことになり、本来は義務的に行うようなものでもないと思うのですが、私もこの恩恵にあずかることとなっていました。
そんなわけで、今回の休みは5日間+定休日で、日程は、じつは半年ほど前からすでに決まっていたのです。
私は、わけあって以前から、ベトナムに行きたいと思っていました。なぜベトナムに行きたいのかは、実際に行けたときにでもお話ししたいと思うのですが、2020年はコロナ禍によって身動きが取れなくなったことでベトナム計画も流れてしまい、なんの予定も立てることができない状況でした。
ブログの運営作業にでもあてようか。ちょうど大規模なリライト(書き直し)作業が控えていたので、たまにはそんな休暇もありかと思い、私はこの連休に向けて、これまで着々と準備を進めてきました。
ところが、いざ連休が始まってみると、やる気が体から抜け落ちてしまったように無気力な状態となってしまい、ブログ作業は中断、私は「無」と一体化してしまったのです。
そう考えると、予定はあったといえばあったのかもしれませんが、結局のところ、予定なんてものはしょせん、予定でしかなかったということです。
夏休みにやっていたこと
私が無に帰しているあいだ、当ブログを見に来てくださった方は思われたかもしれません。おまえはいったいなにをしているのだと。
いや、なにもしていなかったとしか弁解のしようがないのですが、突き詰めれば、私たち人間はつねになにかをしているわけで、私もたぶん、なにかをしていたはずなので、いちおう記憶に残っているものだけでも報告しておきます。
1. パチンコ店の視察
思えば、これがすべての元凶だったのかもしれません。
いざ連休に入ってみると、ブログの運営作業は休みじゃなくてもできる、というか正直なところ、休みじゃないほうがはかどる、と前々から思っていたことを強く感じるようになり、どうせなら休みにしかできないことをしようと思い立った私は、コロナ禍におけるパチンコ店の視察に繰り出しました。
そして6.5万円を失いました。
これは私にとってかなりの痛手であり、連休の初っぱなで大きくつまずいてしまったこの敗北が、その後の運命を左右したといっても過言ではありません。
さらに、1度でもパチンコ店に行くと、どうしてもまた行きたくなるもので、その葛藤に耐えるために大きな労力を使用したことで、おそらく数日間が無駄に消えました。
この「耐える」という行為は、思った以上に体力・精神力・時間を消費します。だからこそ、パチンコ店には行かないほうがいいのです。
2. 先祖の墓参り
この夏休みで最も有意義な1日となったのが墓参りで、ちょうど両親が行くと言っていたので、やることがなかった私もついて行くことにしました。
私の母いわく、墓参りをすると心がすっきりするとのことで、私はたいしたことはしていないのですが、たしかに、先祖が眠る墓を前にして、パチンコうんぬんといった煩悩が消え去っていくのを感じることができました。
霊園を歩きながら見ていると、なかには、雑草や、わけのわからない草木が生え放題となっている、手入れがまったくされていないお墓もあります。
ひとのお墓のことなので、私が口出しするようなことでもないのですが、そういったものを見るとやはり、きちんと掃除がされ、お花が供えられているお墓は、見ているだけで心が透き通っていくような感じがします。
生きている者が墓を掃除し、その者が墓に入ったあとは、その子孫が墓を掃除する。
そうやって一族のスピリットは受け継がれていくんだな、と先祖の墓を見ていてしみじみと感じました。
それと、今回の墓参りはヨウムさん(27歳)も同行しました。これも報告をしていなかったので、ついでに報告しておこうと思います。
以前、私たちは「とり村」という鳥の保護施設に行ったのですが、その日のうちに引き取りの仮登録に進み、二次面会、ホームステイ期間を経て、無事に里親として引き取ることが決まり、現在このヨウムさんは私の実家で暮らしています。
移動中の車内では「疲れた」と連呼していました。私もこの連休は、なんだかなにもしていないというのに、逆に疲れてしまいました。
機会があれば、ヨウムさんの暮らしも、そのうちご紹介したいと思います。
とり村を訪れた際の記録
→【とり村見学】手放された鳥が里親を待つ保護施設「とり村」へ行ってきた
3. うさぎの爪切り
こちらは私の家で暮らしているウサギのイブスター店長。久々の登場です。
休みはとくにやることがなかったので、イブスター店長を連れて動物病院に行き、爪を切ってもらおうと思ったのですが、病院が祝日で閉まっていたため、仕方なく自分で爪を切ることに。
ところが、自分で爪を切るようになってから、いつの間にか私もマスターレベルになっていたようで、体感5分程度で爪切りは終わりました。
サクサク爪切りが進むのでイブスター店長も暴れることはなく、タクシー代+爪切り代も浮き、わりと有意義な時間となりましたが、残りの23時間以上はとくになにもせずに終わりました。
以上です。
うさぎの爪切りはこちら
→うさぎの爪切りはどこまで?伸びすぎた爪の切り方を解説【抱っこ不要で簡単!】
休み明けに感じたこと
休みの途中からは、休みが終わらないと逆にブログの運営作業ができないような状態となっており、ようやく休みが終わったと思ったら、今度はブランクのせいで、手が動かないというか、頭になにも浮かんでこないというか、そういったもののリハビリが必要となってしまいました。
ところで、ギャンブラーの方(とくに麻雀好きの方)であれば、麻雀漫画の金字塔『哲也』は、一度は読まれたことがある、もしくはご存じのことと思います。
『哲也ー雀聖と呼ばれた男ー』は、戦後の新宿を中心に、玄人(バイニン)同士の技のぶつかり合いなどを描いた作品ですが、主人公の阿佐田哲也(通称坊や哲)の師匠に、房州さんという新宿随一のすご腕がいました。
房州さんは、哲也を鍛え上げるために「毎日牌に触ってろ」とアドバイスし、出したい目を確実に出すため、そしていざというときのため、じつは自身もサイコロをつねに振り、感覚を研ぎ澄ましていたのです。
つまり、私も玄人になるためには、休み中であったとしても、つねに活字に触れておく必要があったということです。
旅行などで集中したいときであればまだしも、なんの予定もないのであれば、つねに最高のパフォーマンスを発揮できるように、今後は本を読んだりするなどして、活字に触れておこうと思いました。
今回のまとめ
・ヨウムは墓参りで疲れた
・感覚を鈍らせてはいけない
人間というのは結局ないものねだりで、休みがなければ欲しいと思いますし、あったらあったでべつになくてもいいなと感じるものだと思いますが、とくに予定がないのであれば、休まないほうがいいとも思いました。
やはり休めば休んだだけ感覚というものは鈍っていきますし、感覚が鈍っていく日数が長ければ長くなるほど、なんというか、大志を失っていくような心境に至りつつあったように思います。
下手するとこのまま、当ブログは長期の休止状態となってしまう可能性もあったので、今後は無駄な休日の過ごし方をしないよう注意しつつ、ベトナム計画実現の時を待ちたいと思います。
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